15
三日が経った。あの後アリサと合流し、すぐに空へと逃げた。グールたちを殺すこともできたが、もう必要以上には殺さないと決めたのだ。
それからしばらくして、再びドームを出て、エリア一へと戻った。アリサは、もう一生やらないと愚痴をこぼしていたが、どこか満足気だった。
しかし、浮遊都市が被った被害は大きい。中央エレベーターを含む多層への移動手段が全て爆破されたのだ。経済的な損失は計り知れない。
ただ直すだけでも人を雇い部品を発注しなくてはならない。こうなると、浮遊都市社会のお偉方は廃業していった奴隷商をいけないと思いながらも欲してしまう。
この機に乗じて闇に紛れる悪も生まれるだろう。メネスだけではなく、ブリシアもそういった悪の芽を見張っていた。
だが幸いなことに、エレベーター内にいた人々は無事だった。ヘクトールはあくまで移動手段を封じただけであり、使用された爆薬は少なかったのだ。怪我人はいるが、死に至るようなことはないだろう。
メネスは三日間、過去ではなく、まずは今のために生きようと、エレベーター内に取り残された人々を救う作業に徹していた。閉ざされたエレベーター内で震える人々に手を伸ばし、一人一人救い上げていく。
いつか、璃子の前で誓ったような影響力のある存在になるため、まずは目の前の一人を救おうと決めたのだ。
それにこの行為自体、オパーズへの偏見を和らげることに繋がるだろう。
メネスに救われた人は皆、感謝の言葉を残していった。決して恩を忘れないと言ってくれた。こうやって、少しずつメネスの名を広げていけばいい。
確かな感触を、メネスは感じていた。
とはいえ三日経っても、まだ他のエリアに行くことは難しい。それは、なによりも優先しなくてはならないヘクトールの身柄の移動ができないことを意味していた。
空獄へ送るか、死刑か。いったんエリア一のブリシア本部へ送られたヘクトールに下される罰はわからない。今回の一件で、オパーズへの敵対派が声を上げたが、逆にオパーズを保護すべきだという声も出たのだ。いろいろと言葉を並べて保護だとか口にしているが、本心は今回のような報復を恐れてのことだろう。
まさにその報復を、ヘクトール自身が起こしてもおかしくない。エレベーターの復旧作業の途中に、メネスはヘクトールを閉じ込めておくための方法を伝えた。エリア一にある物資で間に合うとのことだったので、脱走されるようなことはないだろう。
とにかく、今はエレベーターの復旧を手伝うことに集中する。エリアとエリアの間で止まったエレベーター内で作業をしていると、上から声がする。見れば、アリサが呼んでいた。
ヒョイヒョイ駆け上ると、アリサはついてくるように促した。
「ルーカスさんが呼んでるのよ」
なんの用なのか、メネスには予想できた。アリサと二人、ブリシアや消防が行き来するエリア一を歩いていると、「それにしても」と声がする。
「やっと、アタシはここの家に戻れるみたい」
「……よかったな」
「なによ、アンタがそんなこと言うなんて珍しいわね」
「俺も、生き方を変えようと思ってな。人との接し方も学んでいるんだ」
感心するよう、アリサは「へぇー」と間延びした声を出す。
「最初にタッグを組んだ時のアンタから考えると、とんでもない進歩ね」
「まぁな。しかし、お前はブリシアを辞めるのか?」
メネスが問いかけると、アリサは「どうしたもんかしら」と迷っているようだ。
「今回の功績が認められたけど、使える魔法が変わったわけじゃないからね。またいつか追い出されるかもしれないのよ。ブリシアの仕事も、なんやかんや楽しかったし、やりがいもあった」
「時間ならある。ゆっくり考えればいいだろ」
「……なんか、ホントにアンタの言葉が柔らかくなったというか、棘がなくなったというか」
「もう復讐者じゃないからな。夢も見つけたことだし、あまり敵を作る言葉使いは控えるつもりだ」
メネスなりに、この先の数百年を生きる練習は始まっている。アリサも納得したように、微笑んでいた。
~~~
エリア一のブリシア本部に着くと、ルーカスが出迎えた。この三日間は忙しくて会えなかったので、ルーカスはようやくメネスを褒められた。
「とはいえ、これでお前さんとは縁が切れちまうのか」
元々、ヘクトールを殺すためにブリシアに協力していたのだ。そのヘクトールが捕まって、法の裁きを受けるのなら、メネスはここに残れない。残りたいのなら正式な手続きを踏んで、警察組織として適任かどうかの試験を受ける必要があるが、そんな知識も技術も持ち合わせていなかった。
「しかしだ、お前さんは……これでいいのか?」
ヘクトールのことだろう。このままだと、メネスはヘクトールを殺すことはできなくなる。今も、ブリシア本部の地下に、最高セキュリティが敷かれて、ヘクトールに近づくことはできなくなっている。
「ほら、最初にお前さんと約束しただろ。殺すってなった時、俺が上の奴らを誤魔化してやるってよ。こんなこと言うのもなんだが、今ならまだ間に合うぜ?」
メネスは黙考する。ルーカスも黙って言葉を待っていた。殺すのか、生かすのか。
ヘクトールの生殺与奪は、メネスが握っていると言っても過言ではない。
「……奴に、会わせてくれるか」
考えた後、メネスはそう言った。静かな声で、それだけをルーカスに伝える。
「……」
ルーカスは、メネスをジッと見つめている。その顔がいくらか上下に動くと、「手続きをしてくる」と言い残し、去っていった。
「殺す気なの?」
二人の様子を眺めていたアリサが、不意に言う。メネスはただ、黙ったままだった。
尊敬する親を殺され、救ってくれたシールを殺され、エミリーを使って二年間追うことを強い、最後に復讐してこようとした相手
正直なところ、メネスはヘクトールが憎い。未だに少なからず殺してやりたいとも思っている。
「ま、アンタの人生を滅茶苦茶にした相手だから――なにをするにしても、冷静にね」
メネスは無言で頷いた。やがてルーカスが部下を一人連れてくると、地下室へと階段を降りる。
セキュリティは、全て無効化されていた。赤外線も警備員も、メネスを止めることはない。
「ここだ」
ルーカスが、四角い防音ガラスに囲まれたヘクトールの元へ案内する。中にいるヘクトールは、メネスを見て不気味な笑みを浮かべた。
「一応、犯人逮捕の功績が認められて、最後に同族を見送るっていう形にしてある。一人だけ俺の部下が同席するが、構わないか?」
今横にいるブリシア隊員だろう。背筋をピッと伸ばし、真剣な面持ちだ。腰のホルスターに拳銃が一丁あり、なにかあれば、それで対処するのだろう。
「開けてくれ」
メネスの声音は、今この時のみ、復讐者の低く腹の底へ響くような声に変わった。ルーカスがカードキーを通して扉が開く。部下と共に、ヘクトール用の牢屋に入った。
メネスと、ヘクトールの赤い瞳が交差する。両手と両足の関節部は、撃たれた傷が治っておらず、包帯が巻かれていた。
静寂が流れる。破ったのは、ヘクトールだった。
「やぁ、メネス君。遅かったじゃないか。捕まったその日には、ボクを殺しに来ると思ってたのに」
「……」
「あれ、ダンマリかい? おかしいな、二年間も焦らしたのに。まだ我慢するのかな?」
「……ずっとだ」
「ずっと?」
ヘクトールが首を傾げた。メネスは勤めて冷静に続ける。
「俺はお前を殺さない」
「殺さない? 殺さないだって? どうしたんだいメネス君。自分を偽るのはやめた方がいいよ?」
「お前に俺のなにがわかる」
「わかるとも、君もボクも吸血鬼で復讐者だ。いやそれ以前に、ボクは君が今浮かべている顔に何が書いてあるのかわかるよ。殺したくって仕方ないのに、ちっぽけな正義感とか道徳観とか、余計なもので殺意を隠してる」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」。ヘクトールは深いため息を吐き出した。
「つまらない演技はよしなよ。君は、とても切れ味の鋭い刃物のようにボクを切り裂けばいい。血に濡れて、復讐を果たす。それを望んでいるんだろう? 表面だけ取り繕っても、ボクにはわかる。そうだろ? メネス君」
「……お前は、法の裁きを受けるんだ。死刑は言い渡されない。いくらでも俺が、お前を永遠に閉じ込めておく方法を考える。お前はそこで、孤独に死ぬんだ」
メネスは断言した。流石のヘクトールも、その様子に動揺を見せた。
「そんなつまらないこと、言わなくていいじゃないか」
「楽しんでいたのはお前だけだ! 何度でも言ってやる! お前は闇の中、孤独に死ぬ! 俺も、他の誰も、お前が死んだことにすら気づかない闇の底でな!」
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ、違う! そんなはずじゃないだろう⁉ こんなに時間をかけたのに! なんで君は殺さないんだ! 一緒に二年間も追いかけっこをしただろう⁉」
「俺はもう、振り返らない。未来のため、オパーズと人間が手を取り合える社会のため、俺は前に進む。闇の底へ送ったら、お前を思い出すこともない!」
ヘクトールはしばらく黙ってしまった。だがやがて、口を開く。
「がっかりだよ、メネス。君ならボクを殺せるのに。殺したいと思ってるのに――まぁいいか」
まるで電池が切れたように、ヘクトールは静まり返った
「ボクは考えを変えることにしたよ。ここで死ぬより、いつかカムバックして社会を壊した方が楽しそうだ。だから、もう君には用はないよ」
そんなことは絶対させない。メネスは確固たる意志でヘクトールへ告げた。
「面会は終わりだ」
背を向け、メネスは去っていく。ヘクトールはもう、笑わない。言葉通り、いつか帰ってくるための計画を練っているのだろう。
決してそのようなことはさせない。シールの夢であり、璃子へ誓った新しい未来を創るのだ。
「本当に、いいんだな」
地下から出ると、ルーカスが言う。
「俺はてっきり、殺すもんだと思ってた。だからお前さんが逃げられるように警備も手薄にしたし、警報装置も切っておいた」
「……俺の復讐は、もう終わっている。今日、奴に会ったのは、この二年と決別するためだ」
「復讐者メネスが、ただのメネスになるための通過儀礼みたいなもんか。まぁ、変に騒ぎが起きなくてよかったけどよ。お前さんがそれでいいなら、俺としてはなにも言うことはねぇ」
「今更だが、お前はいい警官だな」
古臭い呼び方だと、ルーカスは笑った。そして、ポケットから一枚の紙きれを取り出す。決別したとはいえ、二年間目にしてきたダイヤのジャックが重なって見えた。だが差し出されたのは、白紙のメモ用紙だった。
「しばらくはエレベーターの復旧作業で、ブリシアもてんてこ舞だ。そういう火事場を狙って、暗躍する連中は必ず現れる。もし俺たちだけじゃどうにもならなくなった時、手を貸してほしくてな。連絡先を教えてくれるか」
そんなことか。メネスはダイヤのジャックを頭から振り払ってから、どこの番号を書いたものか悩む。そもそも、今まで復讐のことばかり考えていたので、その他のことはおざなりだった。
寝場所は路頭でよかったが、飲食はレッドブラッドでまかなっていた。
エミリーがいない今、レッドブラッドは責任者がいないわけだが……。
しばらく考え、レッドブラッドの電話番号と住所を書いておいた。
「たしか、バーだったな。お前さんの秘密基地か?」
「そんなところだ」
「にしても、エリア三か。まだエレベーターが直ってねぇから、しばらくは戻れねぇぞ?」
「問題ない。爆破の時は炎があって入れなかったが、今なら内部を伝って下りていける」
あやかりたい。ルーカスはいくらか笑って言うと、手を差し出してきた。
「連続殺人犯ヘクトールの逮捕と、テロの阻止は見事だったぜ。そんな英雄と、握手させてくれよ」
これからは、こういったやり取りも上手くこなしていくべきなのだろう。ルーカスの手を取り、固く握手を交わした。
「俺も助かった。この恩は忘れない」
「すっかり丸くなったことで……んじゃな」
ルーカスが手を離し、背を向けた。メネスも去ろうとすれば、「そういえば」と、ルーカスの声がする。
「一人だけパートナーがいなくて困ってるやつがいるんだよなぁ……本人が残るかどうかはさておき、どうしたもんか。この際、正規の試験をクリアしてなくても、有能なら雇うんだがなぁ」
「――レッドブラッドは、夜も酒以外にコーヒーを出してる」
それだけ言い残し、メネスは去っていった。
~~~
エリア三の夜は、正直アリサにとって訪れたくないところだった。あれだけの騒ぎがあったというのに、ほんの数週間で、元のありようを取り戻している。同じように、各エリアで犯罪者も活動を再開している。
この二年、ダイヤのジャックを受け取った犯罪者を裁く『誰かさん』がいた。
夜の闇に紛れて戦っていた誰かさんは、今ではすっかり見なくなった――というより、情報を仕入れられなくなったようだ。
誰かさんの仲間はことごとくいなくなってしまった。困っているだろうとアリサは思う。どうせなら手を貸してほしいと言ってくれたらいいというのにとも思う。
「しっかし、ルーカスさんはなんでこんなところに……」
箒にまたがりユラユラと飛んでいるアリサは、ブリシアに残る決断をした。家に戻ってもいつかは厄介者扱いされるだろうことは明白だったのだ。ならば、ヘクトール逮捕に貢献した実績を生かすため、ブリシアに残ることにしたのだ。
とはいえ、いい加減にパートナーがいないと仕事にならない。効率的に、魔法で遠距離から攻撃でき、空を飛べるアリサには、犯罪者たちの近くで戦ってくれるパートナーがいた方がいいのだ。その旨をルーカスに伝えると、ここへ――どういうわけか、レッドブラッドへ行けと言われたのだ。
(アイツとのことを思い出すわね……)
アリサの脳裏によぎるのは、復讐に身を焦がし、復讐に生かされていた吸血鬼の姿だ。
まさかタッグを組んだときは、エリアの外にまで行くことになるとは思わなかったが、今となっては刺激に満ちた日々だったと思える。
その人物と比べると、誰がパートナーでも見劣りしてしまう。ため息を吐きつつ、アリサはレッドブラッドの看板を見つけた。箒から降りて、改めて看板を見る。
(なんか、綺麗になったような……)
つっ立っていると、火照った顔をした酔っぱらいがアリサとぶつかった。
「っとすまねぇ」
「ああ、いえ、こちらこそ」
怒鳴られるかと思ったが、意外と理解のある人だったようだ。軽く頭を下げてから、階段を下り、扉を開ける。
カラン、と音を立てて中に入ると、前に来た時よりお客さんが明るい顔をしているように見えた。
テーブル席へ行こうとして、アリサは思いとどまる。今は一人なのだ。気を落としつつ、カウンターへ腰かけた。
俯くアリサがメニュー表を開こうとして、カウンターにエスプレッソと、十五本のシュガースティックが置かれた。
驚くアリサへ、声がする。
「バーに来てまでコーヒーを飲むのも、いいものだろ」
見上げたアリサは、思わず笑みを浮かべていた。
「まぁね。ここなら苦いだけの泥水に何も言わなくても砂糖を追加してくれるから」
シュガースティックを破いて砂糖を流し込むと、ドロドロになったエスプレッソをかきまぜる。一口飲むと、心地のいい甘さが口の中に広がった。
「で、忙しいはずの魔女はこんなところになにをしに来た?」
「忙しいのはいいんだけど、一人だと疲れちゃうのよね」
「そういう時に飲むコーヒーはいい物だろ」
「まぁね……忙しいなか来たのは、ここなら趣味の合うパートナーを紹介してくれるからなんだけど?」
バーテンダー姿のメネスは、ようやく出番が来たかと、磨いていたカップを置く。
「ここのところ、レッドブラッドの営業で手一杯だったが――つい昨日、店の経営を他の奴に任せられるようになったところだ」
「じゃあ、一緒に来てくれるかしら?」
メネスはフッと笑い、アリサを瞳に映す。もう復讐の炎が揺らいでいない赤い瞳に。
「いいのか? せっかく成果を上げたのに家に帰らなくて」
「今更それ言う? ていうか、まさかアタシに黙って家にいろっての?」
「いや黙ってもらうのは困るな。俺としては、お前には魔女の立場からオパーズたちの偏見をなくしてもらいたかったんだが……」
「そのことね……」
アリサはしばし考える素振りを見せると、レッドブラッドへ来ている客たちに目をやる。前に来た時よりも少々明るくなった気がするが、まだ彼らは虐げられた存在なのだ。ヘクトール逮捕の実績を家に持って帰れば、浮遊都市社会に意見することも可能だろう。
現場はルーカスに任せればいい。足りなければ、あの「誰かさん」に情報を流せばいい。その役割を担いながら、エリア一の家に戻ることもできる。
そう考えてはみたが、どうにもスッキリしない。アリサは言葉を探すと、どうにも言葉で表してしまうと、自らのイメージが壊れてしまいそうな気がしてしまう。
なにせ考えれば考えるほど、魔女として偉そうにしているよりも、魔女として現場を飛び回っている方が楽しかったのだから。
クリスティーナ家の魔女アリサよりも、ブリシアの魔女アリサの方がしっくりくる。
そのまま口にしようとして、少し意地悪に言い方を変えた。
「ま、アタシは何をさせても有能だから。そりゃ政治活動もできるわよ? でも、そうすると「誰かさん」が寂しくなっちゃいそうで心配なのよ」
誰かさんね。メネスは正直じゃないアリサへいくらか頷くと、カウンターを乗り越えてきた。
「正直退屈だった。それにまだこの先長いからな。俺の新しい夢に向かいながら働くとして――なにから始める?」
そうこなくては。アリサは席を立つと、今起きている事件を思い返す。
憑き物が取れたようなメネスが、再び戦いの場に戻る時が来た。
しかしその手は、誰の命も奪う気はなかった。
彼の血に濡れた復讐は、もう終わったのだから。