魔女、推しを推す
「なんとかなったか」
学院の執務室にて。
魔導学院長パンタグラフ・アージェンダインは息をついた。
壁には聖銀製の動物たちの彫像が所狭しと置かれており。
目の前に浮遊する三枚の画面があった。
ひとつは先程、枢機卿ユリウスとの交渉に使った聖銀製のカラスの視点。
ふたつめは、三体の竜を監視する聖銀製のフクロウの視点だ。
「難癖もつけてみるものね」
そう呟く彼女が目を落としたのみっつめの画面は、ナナシの配信画面だった。
馬車に乗り込むナナシたちにエールを送るべく、パンタグラフは文字を打ち込んでいく。
“まじょパン:ナナシがんばえーーー!!“
ナナシファン最古参のネームド「まじょパン」に呼応するように、画面には“がんばえーーーーーーーーーー!!“の文字が波濤のように並んでいく。
ナナシが気づいたのだろう。
薄く。
しかし、確かに微笑んだ気がした。
得も言われぬ喜びを感じてパンタグラフはニヤつく。
彼女の本業は魔導学院の学院長だが、最近は学院内政治も多くこのような一体感をおぼえる機会にはまるで恵まれてこなかった。
魔導学院のトップという肩書はパンタグラフが本来持つ無邪気さを封じ込めたし。
未知の魔法の解析や、新しい魔法体系の開発は楽しいものではあったが、常に新しいものを求められるプレッシャーは無限の荒野での旅路のように彼女を疲弊させた。
新しいものを見つけても「素晴らしい、では次の新しいものを」「きっと次も素晴らしいわ!」これの繰り返し。
際限がないのだ。
その上、次を求める人々は魔法が何なのかすら理解していないだろう。
わかりもしないくせに、手を伸ばし求めるだけ求めて、自分たちは何もしない。
こんなことを続けて何になる。
そう思ったこともある。
だが、今の彼女は違う。
パンタグラフではなくまじょパンとして好き勝手に推しを推すことができるのだ。
もちろん、ネットリテラシーには注意しなければならないが、それでも彼女にとっては相当な自由であった。
「王命だかなんだか知らないけど。ナナシを殺せって言われてもねぇ」
机に突っ伏したパンタグラフはぶーぶー文句を言う。
ようやく見つけた生きがいを、意味不明な理由で奪われたくはない。
パンタグラフは最初からありとあらゆる難癖をつけ、戦闘から離脱しようとしていたのだ。
画面の向こう側に向かって、パンタグラフは続ける。
「ナナシ……。私にはお前の苦労がわかるつもりだ」
ナナシも常に新しいものを求められている。
新たな見識、新たな手段、新たな衝撃を。
強いモンスターを倒せば更に強いモンスターを倒すことを求められ、魔法を使えば更に新しい魔法を使って欲しいと望まれる。
もっとすごいことを、もっとすごいことを。
際限がないのだ。
その上、望まれた通りに人々を満たしたところで「あいつは天才だからな」と努力を無視され、羨望の眼差しは逆恨みとなってこちらを睨んでくる。
そんなのはただ、お前たちが弱く愚かで怠惰なだけだというのに。そうした正論をぼやくことも許されない。
やり方を教えたところで「できるか!」と言われるだけだ。
味方だと思っていた人も、気に食わないことがあれば「そんな人だと思ってませんでした」と反転しアンチになってしまうこともある。
人の欲の受け皿となる苦しみはパンタグラフには痛いほどわかっていた。
「ナナシ……。世界がお前を殺せと命じても、私だけはお前の味方だぞっ」
そんなパンタグラフがナナシと敵対するなど、できようはずもなかったのである。
何か書き込もうとして、やめる。
まじょパンはただのファン。ナナシを推す一般人でしかない。
できることならナナシの隣で戦いたかったが、不用意に近づいて迷惑をかけるのも拒絶されるのも怖かった。
距離感は大切だ。
慎重にいかねばならない。
「……ちょっとした牽制ならいいよね?」
パンタグラフが指を鳴らすと窓が一人でに開き、壁に置かれていた製銀の動物たちが一斉に飛び立つ。中にはガーゴイルも混ざっていた。
どう倒すかはわからないが、ナナシはきっとレッドドラゴンに勝ってくれるはずだ。
なら、せめてその戦闘に邪魔が入らないようにしよう。
具体的にはユリウスをめちゃめちゃ妨害してやろう。




