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浮遊都市のエリア五は、空獄行き予備軍が集まるとされている。破産した者、薬物中毒の者、逃げ場を失った犯罪者。ここには数週間に一度、そういった人々を『掃除』するために、ブリシアの治安維持部隊がやってきて、一人一人の身分を問う。なにかしらのタブーに触れていれば、即空獄送りとなるのだ。
メネスは一人、そこにいた。ボォッと、虚空を眺めている。
両親が殺された。その時、メネスは父親に隠れているよう言われ、両親が小さな人影に殺されていく様を見ていた。
まだ吸血鬼としての生き方を学び途中だったメネスはオパーズということもあり、社会から見捨てられた。金もなく、知恵もない。本来振るえるはずの力も、長らく血を飲んでいないから使えなかった。
追いやられ、住んでいたエリア一から下へ下へと落ちていき、エリア五に来てしまった。
もう長いことはないだろう。空獄に送られたとしても、吸血鬼用の食事があるとは思えない。
ここで死ぬのだ。本来なら数百年と生きるはずだったメネスが、十八歳という若さで死ぬ。
そんな時だった。甘い香りが漂ってきたのだ。荒廃したエリア五らしからぬ香りだ。なんだろうと顔を上げれば、一人の女性が立っていた。白い髪を長く伸ばした身なりのいい女性は、手を差し出して口にした。
「あなたの――」
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「ッ!」
弾けるように目が覚めた。無意識に差し出された手を取ろうとして、自らの手が虚空を舞っている。
そうして夢だと気づく。伸ばした手の先に広がるのは知らない天井だった。
ここはどこだろうか。簡易ベッドの上に寝かされているようで、見渡すと、四角く狭い部屋が鉄格子で塞がれていた。なぜこんなところにいるのか調べるため起き上がろうとして、体に痛みが走る。
「おいおい、あんまり無理すんじゃねぇよ」
どうにか簡易ベッドへ座ったメネスへ、鉄格子の向かいから声がする。見れば、よれたスーツに身を包む腹の出た男がいた。
ここはどこだと聞こうとして、メネスの脳裏にコンテナ広場でのことが思い出される。
「俺は、撃たれて……」
魔女の炎により地面へ落下し、その衝撃で骨が折れ、最後は弾丸の嵐を受けた。とてもではないが生きていられない。
そして死ぬ寸前に見た顔が、鉄格子の先にいる男だった。
「なんで生きてるのかって顔してるな」
男はパイプ椅子に座りながら、ブリシアの隊員カードを見せた。
「まずは自己紹介だ。俺の名はルーカス・アレッシオ。ブリシアの遊撃部隊員だ」
遊撃部隊は噂に聞いたことがあった。ブリシアが公に行う警察活動とは別に、その時々の事態にあわせて、管轄を超えて行動する者たちだ。
ほんの一握りしかいない彼らは、手練れの集まりだと聞いていた。
その割には、だらけた印象を受けるが、今はそれよりも、
「本当になぜ、生きている……?」
「まぁ、あれだ。お前さんを撃ったのはオパーズ用に改造したゴム弾だしな。しかしなぁ、あんだけ撃ったってのに、二日で痣が全部消えてやがる。火傷跡までなくなってやがるしな。こんなロクに薬もない場所で元通りとは。流石は吸血鬼ってところか」
「……信じるかどうかは勝手にしていいが、俺はヘクトールじゃない」
「誰もお前さんがヘクトールだなんて言ってねぇぜ?」
カマかけというやつか。メネスは黙りこくってしまう。
「しかしだ、あの場の虐殺。あれをお前さんがやったってんなら、ヘクトールじゃなくても空獄行き……いや、流石にやりすぎだから死刑か」
「そうするのなら、今度は容赦しないぞ」
「この前は手加減してたみたいな言い草だな」
「鬼も妖狐も殺さないでやった。本気なら、あの場で死んでる」
「そりゃ、恐ろしいことだな……で、お前さんはどこの誰だ? ヘクトールじゃないのはたしかだと思うが」
同じ吸血鬼だというのに、ルーカスは最初からメネスの正体を見抜いているようだ。なぜかと聞くと、ルーカスは簡単なことだと答えた。
「ヘクトールの目撃情報は少ねぇが、流石にそんな目立つ銀髪じゃないのは確かでな」
言われ、いつも被っているフードが外れていた。悪目立ちするので隠していたのだが、意外なところで効力を発揮した。
そしてもう一度、メネスは問われる。どこの誰なのかと。思考を巡らせ、ただ一言答えた。「メネス」と。
「フルネームは?」
「悪いが、答えられない」
頑なな姿勢に、ルーカスは目を細めた。
「ここはブリシアの支部だぜ? 俺の指示ひとつで、すぐにでも空獄に送れる」
「それならさっき言ったように、容赦しないまでだ」
互いに視線がぶつかり合うと、ルーカスの方が折れた。
「仕方ねぇなぁ……そいじゃ吸血鬼メネス、お前はあの場でなにをしていた」
「俺は、あそこにヘクトールが現われると聞いて殺しに行ったまでだ」
「ヘクトールを殺す? なるほど、奴に恨みでもあるわけか。それとも同族だからか?」
両方だ。メネスが答えると、ルーカスは納得するように何度か頷いた。
「復讐者ってわけだ。しかし、俺たちもお前さんも、ヘクトールに遊ばれてたみたいだな」
「だろうな……」
「おいおい知ってたのかよ? まぁ俺たちも馬鹿正直に、あそこにヘクトールが現われるってタレコミを聞いて駆け付けたんだけどよ。そしたらお前さんがいて、奴は影も形もなかった。やりきれねぇな」
やはり、ヘクトールが裏で鉢合わせるようにしていたのだろう。
メネスは問う。この後どうなるのか。
管理棟の虐殺はメネスがやっていないと、薄々勘付いているようだ。しかしコンテナ広場への不法侵入と、ブリシアの隊員である鬼と妖狐への攻撃。さらにこれから洗いざらい二年間の殺しを暴かれれば、空獄に送られることは間違いないだろう。
その場合は逃げる。しかし、ルーカスは思いもよらないことを口にした。
「今回のことはチャラにしてやる。だから手を貸せ」
「なんだと?」
「俺の権限でなにもなかったことにしてやるんだよ。ついでに、お前さんをブリシアの臨時隊員にしてやる」
普通なら考えられることではない。メネスは緊張を解かず、目的を聞いた。ルーカスは迷いもなく答える。
「ヘクトールを捕まえるのが目的だな」
どうにも、このルーカスという男のペースが掴めない。睨むように目を向ければ、ため息が返ってきた。
「正直なところ、人手が足りねぇんだよ。ああいや、人間は足りてるな。足りてねぇのは、オパーズだ」
「あの鬼と妖狐と、魔女か」
「魔女はともかく、残りの二人はお前さん一人にやられる始末だ。吸血鬼についても情報が足りてねぇしな。お前さんがヘクトールに復讐したいなら、手を組むのもありじゃねぇかと思ってな。今日はそれを言いに来たんだ。で、どうだ? 悪い条件じゃないだろ? ここには、奴の情報が沢山あるしな」
ルーカスはずいぶん無茶なことを言っている。犯罪をもみ消し、外部の素性も知れぬオパーズを仲間とし、ヘクトールを捕まえようとしているのだ。
しかしその無茶は、メネスにとっても悪い話ではない。ブリシアの情報を閲覧できるのなら、エミリーに頼るよりもずっと、ヘクトールへ迫れるだろう。
しばし考えた後、メネスは承諾した。ホッとしたようなルーカスだったが、メネスは一つだけ条件を提示した。
「ヘクトールは俺が殺す。それだけは譲らない」
ルーカスは少し口を閉じてから、肩をすかして頷いた。
「どうせ捕まえても死刑だ。捕まえられるのも、お前さんだけだろうしな。そこは上層部を誤魔化しておいてやるよ。だがな、こっちからも一つ条件がある」
メネスがうかがうと、人差し指を立てていた。
「こっちから一人、お前さんの監視とヘクトール捜査のパートナーをつける。鬱陶しいと思うかもしれねぇが、お前さんとは出会ったばかりだしな。万が一のことを考えてってやつだ。これだけは飲んでもらうぜ?」
「……そいつは、オパーズなのか?」
ヘクトールを探す上で、普通の人間がパートナーでは足手まといもいいところだ。ルーカスもそういったことは承知の上か、「活躍間違いなし」と返した。
「頭も切れるし、戦いになっても足手まといにはならない。お前さんとしては今すぐにでも動きたいだろうが、まだ傷は完治してねぇ。もうしばらくここで寝てな。近いうちにパートナーと会わせてやるよ」
そう言い残し、ルーカスは席を立った。メネスは一人、簡易ベッドの上でこの先の事を考える。とにかく、まずは動けるように傷を回復すべきだ。
幸い、吸血鬼は心臓と脳以外なら傷ついても数日で回復する。大人しく寝転がると、張っていた気が緩み、体の痛みが襲ってきた。目を閉じ、深く息を吐いて眠ろうとする。嵐の前の静けさのようで、いつしか眠りについていた。