追憶の情景 その2
これは、ある男の記憶の断片である。
聖域の森に意を決して立ち入った少年は張り詰めた空気を感じながら、木々の間から差
し込む月光と発光植物の輝きを頼りに導かれるようにして、楽園へと辿り着いた。
森の中には狼をもっと恐ろしくしたような怪物は確かにいた。
しかし怪物達は深い眠りについており、目を覚まさなかったのだ。
だが、安堵もつかの間だった。少年が楽園へ足を踏み入れた瞬間、体力と空腹の限界で
倒れてしまう。
このまま死んでしまうのだろうか――生を諦めかけた彼に、救いの手を差し伸べた人々
がいた。タコイ族の人々である。
彼らは飢える寸前だった少年へ、食べ物と寝床を提供してくれたのだ。
元は一つの民族から枝分かれした歴史があったタコイ族とは、言葉が通じた。
少年は感謝の言葉を伝え、今度こそ安堵の涙を流した。
それから一組の夫婦が、少年の面倒を見ることになった。
夫はロンと名乗り、妻はレンと言った。
少年は数日間、自然と調和して好きなように生きるタコイ族の暮らしを体感した。
ロンは、決して事情を話さない少年に言った。
「何があったかは聞かない。だが、辛いことであるなら全てを忘れてここに住みなさい」
少年はロンの厚意に感謝しかなかったが、それでも素直に受けとる気にはならなかったのだ。
芽生えた黒い夢には愛と平和は溶けない。悲しみと怒りに心が浸食されていた少年は、
戦場で一旗上げて、戦乱の時代を終わらせるくらい大きな人物になるという壮大な野望を
抱きはじめていた。
血に塗れた将来のビションの果てに、メギドの箱が映っていたのだ。
タコイ族の祭殿にてロンから聞かされたタコイ族の起源――少年にも知識としてあった
歴史話だが、邪神との闘いに三神の干渉が実際の出来事であると直に聞かされ驚いた。
しかし、少年のいた世界では神霊の力のような異能を行使する超人達が戦場を闊歩して
いる時代であるために、そこまで衝撃はない。
少年が一番心惹かれたのは、邪神メギドを封じ込めている金色の箱だったのだ。
邪神メギドは人間を誑かし、強大な力を与えて影響を楽しんだのだという。
年端もいかない少年は心を壊した対価なのか、真理にも目覚めていた。戦争を全て終わ
らせた後、逆らいたいと思わせないまでの恐怖と抑止力が必要であるのだと。
いつか大陸を統べた後タコイの里へ戻り、どんな手段を使ってもメギドの箱を手に入れ
ると誓った彼は、ロンの申し出を丁重に断り、彼のいた世界に帰るべく真夜中の聖域の森
へと足を踏み入れた。
狂気に捕らわれて穏和な感性を持てなくなった少年の瞳は、爛々と光っていた。