俺の同居生活はどこか間違っている。
ジョニーが消えた翌日。
俺はだだっ広い部屋の片隅で筋トレをしている。
正直、この世界で筋トレはあまり意味が無い。俺がどれだけ筋肉を鍛えても、透き通るような肌をしたトウカには力で勝てないという現実を知っているからだ。ボディビルダーみたいなマッチョになったところで鉄の棒を折り曲げるなんて事は出来ないって知っているからだ。
それでも俺は筋トレをせずにはいられなかった。
「心頭滅却ゥ! 心頭滅却ゥゥ!」
ムラムラしていたからだ。
宿屋では問題なかった。
あいつらが俺の部屋に来るのは数時間程度だったし、困った時は適当な理由をつけて夜の歓楽街へ足を運べばよかった。
でもこの屋敷ではそうはいかない。
親フラならぬ同居人フラの危険性が極めて高いからだ。特にアリアとステラ、あいつらは突然やってくる。発電してる最中に襲撃にあったとなれば今後の生活に多大な影響を及ぼすだろう。
それに、無事に発電を完遂したとしても発生した電気を捨てる場所が無いし、女の子はニオイで気付くと聞いた事があるから安易に発電できないのだ。
ニオイという点でこの屋敷の問題点を一つ思い出した。屋敷にはトイレが一つしかない。しかも消臭魔道具が設置されていない。
つまり、俺は気軽にうんこできない。
昨日だってあいつらが寝静まるのを待ってたら、夜中まで我慢する事になった。俺以外にもう一人男が居たらソイツのせいにすれば良いのだが、男は俺一人だからそういう訳にはいかない。王都を出る時にあいつらと同じ小袋型の消臭魔道具を買っとけばよかったと後悔してるが、もう遅い。
男って生き物は女の子の前では良いカッコがしたい生き物だ。
それは学校の廊下にスかした顔して立ってみたり、教室内で自分の存在を知らせるように大きな声を出してみたり、「○○君の筋肉すごぉーい」とボディタッチされたいが為だけに筋トレに励んでしまったり、女の子の前で男はそういう事をしてしまう生き物なのだ。
俺も男だ。
あいつらに、「今カケルうんこしてる」なんて思われたくない。
あいつらに、「臭い」なんて言われたくない。
昨夜は一瞬だけ小袋を借りようか迷ったが、俺は耐えた。そんな事出来る訳がなかった。それを言うってことは今からうんこします、って宣言するようなもんだ。
長年連れ添った夫婦や倦怠期を乗り越えた恋人同士ならそういう事が言えるかもしれない。
だが、俺とあいつらは出会ってまだ数か月だ。関係性を表すならクラスメイトの女の子ってとこだろう。
ただ、もしかしたらステラとトウカはそういう事への理解を示してくれるかもしれない。問題はあのクソガキだ。
アリアの性格から推測すると、俺がうんこをしているのを知った瞬間に「うんこマン」とか言っておちょくってくるはずだ。いや、そう言ってくるに決まってる。
俺は女の子と暮らすという事を甘く見ていたのかもしれない。
まさかこんな形で三大欲求の一つを制限されるなんて思ってもいなかった。
「ふぅ、次は腕立てでもやるか」
俺は体勢を変え、腕立ての準備をする。
そんな時、
「カケルー! この羽根もう捨てるんですかぁー?」
庭の方からアリアの声が聞こえてきた。
―― 羽根?
俺は縁側の襖を開けて庭を覗く。
アリアが洗濯物を干している様子が見え、
「これですこれー」
その手にはキングマルメドリさんからもらった白い羽根があった。
「…… あ」
ボロボロの羽根が。
―― あかん。
俺は庭に飛び出して、アリアの元へ駆け寄った。
「え、何で下着一枚だけなんですか……」
「そんな事は今はイイ。それをさっさとよこせ」
「…… 捨てないんですか? まだ2本ぐらいありますよね?」
「そういう問題じゃあねえ。うっかり服から外すの忘れてたなんてあのドラゴンに知られたらまずい」
「もう手遅れな気がしますが……」
俺はアリアから羽根を受け取り、元の状態に戻せるかどうか確かめる。
―― ボロボロに見えるのは水分でまとまってるからか?
指で羽根をなぞるが、チリチリになった根本の方は元に戻らない。
―― どうしよう。この羽根ってなんか繋がってるとか言ってたよなぁ。
修復できなさそうな羽根を見つめていると、アリアが口を開いた。
「カケルの事なんて忘れられてるでしょうし気にしなくてもいいんじゃないですか?」
「言い方は気になるが…… そうかもな。俺の事なんて覚えちゃいねえよな」
「ですです」
俺はアリアに羽根を渡し、
「じゃあもう捨てといてくれ」
「分かりました」
「そういや捨てるってどこに捨てるんだ?」
「……? 王都に行くときにまとめて持っていくんですよ」
「さいで」
発電諦めといてマジでよかった。
*
その日の夜、雨が降った。
洗濯物を取り込む手伝いをさせられ、一仕事終えた俺は湯舟で疲れを癒している。
「納得いかねえ」
湯煙を見上げながら不満を口にした。
「ふざけやがって。これじゃあえっちなハプニング起きねえじゃあねえかよ、くそっ」
大浴場に入る前に洗面所があるのだが、その扉に木製のプレートが掛けられていたのだ。そのプレートにはこう書かれていた。
【女の子使用中】
これでは入浴している時や風呂上がりの着替えの最中って事を知らずに入って、
「きゃーーー!」
「ご、ごめん! 知らなくて!」
みたいなイベントが起こらない。
気付かなかった、とか言って入り込んだ日には口もきいてくれなくなるだろう。トウカの裸なんて見てもいないのにあんだけ責められたんだからきっとそうなる。
「なーんか違うんだよなぁ」
そう、何かが違う。
俺が思い描いていたハーレム生活ってのと何かが違う。
「ぶくぶくぶくぶく」
湯を泡立たせながら俺は考えた。
俺自身とアニメの主人公たちとの違いについて。
―― 異世界からやってきたってのは一緒だよな。チート能力が無いってのは…… 関係ねえか。なら、なんだ? 顔か? いや、そこまで悪い顔はしてねえはずだ。ってかあいつらが顔で男を選ぶとは思えねえ。
「そうか!!」
俺は決定的な違いに気付いた。
―― 俺がおかしいんじゃねえ! あいつらがおかしいんだ!! アニメや漫画の女の子たちは主人公の男に対して明確な好意を寄せていたが、あいつらが俺に好意を寄せているなんてありえねえ。好き好きオーラみてえなもん全く見えねえ。嫌われてはねえだろうが、恋に発展する予感もねえ。あいつらはそういうヤツらだ。
考えた末に俺は答えを導きだす。
「ハーレムとはっ! 明確な好意を持たれていると確信した時、初めて成り立つモノである!」
と。
俺は満足感を得て大浴場を後にした。