とある少女の恋愛事情
私には、愛して止まない人がいる。最初は、私の一目惚れから始まった。彼の名前は『隼人くん』、サラサラとした黒い髪、榛色の瞳、知的な眼鏡をかけていつも余裕そうな笑みを湛えている……。
彼とはスマホで話しているの、彼ったら忙しいみたいで会うことは難しいのよね……。
彼の話を聞くことは少ない、寡黙な彼はやっぱり素敵。私の話をいつも黙って聞いてくれる。
今日も寝る前、ベッドの上に寝転がって、彼の写真を見つめて過ごすの。なんだか仕事が忙しいみたい。うーん、ちょっぴり、寂しいな……。
「隼人、大好きだよ」
ちらりと時計を見る。あと五分で二十三時、彼の仕事が終わる時間。二十三時になったら、すぐに連絡するんだ。楽しみだな、早く会いたいな。
私の彼氏、隼人はとっても人気者。今日なんか、電車の中で隼人の姿を見かけたわ。若いだけが取り柄の、脳みそもまともに入っていないような女子高生たちのスマホの画面に。
でも残念ね。彼は私のもの。彼のことを一番理解しているのは、私しかいないんだから。
――さて、私も隼人に会いに行こう。
私はイヤホンをして彼と会えるアプリを開く。彼と会うためにイヤホンをする理由? そんなの決まっているじゃない、彼からのメッセージボイスを聞くためよ。
私と彼は、相思相愛。そう信じていた。
でも、私は知ってしまったの……。私がこんなにも愛しているっていうのに、彼は私以外の女の子にも愛の言葉を囁いていたんだって。
きっかけは、つい先日の出来事。その日の私は、美沙と一緒に都内で行われているイベントに参加してきたの。美沙と私はある共通の趣味があったから、今回のイベントだけじゃなくて、今までいろいろなイベントに行ってきたわ。
そのイベントは、私にとって悪夢のようなものになった。
私の彼氏で人気者の隼人が、ステージ上に設置されたディスプレイの中に現れる。いつものスマホとは違う、大画面に映し出される彼の姿を私は最前列で見守っていた。もう感動しちゃって、涙が出るかと思ったわ。
『今日は俺に来てくれて、ありがとう。俺はみんなのことを愛しているよ』
――え? 『みんなのことを愛している』?
待って、どうして? 隼人が愛しているのは私だけのはずでしょう? なんで、みんなのことも愛しているの? もう、わけがわからない!
混乱している私に気が付いた美沙が、こちらを振り返る。
「どうしたの? 具合悪い?」
美沙は私のことを心配してくれているみたい。それもそうだよね。みんなは黄色い声を上げているのに、私は顔を引きつらせて棒立ちしているんだもの。
「ねぇ美沙。今さ、隼人が……」
私の声は微かに震えていた。美沙もそれに気が付いたのだろう。変な顔をして訝しげな視線を私に向けると何かを呟いていたようだった。小さくてよく聞こえなかったけど、「まさかあんた、本気で……」って言ってた気がする。
「えっと……。ほら、みんな隼人くんのことが好きなんだよ。なのに隼人君が一人だけを愛してるなんてことになったら、あんたはこの会場にいる『隼人くんのファン』を敵にまわしちゃうって思ったんじゃない?」
美沙は私の気持ちを宥めようとしてくれるけど、何か様子がおかしい。何となく、いつもの美沙じゃない。
「ほら、あんたの大好きな隼人くんが前にいるよ。今は楽しんでおきな」
美沙の言う通りに正面を向く、そこには私の愛しい隼人がいる。今は、それだけで十分だった。
イベントは、とっても楽しかったわ。帰りも美沙は私を楽しませようと、いろんな話題を振ってくれた。
でも、事実を知った私はショックを受けていたの。同時に、私ってバカだなぁって。
家に着いて自分の部屋に籠ると、どうしようもない気持ちでいっぱいになる。
スマホの画面で隼人と会って、今日のことを聞くの。私の気持ちも伝えたわ。
「隼人は、浮気してないよね?」
「愛してるって……。ずっとそばにいて欲しいって……。あの言葉は嘘だったの?」
「隼人のことなんて、好きにならなければよかった。そうすれば、私は私のままでいられたのよ」
「こわいの……! 隼人を好きになっていくと、私が私じゃない何かに作り変えられているような気がして」
なんで、なんで隼人はあんなことを言ったの? 私、悲しくて次から次へとぼろぼろ涙が溢れてきちゃう……。隼人の姿が涙で滲んでよく見えない。今日は隼人に会うからって頑張ったメイクも、きっと崩れちゃってる。
隼人があんなことを理由なんて分かってるわ。私もそこまでバカな女じゃないもの。でも……。
――認めたくないんだから、しょうがないじゃないの!
例のイベントから二日間、私は学校にも行かず部屋に閉じ籠り泣いていた。だって、ひどいじゃないの。あんまりじゃないの。
家族は私を心配しているようだけど、なんか腫れ物を扱うみたいだわ。あぁもう、ほっといてほしい。
「ねぇ、隼人。好きだったのに……」
部屋中にある彼のグッズ。その中の一つ、壁に貼ったポスターを見つめる。ベッドに仰向けに寝転んだまま、そっと手を伸ばす。
――こんなに好きなのに、愛してるのに……。
私の手は宙を舞い、そのままパタリとベッドの上に。
その後、どれくらいの時間が経ったのかしら?
ピンコーン!
部屋にラインの通知音が響く。フラフラと手を伸ばしスマホを手に取り画面を見る。美沙からだわ。
『ねぇ、あんた大丈夫? 学校にも来ないでどうしたの?』
――美沙、心配かけたよね……。
『ごめん。やっぱり、この間のショックだったみたい』
美沙に返事をすると、既読はすぐに付いた。
はぁ。とため息をついて、スマホを枕元に置く。なんだか、体がだるいわ……。疲れているのかしら? ぼんやりと、天井を見上げる。今は何も考えたくないわ。このまま眠ってしまいたい。
ピンコーン! ピンコーン!
急にスマホからラインの通知音が。
もう、何かしら? 人がせっかく眠ろうとしているのに……。
『あんた今日暇?』
『これから飲みに行こう。十九時半にあんたの最寄駅に行くから』
『ぱーっと酒飲んで、嫌なこと全部忘れちゃいな』
――美沙……。
私はベッドから起き上がると時間を確認する。今は十七時、家から駅まで歩いて十分くらい。私は美沙の誘いに乗るために外出の準備を始める。
『で、あんた行けるの?』
そう言えば、返事してなかったわ。わたしの答えはもちろん。
『いく』
『わかった。遅れんなよ』
美沙と飲み始めて、どれくらい経ったんだろ? 頭がフワフワしていーきぶん。
「美沙ちゃーん。私辛いよ、苦しいよ」
「あんたってどうして、酔いまわると私のこと『美沙ちゃん』って呼ぶわけ? いや、いーんだけど」
「私は、わたしはー、」
「もー、あんたはホントに」
美沙といるのはやっぱり楽しい。何より私の趣味を理解してくれる。あぁ、ほんと。 持つべきものは友達だわ。
私は机に勢いよくグラスを置く。なんか、大きな音がしたみたいだけど気にしてなんていられない。
「だからね美沙ちゃん、隼人には私以外に好きって言わないで欲しいの!」
「お、おう……」
「だって隼人は私の彼氏だもの。そう思うのは当然でしょう?」
美沙は怪訝な顔をしながら私の話を聞いている。この顔どこかで見たような……? うーん、思い出せない。
「あー、うん。あはは……?」
なんだか上の空な美沙に、私がいかに隼人のことを愛しているのかを話す。
「この先月だって一週間、私は隼人のために時間を割いていたっていうのに……」
「んー、と? そうだね、あんたはあの時。暇さえあれば隼人くん隼人くんってしてたもんね」
そうよ。先月の私は本気だったの。隼人との大切なイベント。うふふ、思い出すだけで頬が緩んじゃう。
「美沙ちゃんだって、悠里くんが他の女の子に好きだなんて言っていたら嫌でしょう?」
「そーだなぁ……。でも、」
美沙は言葉を濁しているみたい。『でも、』に続く言葉は何かしら? まさか美沙、悠里くんがいるのに浮気してるの? どうしよう、すごく気になる。
「でも? なによ?」
「ほら、あたしリア彼いるし」
美沙の口から発せられたのは、聞きなれない単語だったわ。どういうつもりで言っているのかしら?
「リア彼? なにそれ……」
「あれ? この間紹介しなかったっけ? 蒼太」
「え? ん、は?」
蒼太? あぁ、先週会ったかもしれない。でもその時、美沙は「あたしの連れ。荷物持たせるために呼んだ」って……。
「うそでしょ、まさか……。あの男が」
「そ。あたしの、彼氏」
美沙は、いったい何を言っているのかしら? 私のことをからかっているとか?
「待って、あの人が彼氏? 悠里くんとは全然違うじゃない」
「何でそこで悠里くんが出てくるわけ?」
「だって美沙ちゃんの彼氏は悠里くんじゃないの」
私の目の前で、美沙はわざとらしく大きなため息をついて見せる。私は当たり前のことを言っただけなのに。
「あのさ……、今まで敢えて言わなかったこと。言ってもいい?」
「なによ。言いたいことがあるのなら、言えばいいじゃない」
「あんたもさ、そろそろ現実見なよ」
現実って何? 美沙ったら変なこと言うのね。酔ってるのかしら?
「隼人くんが好きなのはわかるよ? あたしだって悠里くん好きだし……」
目を伏せて一度言葉を切ったかと思うと、顔をあげその瞳でしっかりと私の姿を捉えている。
「でもその好きは、恋愛の好きじゃない」
美沙は私に、分かるでしょう? とでも言いたげな視線を向けるのだ。
「あたしらが必死になってイベントを走って、走って、駆け抜けても。相手はゲーム内の一キャラクターでしかないんだから」
あ、そっか。美沙は悠里くん捨てるのね。その原因はぜーんぶ、リア彼とかいう蒼太ってやつ。
「なにがリア彼よ……」
「え?」
ずいぶんと面白いことを言うのね、笑っちゃいそうだわ。でも今は笑っている場合じゃない。私は大きく息を吸い美沙を睨みつける。そして叫ぶのよ。
「裏切り者―!!」