湖鼬GoGoGo
神人レノンは死闘を終え、見事神獣湖鼬を使役するに成功した。
一行は神殿跡から離れた湖畔に場所を移していた。湖鼬は人間形態から巨大な四足獣の
通常形態へ戻っている。
レノンは今後の行動について、しもべとなった湖鼬に説明した。
「さっそくだが湖鼬、僕らを乗せてガワラ王国という国までかっ飛ばしてほしいんだ」
「お前様の仰せの通り大陸のどこであろうと送り届けるが我はこの地に居を構えてから長く、人間達の戦乱の時代に出来た国の名前は知らん。詳しい場所を教えてくれ」
「ワダ湖を北東に抜けて進んでくれ。そしたらサワミという名の平原に出る」
レノンは方位磁石と大陸地図を見ながら言った。
「おぉ、湖を抜けたところにある平原か。今から飛ばしていけば太陽が頂へ昇るくらいには着くだろうな」
「えッ、昼にはもうそこまで行けるのか!」
レノンが頓狂な声を出して、胸を躍らせた。
彼の驚嘆する様子を見て、マチとルイも歓喜の顔を見合わせる。
外世界の地理は全くわからないが、レノンの反応は願望混じりの予想が的中したものだ。
「追いつくくらい距離を縮めれればって願ってたけど、逸話通りの速さで良かったよ。計画通り目処が立ちそうだ」
理想交じりの計画が実現する可能性大で、説明を続けるレノンの声にも熱が帯びる。
「僕の見立てだと、奴らはおそらく昨夜はアモーリ大陸の東辺りにある砦で夜を明かしたはず。朝から馬で走ったとしても、マチの話を聞くに歩きの兵達もいるからそんなに速く走らないだろうし、昼頃にはサワミ平原に出るだろう。僕もそうして通った経験が何度かあるから大体それくらい時間がかかるとわかる。上手くかち合うとは限らないけど、少なくとも遅れは取らないだろうと思うんだ」
湖鼬は納得したように頷いた。
「ほうほう、お前様も考えとるのぉ。ともかく心得た。まー奴らとぶつかることがあれば、我も全力で共に戦うさ」
余裕気な笑みを見せる湖鼬に、レノンは期待の眼差しを向ける。
「本当かい。それは心強いよ」
マチとルイも瞳に期待を潤ませた。
「こんなデカいんだから絶対強いでしょ!湖鼬の力があれば百人力だよ」
「頼りにしてますよ」
湖鼬は気分が良くなったのか、満面の笑みを浮かべる。
「フフフ。では早速向かおう。三人共、我の背中にのれぃ」
そして人間達が乗りやすいよう身を屈めた。
マチは脇から助走をつけて跳躍し、華麗に背中へ着地した。
ルイもマチ程ではないにしろ、軽やかな跳躍で後に続く。
普通の人間からしてみれば、驚愕を通り越して唖然としてしまうまでの運動能力だ。
レノンは当然タコイ族の人間達のように高く跳べないため、体毛を掴んでよじ登った。
「人生わからないもんだな。馬の次には神獣に騎乗するなんて」
レノンは自身の奇妙な人生を回顧しつつ、ルイが差し出した手を取り背中の上に立った。
マチは胸の位置まで伸びている体毛の肌触りの良さに、感動の声を出した。
「わっ、気持ちいい。里の丘の草っぱらと違う気持ちよさだ。モフモフしててヤバたん」
そして体感した経験のない心地よさだっため、思わず寝転がっていた。
「モフモフ過ぎますよ。この上でずっとゴロゴロ出来そうですぅ」
すでにルイも横になって、体毛の束を抱きしめている。
骨抜きになった少女達を見て、レノンは苦笑した。
「おいおい、君達ねぇ」
光沢があり滑らかで柔らかい毛並みなのは確かで、レノンも寝転がりたい気分になる。
(モフモフが気持ちいいのは否定出来ないがね)
しかし、後に控える高速移動を想像して肝を冷やしていたため、素直に湖鼬の背中の寝心地を確かめる気分になれなかったのである。
「呑気にしてられるのも今だけだ。しっかり捉まって舌を噛まぬよう口を閉じていろ」
湖鼬の警告を受け、毛並みの心地よさを体感していた少女二人の顔が強張った。
未知の移動手段に対する緊張と怖さが今更沸いてきたのだ。
湖鼬は得意げな表情で続けた。
「我が主レノンより聞いていただろう? 我は山を越え谷を越える快速の神獣であると」
言いながら湖鼬は方向を変え、進路を定めて助走を始める。
「うわー湖鼬が動いた! 来るよ、多分来るよ二人共ッ!」
「ひぇぇ、お手やわらかに頼みますよ湖鼬さん」
マチとルイは慌てながらもがっしりと湖鼬の毛を掴んだ。
「湖鼬、どれだけ速いかわからないが、いきなり速くなるのはなしでな。徐々にと尚且つちゃんと声掛けを――ッ!?」
急いでしゃがみ込んだレノンが念入りに訴えていた途中で、湖鼬の加速度が増した。
一行はガクンと後方へ倒れそうになるも、体毛はずっと掴んでいたので転倒を防いだ。
そして、ハッと前を向くと同時に突風の如き風の抵抗を受けることとなった。
「うわあわああああッ!?」
風の他、目まぐるしく変わる景色を眺める余裕すらない人間達の絶叫が重なる。
顔を伏せるしかない。湖鼬はもはや馬と比べ物にならない凄まじい速度で、砂埃をあげて走っていた。
レノンは全身を駆け抜ける疾風を受けながらも、薄めを開けてみた。
すでに湖鼬は湖を抜けて森林の中に突入したようで、バサバキと木々の枝を押しのけ折って駆け抜けているようだ。
「まだまだこれからだぞ。もっともっと飛ばしてやるッ」
快速の湖鼬は愉快そうに声を上げる。
マチとルイは夢にも見ないような超速を体感し、必死に体毛へしがみついて涙を流し震えていた。
「やばたんやばたんやばたんッ!? もうどこ進んでるかわからないくらい速い!」
「怖すぎますよこれは――ッ!? 早く、早くついてくださいッ」
目を閉じて絶叫するタコイ族の少女達。
一方レノンは気が気でない状況ながらも、相棒が出す信じられない速度へ高揚していた。
(なんて速さだよッ!? でも湖鼬に勝てて本当に良かった。これならブラボの隊に追いつけるぞ!)
しだいに恐怖感が薄れ、ぱっちりと瞳を開ける余裕も生まれる。
そして緑の中を突き抜けていく、風と一体化するような快感を覚え、
「風が気持ちいいー!」
気がつくと叫んでいた。
湖鼬は力押しで跳ね除けれない太い枝木や直進方向に生えた木の幹を、屈んだり体をよじって器用に避けながらニヤリと笑った。
「フフフ、少しは慣れたか。こんなものではないぞ、もっと速くいこうかッ」
短い脚の回転数を上げて更に加速する。
「あれ、あれれれれれッ!?」
レノンは余裕満点な発言を後悔した。
自身もタコイ族の少女達のように、再び顔を伏せざるおえなくなっていたのだ。
絶叫。怯え。揺られ、絶叫。震え。揺られ、絶叫……。
そうして一行を背に乗せた湖鼬は逸話通り森と山を越え谷を越えとうとう開けた大地へと辿り着いたのだった。
起伏の少ない広大な平原で、湖鼬は速度を多少落としながら言った。
「おーい、お前様に小娘共。ここが例のなんとか平原とやらだろう」
湖鼬は背中に乗せた人間三人へ声掛けた。
「……」
体毛を必死に掴みながら体感した経験のない超速へ耐えてきた人間三人は、緊張と恐怖で感情が振り回されたため、意識が朦朧としかけて声を返せなかった。
「それと人間の軍勢が見えるが。まさかお目当ての連中ではなかろうな」
だが声の大きさを上げた湖鼬の報告が耳に入った瞬間、一行はピクリと肩を動かした。
少し間を置いた後、ほぼ同時に重い頭をがばっと上げたのだ。
「なんだって?」
レノンが声を裏返らせて言った。
「えーどこどこ! てゆーかここどこ? ナナは! ブラボは!」
続けてマチが忙しない調子で言った。
「落ち着いて下さいマチ。はー、頭がぐるぐるする」
三人の中で特にぐったりした様子のルイが、隣の親友を宥めた。
次いで彼女は頭を押さえながら周囲を眺める。
乗っている湖鼬がドドドドと地鳴りのような音をあげて爆走しているためわかりにくかったが、どこか遠くでも同様に厚みのある響きがしていた。
見晴らしのよいサワミ平原でたくさんの何かが地を踏みしめて走っているようだ。
その方向に目を向けると――
「あ、あれは!」
湖鼬が見つけたであろう集団を自身も発見したため、ルイは目を見開いた。
「なんかいるよッ。変な生き物に人が乗ってる!?」
遅れてマチも発見し、口を驚きの形に開いた。
ルイも同じく初めて馬という生き物を見たため、視覚的衝撃を受けていた。
銀の馬具を取り付けた美しい黒鹿毛の駿馬を駆る銀鎧の騎士の後方を、歩兵達が苦しそうに走りついていく。
「アレが馬という生物――って、空にはあの神獣もいますッ」
次いでルイは上空で部隊を先導する二頭の飛龍を視界に捉えた。
そして、サワミ平原を思うがままに行進している部隊の先頭には黒装束を纏い、薄紫髪をサイドアップに立て厚布でまとめた不気味な男――ブラボがいた。
豪華な装飾が施された馬具を付けた青毛の逞しい馬に騎乗している。
裏切りの宰相を遠目で確認して唇を噛んだ元近衛騎士は、ブラボに従い後に続く者達が駆っている馬の馬衣、騎士達の赤色のサーコートの肩と胸部分、兵士の兜へ施された印は、ガワラ王国の家紋である杏葉牡丹の紋章であると確認した。
「先頭にいるのは確かにブラボだよ! 引き連れている者達も僕がいた朱の騎士団だ」
レノンは現在の仲間達へ、発見した集団はブラボ率いる部隊だと断言する。
「凄いぞ湖鼬! 僕らはブラボ達に追いつけたんだッ」
レノンは相棒を賞賛し、握った拳を興奮に震わせた。
「湖鼬速すぎやばたん。あの黒服はブラボに違いないッ。追いつけたんだね、あたし達」
「えぇ! 里の平和を壊したにっくき黒い姿、片時も忘れたことはありませんッ」
マチとルイは神獣がもたらした理想通りの展開に高揚しつつも、怨敵への怒りを剥き出しにした。
神の所業によって、運命の天秤は追いかける一行に傾いた――レノンは思わず両手を上げて喜びたい感情になるが、一瞬だけに留まった。
(でも戦いはここからなんだ。まだ何一つ成し遂げちゃいないんだからな、僕らは)
この奇跡ですら最低条件。レノンは様々な感情が入り乱れた複雑な表情を漂わせた。
(皆、ブラボの言いなりだろうな。もしくは異能で操られているんだろうが……)
レノンの心中が曇る。
仕方がないと思った。心を操る異能以前に、王に次いで国を取りまとめる存在に普通は逆らえない。このままでは元同僚の面々を傷つける展開になる可能性も高い。
苦楽を共にした見知った顔も多数いるため、出来る限り彼らを傷つけたくない気持ちがないわけがなかった。
(でも世界の平和のために、気絶させたり動かせなくするくらいはしなくちゃいけない)
それでも古巣の者達を敵にする覚悟は出来ている。
誰かがブラボを倒さねば、取り返しのつかない事態になるのだ。
レノンは「皆、ゴメン」と心の中で元同僚の面々へ深々と謝った。
そして一方、マチは大切な存在が見当たらないため、更に憤っていた。
「あれ、てかナナは? ナナはどこにいるのさッ」
焦燥。最愛の妹はどこにいるのだろうか。
「マチ、落ち着いて! ブラボの後ろについている人を見て下さい!」
だが怒りの中でも冷静さを忘れないルイが、細かいところを見逃さない。
「人を抱えています。あれは、ナナなのではッ」
マチはルイが指摘する人物へ注目した。
距離が除々に縮まっていくのでより鮮明に、明らかになっていく。
ブラボの後方――大柄な騎士が片手で悠々と馬の手綱を握っている。 彼は逆の手で、ナナその人を小脇に軽々と抱えていたのだ。
「ムッツだ! 僕の仕事仲間だった男がタコイ族の服を着た女の子を持ってる!」
レノンも確認し、自身の初めてを奪った男の名を叫んだ。
(ナナ! ナナが捕まえられてるッ)
捕らわれた妹をマチも続けて発見し、ぶわっと涙が出そうになるも堪える。
「で、どうするんじゃお前様や。このまま奴らの横っ腹に突撃してもいいのだぞ?」
前方を睨みつける湖鼬にそう問われたレノンだが、次なる一手は決まっていた。
それは、賭けに近い作戦だった。
「まずは奴らの後ろに着いてくれ。後方の連中には気づかれるだろうが、一気に先頭まで駆け抜けてムッツに並んでナナさん奪還。それからブラボが反応するより早く先手の一撃をくらわそう」