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始まりの夢を見た。両親がヘクトールに殺された時、怯えることしかできなかったメネスが、恐怖を捨て去り復讐者になった時の夢だ。
ベッドに横になっているようで、腕には点滴が刺されている。不要なので引き抜こうとして、頭になにか飛んできた。
「怪我人なんだから、ジッとしてなさい」
白い部屋の入り口に、アリサがいた。杖を手に、こちらへ向けている。
「これは、石か?」
アリサが飛ばしてきたのだろう、小さな石ころ。寝たまま明かりに照らしてみるも、ただの石だ。
なぜこんなところにあるのか。聞くと、アリサは前も見たでしょうと言った。
「岩石の魔法よ。まぁ岩石って言っても、特別な鉱石とか宝石の類は出せないのよね。ただの石なら、いくらでも生み出せるのに」
「そうか……クッ……」
起き上がろうとして、腹に鈍い痛みが走る。
「俺としたことが、ナイフで刺されるとはな」
再び横になると、アリサはたいしたものだと皮肉気味に言う。
「アンタのお腹に刺さってたの、あれナイフって言うより出刃包丁よ? 出血も酷くて、ここに運び込まれたアンタを見たときは、もう死ぬもんだと思ってたのに……」
普通の病院に送られなかったのは、吸血鬼だからだろう。オパーズごとに体の作りそのものが違うので、基本的に病院では受け付けてくれない。シールはそれを取り払おうとしていたわけだが、現状、オパーズが頼れる病院はない。
しかし、「死ぬものだと思っていた」か。
「死んだら泣いてくれるか?」
冗談のつもりで言ったメネスを、アリサは鼻で笑った。
「アンタはヘクトールに復讐するまで、殺しても死なないでしょ? けど、半日で目を覚ますのは驚いたわね」
「これでも吸血鬼だからな。おとぎ話の世界じゃ不老不死扱いされてるだろ。実際、心臓と脳以外なら、刺されても撃たれても死なない。出血も問題ない。しかし、半日か」
メネスが壁にかかった時計を見やると、丁度昼の十二時だ。エミリーとの一件が夜の十時ごろだったので、半日よりかは少し遅れている。だがそれだけあれば、エミリーを適切な場所へ移送できたはずだ。
そこのところをメネスは聞くと、しっかり特殊合金製の手錠をはめて、牢屋の中だそうだ。
「アンタに会いたがってるけど、まだ無理ね」
「俺は……いや、会わないとダメだな」
躊躇してしまった自分がいることに、メネスはなんとも言えない気持ちになる。
エミリーはもう、シールと過ごした日々から付き合いのある情報屋ではなく、ヘクトールの従属であり、明確な殺意を向けられている相手なのだ。
もうさんざん辛いことは乗り越えて、慣れたつもりだったが、やはり本人の口と行動でハッキリ示されてしまうと、心が重たくなる。腹の傷で動けない時間、色々と整理しておかないといけないだろう。
「それで、お前たちの方はどうなった」
ロクでもないことになったのは確かだろう。途中通信があったのと、メネスの前にヘクトールが現われなかったこと。そこら辺を考えれば、いくらでも悪い予想がつく。
アリサは見たところ無事のようだが――答えに窮しているようだった。少し経つと、両手を振って、やれやれといった様子だ。
「レイスだったかしら? あれを食らったわ。アタシはなんとか空に逃げたけど、源一郎と璃子は行方不明よ」
「行方不明? それだけか?」
てっきり、二人も殺されていると思っていた。メネスの復讐心という炎に薪をくべるよう、無残に殺されたと。
しかし、エミリーは「それだけじゃないわよ……」と、深いため息を吐く。
「ヘクトールって奴、どういうわけか仲間を増やしてたのよ。アニエスみたいな、従属ってやつ? とにかく吸血鬼が大勢現われて暴れ始めたの」
「従属を増やしただと? どれくらいだ」
「空から見た感じだと、十かそこらね。今も、一部の区画が封鎖されてるわ」
十。その数に、メネスはあり得ないと黙りこくった。血を分け与えるだけで従属にはなれるが、ある程度の量は必要だ。ヘクトールだって血液量は変わらない以上、短期間に十人も作れない。つまりいたとすれば、以前から隠れていたわけだ。
もし十人もの吸血鬼がいれば、ブリシアでは止められない。話が本当なら、今頃エリア一は混沌に飲まれているはずだった。
なにかがあったのだ。想定もできない、なにかが。
「とにかく、アンタは寝てなさい」
すぐにでも動きたいが、こんな状態で、突然現れた吸血鬼の謎を解くのも、エミリーの本音と殺意を受けきれる自信もない。言われた通り、そのままでいた。
「それじゃ、アタシは別の仕事があるから」
なにをするのかメネスが聞こうとして、アリサは出ていった。
ここは、ブリシア支部の医務室前。アリサは手に、一枚の手紙を持っていた。
いつものように、「メネスへ」と書かれて。
「まだ渡せないわねぇ……」
つい中身を見てしまっただけに、メネスに知らせるのは機をうかがう必要がある。
別に、難しいことではない。内容はシンプルだ。
『エミリーが負けることは想定済みだよ。彼女も勝てるとは思っていないだろうね。まぁそれはいいんだ。ただ事情が変わって、この前のなぞなぞの答えを早急に解かないといけなくなったんだ。答えは変わってないから。それじゃ、頑張ってね』
未だ解けていない、二問目のなぞなぞ。当初はアニエスの時のように、向こうからヒントを出してくると思い、解く必要はないと放置していた。
だがここに来て、再び手紙を寄こしたのだ。なにか意味がある。アリサはそう考えていた。
メネスが動けず、動けてもエミリーとの面会が待っているのなら、アリサが解くしかない。医務室から出た足で、資料室へと向かった。
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メネスが目覚めた昼から夜遅くまで、アリサは資料室横のコンピュータールームで謎解きに必死だった。とにかくルーカスのまとめた紙のデータと、資料室のファイル、パソコンで調べたこと、それらを机に並べ、なぞなぞと向き合っている。
『スペインやポルトガルでポーカーをやる時、一番下にいる男の姿をした女ってなんだ。ダイヤのジャックを忘れずにね』
椅子の背もたれに寄りかかり、ダイヤのジャックをつまんで見る。
「答えは男か女の二択なら、単純に二分の一に賭ける? 流石にそれは……」
一人で唸っていると、コンコンと扉を叩く音がする。見れば、マグカップを持ったルーカスがいた。
「昼間っからぶっ通しだろ? 少しは休めよ」
マグカップと、ポケットからシュガースティックをガサッと置いたルーカスに、アリサは礼を言う。
「ですが、今手が空いているのはパートナーのいない私くらいですよね」
「まぁな……上も管轄がどうとか言わなくなっちまった。そこらかしこで起きてる、吸血鬼の暴走事件にてんてこ舞いだ」
ヘクトールが増やしたのは、昨晩の十人だけではなかった。各エリアでヘクトールの従属と思しき吸血鬼が人を襲っている。
共通するのは、皆、元は別のオパーズだったことだ。大事に至っていないのは、ルーカスの指示と、アニエスのように途中で限界がきて倒れるからだ。
「スーツを着れば、四、五人でどうにかなる。数も、まだ二十ってとこだ。だから抑え込めてるが、もしこれが全エリアで起こったら……」
「浮遊都市は、吸血鬼のものになりますね」
「その通りだよ、畜生。せっかく静かになってたオパーズ敵対派も、この機にオパーズを全員空獄へ送るべきだとか言い出しやがった」
魔女以外はな、と、ルーカスは言わなかった。もうすでに、魔女をオパーズと呼ぶ者はいないという表れだろう。
「ルーカスさんは、オパーズの味方なんですね」
言うと、ルーカスはコーヒーを啜って、そりゃな、と返す。
「悪い奴も確かにいる。どうにもならねぇレムレースだとか、ヘクトールだとかな。だが、メネスみたいなのもいる。なにより、レムレース逮捕はオパーズの力があったからだ。俺はそれを忘れねぇよ」
当時、現場でメネスの両親とレムレースを捕らえたから言える言葉だろう。
アリサも、それには納得だった。
「にしても、なんでトランプなんだ」
「なんで、とは?」
「トランプは遊び道具だろ。誰だって知ってる代物だ。今はケツに火がついてるが、落ち着いて大人数で調べりゃ、由来からなにまで丸裸にするのは簡単だろ?」
「――もしかして、今回もヘクトールはなぞなぞにはあまり意味を込めていないのかも」
アリサの頭に、一つの仮説が生まれる。トランプを使ったなぞなぞは、本当にただの遊びであり、メネスを弄ぶものだと。現に、一問目はヒントなしでは解けるものではなかった。向こうからわざわざヒントを寄こしたほどだ。
まるで、遊びのように。友達と知恵比べをする子供のように。
「遊び……」
一つ、小さな光が見えた気がした。アリサはスペインとポルトガルについてまとめたノートと、ポーカーについてまとめたノートを開く。
そして、ダイヤのジャックをノートの上に置く。
「一番下……下?」
おそらく謎に使われているダイヤのジャックは――というよりジャックは数字で言うところの十一だ。下というより、上に位置する。けれども、一番上ではない。一番上は、キング――十三だ。
「ん? んんん? 一番下って、一よね……いやでも、ポーカーなら二ね……で、ジャックは十一……」
なにかひっかかるのだ。あと一歩で答えにたどり着けそうな感覚がする。
そこへ、ルーカスが何気なく言う。「弱いカードではある」と。聞き返すアリサへ、ルーカスは秘密だぞ、と、辺りに誰もいないか確認してから話し出す。
「若いころ、ちょっとばかし違法カジノってやつに手を出しちまってな。ブリシア隊員が見張ってたってことにして誤魔化したんだが、そん時に、ジャックは弱かったなってな」
「なぜ、弱いんですか? エースを含めれば、上から四番目ですよね?」
「それがなぁ、ポーカーだとジャックがペアで来ても、勝負に出たら結構負けるんだよ。絵札の中じゃ、最弱だからなぁ」
絵札の中では最弱。最弱ということは、つまり――
「――ああ! そういうことね!」
アリサの中で、答えへの道が見えた。
へ? と、なんのことかわかっていないルーカスを他所に、アリサは答えにたどり着く。
一銀下とは、絵札の中で一番下という意味なのだ。そこにスペインやポルトガル関連を合わせて考えると、しっかり答えが出た。まず間違いなく、男か女かなら、こちらだと、確信が持てる。
どういうことかわかっていないルーカスへ、アリサは熱を込めて説明する。
「かつて、スペインやポルトガルでは、男性が描かれていても一番下の絵札をソタと呼んでいたんですよ! そして、ソタは両国で女性名詞です! つまり、なぞなぞの答えは女です!」
興奮気味に熱弁したアリサだが、ルーカスはしばし考えてから口にする。
「だから、なんだ?」
「えっ……」
「いや、だからな? 確かに女であってると思うぜ? だけどよ、だからって、なにも解決してねぇんだ。吸血鬼問題も、ヘクトールの居場所も、なんもな」
熱が引いてきたアリサは、ガタッと落ちるように椅子へ座った。机に顔を付けて、唸っている。
「アタシの熱意と時間を返せぇ……」
ヘクトールは遊んでいた。ここまで仮に解けてもどうでもいいなぞなぞを提示していたのだと、アリサは痛感している。
ルーカスが肩をポンと叩き、お疲れさんとだけ言うと、アリサは部屋に帰っていった。
「まぁ、一応覚えとくけどよ」
アリサが散らかしっぱなしのままにした資料を一纏めにし、ルーカスも欠伸をしながら部屋を出た。