俺の旅立ちはどこか間違っている。 3
陽は沈みかけ、周囲の景色は赤みを増していく。
これまで車輪が壊れそうな音を出しながら爆走していた馬車は、現在停車中だ。
周囲に草木のような緑は一つも無く、山の一部分を抉り取ったようなその道で。
「ひぃ、カケルカケルぅ」
アリアが俺の腕を掴みながら情けない声を漏らす。
「ほう、妾も見るのは初めてだ」
「私もだ。ジャポンティにも似たモンスターはいたがアレほど醜悪ではなかった」
緑色の肌を申し訳程度の布切れ一枚で包んでおり、吊り上がった口角からは涎が滴り落ちている。そいつらの瞳は真っ赤で、夕焼けのせいかギラギラと輝いても見えた。
それぞれの手にはこん棒やら錆びた剣やら刃がボロボロになった斧など、多種多様な武器がある。
俺はその醜悪を体現したようなモンスターを一目見て、
「アレが…… ゴブリン」
と、呟いた。
ゴブリン集団の襲撃。
異世界モノのお約束なら山賊や盗賊などが襲ってくる場面に、なぜかゴブリンの集団が現れた。
王都までの道中、人間の襲撃があってもアリアの言霊魔法があれば大丈夫だ、と考えていたのだが、実際に襲撃してきたのはゴブリン。
モンスターが相手ではアリアは戦力として数えられない。
ゴブリンたちは何かの合図でも待っているかのように、歯をがちがちと噛み鳴らしている。
「カケルぅ、ど、どれぐらいいるんですかあ」
涙声になってビビりまくっているアリアに視線を移し、
「二十から、三十」
と、『魂捜索』を使って得た情報を教えてやる。
―― そういえばこいつ、「ゴブリンは知能が高く、旅の途中の冒険者を襲う」とかなんとか言ってたな。
「わ、私たちはここで終わりですう。もう終わりですううう」
「おいうるさいぞ。何をビビってるのか知らんが所詮はゴブリン。俺たちも強くなったんだから怖がる必要ないじゃねえか。ステラとトウカはビビッてないだろ」
「…… 私もビビッてませんが?」
「ならその手を離せ」
「嫌です」
こいつ。
俺はもう一度オリの周囲を見渡す。
四方八方にゴブリンが位置していて逃げ場はない。
―― やるか。
オリの扉に手を伸ばす。
「カ、カケル! どこ行くんですか!?」
「決まってるだろ! ゴブリン倒しに行くんだよ!」
「正気ですか!?」
「正気だよ! オリにいたら安全なのは分かるが、このままオリに引きこもっていてもゴブリンどもは見逃してくれないだろうが! だよな? ウィル」
手綱を置き、腰の長剣を引き抜いているウィリアムに声をかける。
どうやらウィリアムは前方にいるゴブリンを倒してくれるようだ。
「カケル様の仰る通りです。ゴブリンは狙った獲物は絶対に逃さないと言われていますからね。この窮地、無傷で脱出できれば良いのですが」
あれ、騎士なのにちょっと弱腰じゃない?
いや、まあ数の暴力に晒されてるけどさ。でもゴブリンじゃん。
「ほらな。だからその手を――」
「カケルカケルカケル!!」
俺の腕を抱きしめる力が強くなり、その小さな指先は俺の背後を指差した。
「んだようるせえな! せっかくお前の代わりにゴブリンを倒し―― え? なにこいつ」
白く小さな指の先にソイツはいた。アリアやステラと同じぐらいの背丈しかないゴブリンとは違う。筋骨隆々で、斬馬刀のような大剣を持った巨体。
「なっ!? なぜこんな場所にパンプゴブリンが!?」
ウィリアムが驚きの声を上げる。
パンプゴブリンと呼ばれたそのモンスターは右腕を大きく振りかぶり、それを見た俺は叫んだ。
「伏せろっ!!」
俺たちの首を跳ね飛ばそうとする横方向への薙ぎ払い。
鋼鉄の天井が宙を舞う。
―― これはやばい。
俺は瞬時に次の行動へ移った。
「トウカ! ステラを頼む! 『アクセル』――っ!」
「分かっている!」
アリアを抱え、その場から離脱。
パンプゴブリンは、手応えが無かった、おかしいな、というふうに鋼鉄製のオリを斬った大剣をじっくりと眺めている。
―― くそっ!
「おいウィル! あんなのが出てくるなんて聞いてないぞ!」
「すみませんカケル様! 人類の脅威となるモンスターが出る道は避けていたはずなのですが」
俺はウィリアム、トウカと背を向け合い、他のゴブリンたちと視線を交わす。
―― 人類の脅威となるモンスターを避けていた、か。つまりあのデカいゴブリンは相当強いわけだ。だが、俺のパーティーメンバーは戦闘力だけなら最強。
「トウカ、あいつやれるか?」
「無理だな」
「え?」
剣豪トウカさんからの意外な返答。
「刀はあそこに置いてきてしまった。これでは『二天轟流』が使えない」
トウカはさっきまで俺たちがいたオリを指差した。
いつも大事そうにしている日本刀がゴブリンたちの戦利品となっている。
ゴブリンたちは珍しいモノを手にした時のような喜び様だ。
「なにやってんだああああああ!?」
「くっ! まさか忘却の魔法をゴブリンが使えるとは…… 不覚っ」
「忘れただけだろうが! さっきまで大事に抱えてたじゃねえか!」
「仕方ないだろう!? 私の刀よりステラの命の方が大事だろう!?」
「そうだけど! その通りだけど!」
正論を言われ、それ以上何も返せなくなる。
―― ならどうする。ステラに魔法を使わせてやるか…… いや、ダメだ。こんな時に幼女化でもされたら与える食べ物も無いし王都に入った時何を言い出すか分からない。
「ふふん! お困りのようですね」
俺の腕の中で、ロリっ子が腕を組んでどや顔をしている。
―― この子、自分の状況を理解しているんだろうか。してないんだろうなぁ。バカだから。
「何かあるのか? まさかお前がモンスターを倒すなんて言うんじゃないだろうな」
「ふふん! 私がモンスターを倒せるわけないです。いくら神でも不可能なコトはあります」
この野郎。
「なら何だよ」
「まあ見ていてください。刀よ! 神の元へ!」
アリアが声を出すと、ゴブリンたちが取り合いをしていた日本刀がふわふわと浮き、アリアの元へ飛んできた。
それを平らな胸の上に乗せ、
「どうですカケル? 見ましたか神の力を! これが私の真の実力です!」
「……」
ちくしょう。ナイスだけど褒めたくない!
「あれえ? どうしましたあ?」
「……」
憎たらしい。ああ、憎たらしい。このどや顔をひっぱたいてやりたい。
だが、今はそんなことをしている場合じゃない。
こいつのおかげでドジっ子属性さえなければ完璧なトウカが戦えるようになったのは事実。
「…… よくやった」
「え」
「なんで驚いてんだよ」
「今何て言ったんですか?」
こいつううううう。
きょとんと小首を傾げたポンコツ。
「よくやった、って言ったんだよ! 聞こえてただろうが!」
「そんな馬鹿な」
「何が!?」
アリアは俺の腕からぴょんと抜け出し、
「ステラ! トウカ! 今日のカケルおかしいです! 私を褒めましたよ!?」
「「そんな馬鹿な!?」」
こいつら後で一人ずつデコピンの刑にしてやろう。
『アクセル』で指先だけ超加速させた最強デコピンお見舞いしてやろう。デメリットなんてちょっと我慢して教会に行けばなんとかなる。たぶん。
平常運転でキャッキャしてるアホたちと違い、獲物を取り上げられたゴブリンたちはこちらを親の仇でも見るかのように凝視している。黒目が無いから良く分からないが、たぶんそんな感じの目だ、アレは。
「カケル様」
少し気まずそうにウィリアムが口を開いた。
「何だよこんな時に」
「大変申し上げにくいのですが……」
言い淀むウィリアムに、俺は先を話すよう促す。
「実は僕、エドラム騎士団の盾担当でして…… 攻撃手段がありません」
「は?」
「攻撃手段がありません。この場に留まり護る事はできるのですが」
「ならその剣は?」
「あぁ、これですか? これは宝剣イルバです。護る力はありますが敵を殺す力はありません」
なにいってんだこいつ。
「いや、剣なんだから刺すか切るかしたらいいじゃねえか」
「この剣は何物も切れないんですよ。見ていてください」
ウィリアムはそう言いながら、宝剣イルバを自身の首に突き立てた。
「おいっ! 何を―― あれ?」
「言ったでしょう? 何も切れないと。何かを斬ろうととしても直前で止まってしまうんですよ。そんな剣に選ばれた僕は、騎士団でこう呼ばれています」
「……」
「不殺の騎士、と」
「……」
おいこの騎士使えねえぞ。なにが不殺の騎士だよ。なーに決まった、みたいな顔してんだよ。
この状況でそんな顔ができるお前の頭の方がキマってるよ。
「安心してください。アリア様とステラ様の身は僕がお守りいたしますので」
「つまり俺とトウカであいつらを倒してこい、と?」
「さあアリア様、ステラ様。こちらへ」
「おいちょっと待――」
「この辺りでいいですかね。……『騎士団拘束解放・絶対守護領域』――っ!」
―― ちくしょう。この騎士嫌いだ。…… でもちょっとかっこいいかもしれない。
俺とトウカから少し離れた場所で、ウィリアムたちの周りに水色に輝く結界が展開されていく。
その光は少し強すぎたのか、パンプゴブリンが俺たちにようやく気付き、
『ヴォオオオオオオ!』
と叫び声を上げた。
待ってましたと言わんばかりに、散らばっているゴブリンたちも、
『ギィィイエエエエエエエ』
と気色の悪い声を発しながら一斉に動き始めた。