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 宇宙まで続く軌道エレベーターの雲より下。そこに楕円状のドーム――浮遊都市がある。

縦に六つ連なるドームで形成される浮遊都市は、人類の逃げ場だった。


 旧文明同士の戦争により、大地は汚染され、大気は有毒となり、とても住めたものではなくなっているからだ。


 戦争に嫌気がさしたか、逃げたか、とにかく生き残った人々が開発途中の軌道エレベーターにドームを造り、新たな社会とした。


 六つ連なるドームは富裕層の住むエリア一を最上部とし、犯罪者が送られる牢屋代わりのドームが最下層のエリア六、通称空獄となっている。


 それらの中で貧困層が住むとされるエリア四の外郭――倉庫の立ち並ぶ区画に、人だかりができている。新興の奴隷商が警察組織ブリシアの車両を襲撃し、移送中の人々を攫ってきたのだ。


 浮遊都市において、どのような企業、団体でも、削りたいのが人件費だ。なにせ広さの限られた浮遊都市には、当然限られた人数しか住めないのだから。


 その内の一割が富裕層なら、五割は一般層だ。彼らは思い思いの仕事に就く。必然的に四割ほどの貧困層が、安い給金を求めてライン作業に就く。


 とはいえライン作業で作られる機械の部品などの品。その量は、いくら働き手がいても不足している。


 浮遊都市の改築や増設、修理から、車やバイクの部品。建物の建築素材。

 とにかく多種多様かつ数がいるので、作り手を非合法な手段でも確保したくなる。

 だから時代錯誤な奴隷商という職業が成り立つのだ。


 需要は人が生まれ、浮遊都市の人口が増えるほど増加していく。住む場所を増やさなければならないので、一定の周期で増設等の部品の重要は高まる。

 奴隷商が奴隷を供給するのは、そういった時だ。

 新興の奴隷商人――ジーンは夜の闇の中、エリア四の倉庫へと犯罪者たちを分けて入れている。


「まともに動ける奴は右! 動けなねぇ薬中どもは左の倉庫だ!」


 エリア四の外郭部は、警察組織ブリシアの見回りも少ない。日付も変わる時間になると、大声を出しても誰も来ない。


 部下が犯罪者たちを分けている中、ジーンはポケットに入れてあったダイヤのジャックを取り出す。無意識に鼓動が高まるのは、裏社会で一躍名を馳せる好機が来たからだ。


 彼らの世界でダイヤのジャックを送られるということは、大口の取引が迫る証なのだ。

そこから一気に躍進し、いずれはエリア一に本部を置く巨大組織のボスになる。


 ジーンは高まる鼓動を押さえつつも、唯一のイレギュラーに懸念を抱くことを忘れない。

 ダイヤのジャック、それを追って現れるオパーズがいるのだ。たった一人だというのに、マシンガンで武装した十名以上を片付ける、オパーズの元となった化け物の名に相応しい相手。


 ジーンは、そんな化け物と戦うような戦力を持っていない。そもそも、なにをどうしたら十人を相手に勝てるのかわからないのだ。


 だが、その化け物さえどうにかすれば彼の野望は叶う。化け物から逃れるための作戦もある。部下へ指示を出しつつ、奴隷を運ぶトラックが来るのを待った。


「まだかっ? クソッ、早くしねえと、どこから化け物が」


 「出てくるかわからない」。そう言おうとした彼の背後で悲鳴が聞こえた。咄嗟に振り返ると、奴隷を倉庫に入れて帰ってきた部下たちが、頭を押さえて膝をついていた。


「おい! なにがあった!」


 彼の言葉に部下たちは答えない。頭を抱え、発狂したかのように叫んでいる。

 異様な光景に、ジーンの頬を冷汗が伝った。件の化け物が現われたのだと理解するのに時間はかからなかった。


「クソッ! おい聴こえるか!」


 無線機を手に、倉庫の中にいる部下たちに「作戦開始」を告げる。彼らはすぐに対化け物用の作戦の準備に取り掛かる。


「どこだっ! クソ化け物がっ!」


 銃を手に怒鳴り散らす彼を、倉庫の上から見下ろす影――メネスがいた。

 彼に向けて、メネスは倉庫の上から飛び上がった。彼の背後に音もなく降り立つと、低い声がジーンの頭に響く。「ここだ」と。


 瞬間、振り返る。黒衣に身を包んだメネスが、真っ赤な瞳で睨みつけている。

彼は咄嗟に銃のトリガーを引く。しかし取り乱し、弾丸は明後日の方向へと飛んでいってしまった。すぐにナイフを手にしたが、


「遅いな」


 メネスは目にも止まらぬ速さでナイフを払い、首元を掴むと、片腕で持ち上げた。

 恐怖に包まれたジーンに、メネスはドスの利いた声で問いかける。


「ダイヤのジャックをどこで手に入れた」


 必至に逃れようとするジーンは、メネスへ口を開く。


「クソ、野郎が……」

「いいから答えろ……!」


 赤い瞳が睨みつける。彼も、メネスを睨み返した。

 その視線が倉庫を見て、ニヤリと笑う。


「後ろ、見てみろよ、クソ化け物が」

「お前が答えたらな」

「いや? 今見ねぇと後悔するぜ?」

「なんだと?」


 メネスが振り返れば、奴隷の首にナイフを突き立てた男たちが現われる。

 並ぶように、拳銃を構える者もいる。


「俺を殺せば、人質は死ぬぜ?」

「――あいつらは移送中だった犯罪者だろ。人質にはならない」

「全員がそうとは限らねぇよ? ガキのためとか、女のためとか、仕方なく罪を犯した奴だっているんだぜ?」

「……そうか」


 メネスは彼を放り投げた。コンクリートの上を転がって壁に激突したが、すぐに撃てと命令する。

 部下たちは、メネスへ弾丸を放った。しかし、メネスの動体視力は正確に弾丸を捉え、瞬時に避ける。距離を詰めようとして、


「姑息な真似を……」


 人質を盾にして進んでくるのだ。首筋にナイフを突き立てられた人質が顔を真っ青にしているのを見て、メネスは数舜迷う。


 メネスは、悪に対して容赦はしない。あの人質が欲に塗れたクズの犯罪者なら、迷うことなく男たちを始末していた。迷っているのは、人質が誰かのために手を汚したからだ。


 彼らに罪を償って真っ当に生きる未来があるのなら、傷つけたくない。

 だとしても、メネスにはやり遂げなくてはならないことがある。


 そのためなら――。


 メネスは決断を下した。


「少しの我慢だ」


 メネスは言うと、息を吸い込み、両手を広げて歌うように声を張り上げた。


 すると、その声を聞き取った部下と人質は、頭を抱えて地に付した。

 投げ飛ばされた彼も頭の中が滅茶苦茶になり、立ち上がることもできなくなる。


「――レイス。脳を惑わす、吸血鬼の旋律」


 メネスはそう言った。吸血鬼伝説は誇張ばかりだが、人々を惑わすというのは本当なのだ。メネスの発した音に意識を込めると、脳に届いた相手はあらゆる感覚が滅茶苦茶になる。


 視覚、聴覚、ありとあらゆる感覚が狂うのだ。銃を手にした敵が待ち構えていようと、音さえ届けば無力化できる。あとは殺すだけだ。


 今回もまた、一人として逃す気はない。本当の悪に容赦はしないのだ。人質にも恐怖を植え込み、決して口外させない。


 その前に、投げ飛ばしたジーンの元へ向かう。歪む視界で歩み寄る姿に、彼は言い様もない恐怖を覚えた。風に揺らぐ黒衣が、死神の来訪を告げているようにも見えた。

 

 しかし、メネスが倉庫区画の入り口を向いた。


「チッ」


 瞬時に飛び退いた。奴隷を運ぶためのトラックが突っ込んできたのだ。


「ボス! 大丈夫ですか!」


 トラックの中から一人の部下が駆け寄る。ジーンは怯えながら、「逃げるぞ!」と喚いた。


「こ、殺されちまう! 早くしろ!」


 ふらつきながら助手席に乗り込むと、出すように喚く。奴隷たちを気にする部下に、いいから行けと怒鳴った。


「化け物だ! 噂は本当だ! 奴はオパーズなんかじゃねぇ! 正真正銘、化け物だ!」


 倉庫のある区画から飛び出すと、次第に感覚が戻ってくる。銃を手にし、震えながら逃げ道の先を見やる。


 関わるのではなかった。土台無理な話だった。

 遅すぎる後悔をする彼は、もはや部下も奴隷も失い、なにもかも失ったも同然だった。


 逃げるしかない。震える彼だが、トラックのフロントガラスに影が舞い降りる。


「なっ⁉」


 フロントガラスは割られ、運転手が引きずり出された。悲鳴を上げながら、そのまま道路へ捨てられた。ジーンがハンドルに手を伸ばしたが遅く、コントロールを失ったトラックがガードレールに激突し、横転する。


 煙を上げているトラックの中、ジーンは意識を失いかけていた。

 それを覚ますように、トラックから引きずり出した手の主が、首元を掴み持ち上げて問う。


「今度こそ答えてもらおうか、ダイヤのジャックをどこで手に入れたのかを」


 メネスが、その黒装束を血の赤で染めていた。煙に揺らぐメネスへ、ジーンは途切れそうな声を出した。


「お、俺の部下は……」

「殺した。一人残らずな。それから追ってきた」

「は……はは……化け物どころじゃねぇ……」

「もうお前は終わっている。最後に答えろ」


 部下も奴隷も失った。この騒ぎではブリシアも来るだろう。文字通り、彼の野望はここで終わった。その発端となったダイヤのジャックを、彼はポケットから取り出した。


「てめぇは……なんで、これを追ってんだよ」


 ダイヤのジャックを前にすると、メネスは少し目を伏せた。怒りに震え、掴む手に力がこもる。


「俺は、犯罪者にこれをばら撒いてる奴を……」


 メネスの注意がダイヤのジャックに向いた。ジーンはヒヒッと笑うと、その先を促す。


「俺が死んだり、ブリシアに捕まっちまったりしたら聞き出せねぇんだろ? 事情を話してくれよ。どうせ空獄送りだ。なんでも話してやるぜ?」

「……俺は、奴を追い詰めて――」


 メネスの言葉が止まった。その隙に、彼は手にしていた銃をメネスの顔面に向けた。

 脳みそぶちまけろ! と、最後に言うつもりだったのだろう。しかし、銃弾はメネスを大きく外れた。


 メネスが銃を持つ手首を握り、骨を砕いたのだ。

 彼は想像すらしたことすらない激痛に絶叫を上げる。

 そんなことは知らず、メネスは腕に力を込めた。


「奴を――ダイヤのジャックをばら撒くヘクトールを追いかけ見つけ出し、殺す」


 凄まじい殺意の籠る声だった。そしてヘクトールの名を聞き、彼は戦慄した。


「あの……イカレタ殺人鬼を……?」


 全エリアで指名手配中の連続殺人犯だ。警察組織ブリシアをあざ笑うように犯行を繰り返し、被害者の血を赤い池のようにばら撒いている。


 犯罪者の中でも、表裏問わず、浮遊都市社会で恐れられている存在。


 そんな化け物と戦う気の相手に勝てるはずもない。諦め、ジーンが答えを口にしようとして、メネスはトラックから流れ出たガソリンを見やる。引火し、炎が迫っていた。


「クソッ」


 彼を捨て、メネスは背後の建物に飛び乗った。次の瞬間、トラックが爆発する。

 ジーンは炎に飲み込まれ、燃え尽きていく。


 また進展はなかった。ヘクトールはこの二年、メネスと遊ぶようにヒントを与え、そして逃げている。ブリシアが駆けつけてくる中、メネスは面倒ごとに巻き込まれないよう、その場を去った。


「次だ。次がダメならその次だ……待っていろ」


 純粋な殺意――いや、復讐心がメネスの中で脈打っていた。

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