なんて罪深いんでしょう!
現在、日本の人口におけるキリスト教徒の割合は1%に満たないと言われている。
キリスト教はクリスマスやハロウィンという形で日本に浸透している割にその信仰心を集める機会は少ない。近くて遠い、身近で疎遠、そんな宗教だ。
俺も祭りだけ楽しむ日本人の一人で、それ以外はキリスト教とほとんど関わり合いのない人生を送ってきた。
唯一の関わりと言えば、毎朝ランニングで家の近くの教会を通ることくらいだろうか。
***
目が覚めると俺の視界には見知らぬ光景が映る。
辺りを見渡して見えたのは朝日の差し込むステンドグラス、その少し下に鎮まる十字架。
もう少し目線を落とすと目の前には教壇が、横に目線をずらしていくとパイプオルガン、後ろを向くと暗い木色のベンチ椅子が規則的に並んでいる。
どうやら俺は礼拝堂の最前列に座っているらしい。
いやおかしい。俺は先ほどまで毎朝の日課であるランニングをしていたはずだ。もっとおかしいのは俺の体が縄でグルグル巻きにされている事だ。おかげで全く身動きが取れない。
俺は必死に自分の記憶を辿った。確か、そうだ。教会の前を通った時、庭の木にとても美味しそうなリンゴがなっているのを見つけたのだ。一つくらい良いだろう。そんなことを考えた俺が悪かった。
腹が減っていた俺はついつい教会の庭に忍び込んで……。
あれ? それからどうなったんだっけ?
「なんて罪深いんでしょう」
不意に礼拝堂の入り口側からハリのある女性の声がした。
同時にコツコツとハイヒールで歩くような音が聞こえてくる。
ヤバイこれは怒られるパターンだ。
礼拝堂の中央を歩いてきた女性はそのまま俺の正面まで来て止まった。
「なんて罪深いんでしょう」
声の主はまるで汚らわしいものでも見るかのような目つきで俺を見ている。
彼女は赤縁のメガネを掛けていて繊細な顔立ちをしていた。
黒い修道服にベール。おそらくシスターだと思う。
だと思う、とあいまいな事を言ったのは彼女の服装が少々おかしかったからだ。
身体がとても肉感的なのはまあ置いておこう。
まず修道服の丈が異様に短い。ワカメちゃんとどっちが短いだろうかと迷うくらい際どいところまでキている上、横にスリットが入っているのだから完全にセクハラだ。目線を上げると胸元から大胆に肌がのぞいている。それもデカイ。リンゴ5個分くらいだろうか。
「どこを見ているのですか」
シスターは子供を叱りつけるような声を俺に向ける。
「す、すみません。俺はどうして縛られているんでしょうか」
シスターの表情が険しくなる。
「とぼけるつもりですの? なんて罪深いんでしょう!」
「す、すみません! リンゴを取ろうとしたのは謝ります! もうしません!」
「謝って済んだら神様なんていりませんのよ!」
キリスト教ってそんな宗教だったっけ?
「いや、俺が悪いのは分かるんですけど、なんで縛られてるんですか?」
「縛ってみたかったからですわ!」
予想外の返答に鼻水が出そうになった。
「あ、いや。りんご泥棒を逃さないためですわ!」
シスターは豊満なリンゴ畑を揺らしながら慌てている。もう遅いよ。
「そういう貴方こそ、なぜ我が教会からリンゴを取ろうとしたのですか!」
「すみません。ちょっとお腹が空いてて、出来心で……」
「まあ! なんて罪深いんでしょう!」
シスターはメガネをクイッと上げる。返す言葉もない。
「吹き矢で撃退して正解でしたわ!」
「ちょっと待て。俺吹き矢で襲われたの?」
「トリカブトでイチコロですわ!」
「致死毒じゃん! なんで俺生きてんの!?」
ひょっとしてここはあの世なのではないかと狼狽する俺。
するとシスターは俺の座る膝の横へ踏みつけるように右足を乗せ、そのまま上半身をこちらに傾けてきた。
果物のようにほのかな甘い匂いが俺の鼻を誘う。
シスターの足に押し付けられるようにして歪んだ胸はその柔らかさを感じさせる。
黒いハイソックスとスカートの間に見える太ももは雪のように白くはち切れんばかりで、スカートの裾からは漆黒のエデンが明瞭に見えている。俺は怒られているということも忘れてその光景に惚けていた。
「貴方、先ほどから反省が足りないようですわね」
シスターは俺の首に手を伸ばす。
ジャラリと金属のあたる音がした。
その手には鎖が握られている。
ん? 鎖?
自分では見えないが、どうらやら俺には首輪が付けられているらしい。
「あの、なんで首輪が付いてるんですかね……?」
「犬が欲しかったからですわ!」
あ、この人ヤバイ人だ。
シスターが鎖を引っ張ったため俺の上体はシスターの身体に引き寄せられる。
絶景だった。目の前には大きな胸の谷間が広がっていて、シスターが呼吸をするたびにゆっくり動いている。そしてその谷底を見てみないかと悪魔が俺を誘惑する。今まで感じたことのない刺激に理性がねじ切れそうだった。
「反省しなと痛い目に遭わせますわよ?」
はい、是非!
と即座に返答しそうになるのを必死に耐え、俺はできる限り神妙な顔をしてみせた。
「ごめんなさい。僕が悪かったです。もう教会に忍び込んだりリンゴを取ったりしないので許してください」
シスターはしばらく険しい顔をしていたが、ゆっくりと手に握っている鎖を離し、ベンチからも足を下ろした。
「信じてあげたいのだけれど、最近この教会に忍び込む愚か者たちが多いの」
シスターは片手をメガネに当ててため息をついた。
「そうだったんですか、みんなリンゴ目当てですかね?」
「ええ、でもおかしいの。愚か者たちはみんなリンゴの木の前までは来るのだけれど、そこで捕まえてくださいと言わんばかりに手を振るの」
……ん?
「そうして捕まえて問いただすと、決まって『リンゴが食べたかったのです! 出来心でした! 決して下心なんてありません』と言うのですわ」
「ちなみに、そいつら捕まえてどうするんですか?」
「今の貴方と同じように縛り上げてお仕置きをするのですわ! でも、あまり効果が無いようですの。そうやって痛めつけた愚か者に限って何度も何度も忍び込んできますのよ」
そりゃそうだろうよ。ご褒美だもん。悪さをすればするほど良い思いが出来るんだもん。
選りすぐりの変態が寄ってたかって樹液を舐めに来るだろうよ。
「だから貴方の縄を簡単に解くわけには……」
「あの、俺ならその変態どもが一発で寄り付かなくなる方法を教えられるんですが」
「ほ、本当に!?」
シスターが俺にかぶさって来た勢いのまま、俺の顔は胸の中に沈み込む。
その柔らかさと苦しさは俺を満ち足りた気分にした。
ああ、もう死んでもいいかも。
***
縄を解くことと交換条件に教えた俺の案はとても簡単なものだった。
ここに忍び込んでくる輩どもの目当ては明らかにシスターだ。
しかもシスターがお仕置きと称したご褒美を与えるだけで野に放ってしまうため味をしめた変態たちは何度も何度もやってくる。
そんな奴らが一発で寄り付かなくなる方法、それは不審者を見つけ次第警察を呼ぶことだ。
いくら筋金入りの変態でも前科者にはなりたくないだろう。
しかも罪を重ねれば重ねるほど刑罰は重くなるので余計にここへ寄り付かなくなる。
「素晴らしいアイディアですわ!」
シスターは目を輝かせた。やっぱり険しい顔をしているより笑っている方が断然かわいい。
「約束通り縄を解いてくださいよ」
「ああ、そうでしたわね」
シスターが跪き、俺の縄に手をかけた時だった。
けたたましいブザー音が2度、礼拝堂内に響き渡った。
その音を聞いたシスターは弾かれたように立ち上がり、
「侵入者ですわ! なんて罪深いんでしょう!」
と言って入り口の方へ走って行ってしまった。今度はちゃんと通報しろよ全く。
あと、
「俺の縄をほどいてから行けーい!」
俺の叫びは虚しく朝の礼拝堂に響き渡った。
終わり
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