第四話
「勇人、カレーうまいか?」
「うん、おいしいよお兄ちゃん」
勇人は無邪気に笑って、またうまそうにカレーを食べ始める。
一応、この顔を見る限り別に俺に気を使っているわけではないんだろう。でも、はっきり言ってカレーの味は微妙だった。
当然だ。料理が作れると言っても所詮は付け焼き刃。母さんの味にはほど遠い。味にうるさくない弟でよかった。
「…………」
あの後、アリーシャと別れてから俺はまっすぐ家に向かった。家に着くまでの間、色々なことを考えた。もちろんこれからどうするべきかを。
色々と考えたけど、結局いまだに答えは出ていない。自分でも優柔不断だなとは思うものの、どうしても覚悟が決まらなかった。
怖いのだ。フード男に襲われたときに感じたあの恐怖や絶望が、頭にこびりついて離れない。あんなヤバそうなヤツがうじゃうじゃいるような世界で、俺に世界を救う救世主になれなんて言われても困る。正直、俺はアリーシャの過度とも言える期待を持て余していた。
とはいえ。
「今日ね、ぼくサッカーでゴールきめたんだ。二回も」
「へぇ、やるじゃん。勇人は俺に似て運動神経いいからな。俺も昔はブイブイ言わせてたもんだよ。サッカーなんてただの球蹴りだよな」
「……お兄ちゃんってときどき真顔ですごいこと言うよね」
こうして弟と話しているとだんだんそんなことどうでもよくなってくるから不思議だ。
いつもの日常に戻ったことで、緊張がほぐれたのかもしれない。ほんと……情けないよな、俺って。
「なあ勇人……お前、ヒーローに憧れたりする?」
「え? いきなりどうしたのお兄ちゃん」
何の前置きもなしに尋ねたのが悪かったのか、勇人は不思議そうに首をかしげた。
「いや、なんとなく気になってさ。で、どうなんだ?」
「んー、そりゃああるよ。だってかっこいいじゃん。ヒーロー」
「ああ、確かにヒーローはかっこいい。じゃあ、もしも目の前にめちゃくちゃ強い悪者がいて、でも勇人にはその悪者を倒す力があるとしたら、勇人は世界を救うためにその悪者と戦うか?」
「うん、もちろん戦うよ」
即答だった。悩む素振りすら見せない。
いや、この歳の男の子なら当たり前か。命の危険なんて考えていないんだろう。
……全く、俺は一体弟に何を求めてこんなことを聞いたのか。
自分に呆れながら、再びカレーを食べ始める。
「――でもさ、ぼく、せかいを救うなんて言われてもよく分からないよ」
「ん?」
「だからぼくはせかいを救うためとかじゃなくて、お父さんやお母さん、それにお兄ちゃんのためにそのワルモノと戦うかな? でもこれじゃあ、ヒーロー失格?」
「…………」
驚いた。まさかこんなことを言うとは思わなかったから。
「お兄ちゃんだったらどうするの?」
「え? あ、なにが?」
「だからもし目の前にめちゃくちゃ強いワルモノがいて、でもお兄ちゃんにはそのワルモノをたおす力があるとしたら、お兄ちゃんはせかいを救うためにそのワルモノと戦うの?」
「俺は……」
ふと考える。そして気づいた。
「そうか。そうだったのか」
「ん? どうしたのお兄ちゃん」
それは、ひどく簡単なことだった。どうして今まで気づかなかったんだろう。
大事なのは、俺なんかが本当に世界を救えるのかとか、ヤバそうなヤツがうじゃうじゃいそうで危ないとか、そんなことじゃない。
今、本当に大切なのは――もし、目の前にめちゃくちゃ強い悪者が現れたとして、でも俺にはその悪者を倒す力がある。そしてその悪者を倒さなければ、後ろにいる勇人や父さん母さん、それに他の大切な人たちが危ない目にあってしまう。そうなったとき、自分は――動けるのかどうかということだ。
俺は……動きたい。動ける男になりたい。
だから俺は、
「俺も勇人と同じだな。世界を救うため、なんて理由では戦えない。これじゃあヒーロー失格だよな?」
「へぇー。お兄ちゃんならてっきり、『せかいはおれが救う!』とか言って戦うかと思ったよ」
「お前俺のことどう思ってんの? 俺は熱血系主人公というよりも、どっちかっつーとクール系主人公だ」
「いや、お兄ちゃんってクールというよりなんか色々とかるいよね。きらわれるタイプの主人公だよ」
「お前さらっとひどいこと言うなっ」
堪らずツッコむ。
でも確かに、軽い人間と思われていても仕方がないのかもしれない。俺は別に昔から、こんな感じだったわけじゃない。小さい頃はヒーローに憧れてもいたし、悪者は倒す、なんて変な義務感のようなものだってもっていた。
しかし、魔法を使うようになってから俺は、少しずつ変わっていった。魔法は、強く念じたりする、例えばこうなって欲しいとかこうなれとか強く思うと、勝手に発動してしまうのだ。
だから俺は、できるだけ物事を軽く考えるようにして生きてきた。そう考えると、ああ、実際俺は軽い人間なのかもしれない。
まあ、だからといって、動いてはいけない、なんてルールこの世にはないんだから……ずいぶん遅い走り出しにはなったけど、俺は今ようやく――動き出すことができそうだ。
◇ ◇ ◇ ◇
空も黒く染まり、やがて母さんが家に帰ってくると、俺はすぐにある場所へと向かった。
そこは今までに何十、何百と足を運んだ場所であり、たくさんの思い出が詰まっている場所だった。
「やっぱ夜の神社って不気味だよな」
境内をぶらぶらと歩きながら思う。夜の神社はとにかく暗かった。夕方来たときとはまるで雰囲気が違う。
正直、少しだけ怖かった。かと言って帰るつもりはないけど。俺は今、目的があってここにいるのだから。
「おーい、夜火ー。いるかー」
近所迷惑にはならないようにと小声で呼びかける。いつもなら三度目ぐらいで出てくるけど……どうやら今ここにあいつはいないらしい。何度呼びかけても返事は返ってこなかった。
とはいえ当たり前か。むしろいたら驚きだ。こんな夜遅くにいるなんて、それこそあいつがこの神社の神様か、軒下少女でもない限りあり得ないだろう。予想通りではある。
でも、やっぱりちょっと残念だ。思わずため息が出てしまう。
予想していたとはいえ、落胆は隠せなかった。もしかしたら、なんて少しだけ期待もしていたから。あいさつぐらいはしたかったんだけどな。
「仕方ない。予定通り手紙だけでも置いていくか」
俺は探すのを諦めると、本殿まで歩いていく。手紙はあらかじめ家で書いてきたから、それを軒下に置いて終了だ。
これで一応目的は達した。けど、俺は帰らずにそのまま軒下に腰をおろした。そしてなんとなく夜空を見上げてみる。
周りが暗いからか、そこそこ綺麗な星だった。
「……そういえば、あのときもこんな夜遅くだったな」
しみじみと呟く。それは昔の思い出だ。詳しい時期までは思い出せないけど、俺は夜火にこんなことを言った覚えがある。
『ねえ夜火。魔法を使えばさ、たくさんの困っている人を助けられるよね』
別に深い意味があって言ったわけではない。単なる話の種として投げかけた話題だった。
でも、それに対しての夜火の反応は予想外にも冷たかった。
『自惚れるな。たとえ魔法が使えようとも、お主にできることなどほんの僅かしかない。お主はただただ目の前の、その小さな手が届く範囲にいる大切な者だけを必死に守ればいい。無理に手を伸ばそうとすればきっと……全てを失うぞ』
彼女は、とても悲しげな表情をしていた。どうしてそんな表情をしていたのかは分からない。聞いても答えてくれなかったから。
ただ、俺はそのとき誓ったのだ。
――助けるのは、自分にとって大切な人だけにしよう。でもその大切な人だけは、きっと自分の全てをかけてでも守ってみせようと。
今思えば、ずいぶん薄情で恥ずかしい誓いを立てたもんだと思わず頭を抱えたくなる。所詮は昔の話といっても、やっぱりかなり恥ずかしい。
けど……そうだな。
「恥ずかしいついでにもう一度誓ってみるのも悪くはないか」
そう思った。しかもここは都合良くも神社だ。場所としては最高だろう。
俺はよっこいしょとその場に立ち上がると、後ろを向いた。目の前には古ぼけた本殿がある。寂れているはいるけど神社であることに変わりはない。一応手を合わせてみた。
「神様、俺は誓います。もし大切な人が危ない目にあったなら、たとえ命をかけてでもその人を守ってみせると。だからどうか見ていてください。俺がこの誓いを、決して破らないように」
それは願いというよりも宣誓に近かった。
こうしてわざわざ神様に誓ってみせたんだ。もしこの誓いを破ってしまったら、俺はもう怖くてここには来れなくなってしまう。
ああ、これは是が非でも破れないな。
「よし」
きびすを返す。夜火への手紙も残したし、もうここに用はなくなった。だいぶ夜も更けってきたため、そろそろ帰るかと歩き出す。
が、神社の中ほどまで歩いたところでふと足を止めた。そして再び後ろを向く。
残念ながら、目の前の景色は変わらない。けれど構わず呟いた。
「俺、明日異世界に行くよ。でも夜火。きっとまたすぐに、ここで会えるよな」
当然、返事はなかった。ただ気のせいだろうか。
そのとき、強い風が吹いた気がした。