第二十一話
ルールが消えたことで、この世界にもようやく平和の日々が戻った。
というわけにはさすがにいかず、ルールの爪痕は至る所に残っていて、今この世界はようやく平和に向かってスタートすることができるようになった、なんていう状態であり、まだまだやるべきことはたくさんあるようだ。
なんでも、今この世界には国というものが一つもないらしい。ジン・フレイルがルールを使って、人々に争いの意識を植えつけたことで、国同士の戦争、反乱、内乱などがあらゆるところで勃発し、国が次々と滅んでいったのだとか。
そのため、法律や規則などの人々を縛るものが何一つなく、世界全体が無法地帯になってしまっている。
ルールのように、魔法で人々を縛る、なんていう行き過ぎたものは人を苦しめるだけだが、人の生活にはやはり決まり事というものはどうしても必要なんだろう。
だから一刻も早く、この世界に新しい国をつくり、治安を取り戻していく。しかしそうなったら、俺がその国の王様になっちまうのかな? なんてゼドーは冗談めかして言っていたが、案外すぐにでもそれが現実になってしまうかもしれない。ちょっと王様にしては、強面過ぎるような気もするが。
また、リーダーであったジン・フレイルがいなくなり、ルールの影響もなくなったことで塔の組織、〝黒の教団〟は当然解散になった。
やはり全員、ルールで操られていたらしく、しかも彼らは組織の体裁を整えるためだけに集められた者たちだったようで、時々は動くこともあるが、積極的に争いを起こしていたわけではないとのこと。よって無罪放免。彼らはみな、元の生活に戻っていった。
ただ、あの巨大な塔に関しては壊すのも面倒だからと、放置することに決めたようだ。それにどうやらあれをつくったのはフード男だったらしく、ゼドーのつくった城と競い合うように少しずつ大きくしていったら、結果ああなってしまったのだと本人は苦笑いで言っていた。
そしてその彼は、戦いのあと、そのままレットローズのメンバーになった。
加えて彼のことで、実は一つ騒動が起こった。
「ん? アリーシャ? お前そんなところで何やってるんだ?」
城の廊下を歩いていると、なにやらかなり怪しげに、部屋(確か談話室だったか)の扉をわずかに開けて、中をこっそりと覗いているアリーシャの姿を見つけた。
「……ああ、ユウさん。いえ実は」
声に反応し、彼女はこちらをちらっと見たが、またすぐに覗きを再開する。
何か面白いものでもあるのかと、俺もすき間から中を覗いてみた。
部屋はそこまで広くはなく、ちょっと広めのリビングって感じだ。中にはソファーや机、本棚などが置かれていて、今いるのは一人だけらしい。
それはフード男だった。休憩中なのか、彼はソファーに座って優雅に本なんかを読んでいる。
ちなみに彼はまだ、火傷の跡を消してはいない。妻や娘の痛みを忘れないようにするためとか。
「私……昔あの人とどこかで会っているような気がして」
「いや、それってあのとき、向こうの世界で俺を助けてくれたときじゃないのか? あいつ、今マントを着てはいないが俺を襲ったヤツだぞ?」
「はい、それは知っています。でもそれよりも前に、私がもっと小さかった頃に会っているような気がして」
それを聞き、フード男を改めて観察してみる。
色々あって気づかなかったが、そういえば二人とも銀髪だよな。小さい頃ってことはもしかして、二人は親戚かなんかで、それで会ったことがあるとか?
「あいつに直接聞いたりはしないのか?」
「なんか……気後れしてしまって。ユウさんはあの人の名前とかご存じですか?」
「…………」
あ、そういやまだ、名前聞いてなかったか。フードをとった後でもずっと「フード男」で通していたから、すっかり忘れていた。
これは、いい機会かもしれないな。
「アリーシャ、ちょっと待ってろ」
「え? ユウさん?」
俺は扉を開けて、中へと入っていった。
すると、フード男はおもむろに顔を上げ、こちらを向く。
「お前か。俺になにか用か?」
「いや、大した用事じゃないんだが、そういえばまだあんたの名前を聞いていない、なんてふと思い出してな」
「ああ、確かにそうだな。今更感はあるが名乗っておくか。――俺の名前はロード。ロード・アリーシャだ」
「……え?」
と、不意に後ろから、声が聞こえてきた。反射的に振り向く。
「ロード……アリーシャ?」
待ってろと言ったのに、どうやら気になって中に入ってきたらしい。扉の前でアリーシャが呆然と固まっていた。
だがやがて一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。そしてすぐそばに来たところで、彼女はゆっくりと口を開いた。
「まさか…………お父さん?」
「――っ!」
たちまちフード男、いや、ロードが目を見開く。彼はそのまま、しばらくアリーシャの顔をあ然と見つめていたが、やがて、
「いや……バカな……ありえない」
そんな呟きをぶつぶつと繰り返しながら、顔を手で覆った。
が、まもなく顔から手を離すと、アリーシャに視線を戻し、
「お前……クーナなのか?」
「うんっ」
途端、アリーシャの瞳から涙が溢れだした。
これほどまでに嬉しそうに、感情を表に出す彼女は初めて見た。
「だが……そんなはず。あのとき家には確かに二人の体、大人の体と、ちょうどクーナと同じくらいの子どもの体があった……ならあれは」
「あれは、お母さんだよ」
彼女は震えた声で語った。
ある日、突然家に盗賊が押し入ってきた。彼らの目的はアリーシャで、彼女のような幼い少女は高く売れると、盗賊の一人が言っていたらしい。
それを聞いたアリーシャの母親は、娘の身代わりとなるように、彼女の姿になると盗賊たちの前に躍り出た。そしてすぐに、自らに火を放った。盗賊の一人を道連れにして。
アリーシャは母親の覚悟を無駄にしないため、必死に家を逃げ出したが、やがて力尽き倒れた。
そこをゼドーに拾われ、組織のメンバーになった。
それはどこか、夜火の過去と似ていた。しかし、二人には決定的な違いがある。
アリーシャはこうして、
「カーシャ……ッ、お前ってやつは……っ」
生き別れた親子は今、
「ああ――でも本当に……生きててくれてありがとう……クーナッ」
「お父さんっ!」
奇跡の再会を果たすことができた。
アリーシャはロードの腰に抱きつき、わんわんと子どもみたいに泣き出した。
ロードも目に涙を浮かべながら、そんな彼女を優しく抱きしめる。
俺は二人の姿を目に焼き付けると、
「……………」
すぐにその場から姿を消した。
◇ ◇ ◇ ◇
そういう、一部予想外の出来事はあったものの、この世界は平和に向けて順調にスタートを切ることができた。
これでもう俺はお役御免。当初の予定通り、元の世界に帰ることにした。
ただ、終わってはいさよならではさすがに味気ないからと、三日間だけ滞在を延ばすことにした。
そしてその三日目、夜火が俺にある提案をしてきた。
「勇。一つお主に、付き合ってもらいたい場所があるんじゃがいいか?」
「ん? 別にいいが、ちなみにどこへ?」
「ジンとエレンの思い出の場所。二人の出会いの場所じゃ」
どうせ暇だからと、俺は夜火の提案に乗ることにした。
今は空を飛び、その思いでの場所とやらに向かっているわけだが……一つ問題がある。
「なあ夜火。お前本当に無理なのか?」
「しつこいのう。無理じゃと言っておる」
聞けば、夜火の声が上から聞こえてきた。
当然だ。今彼女は俺に、空を飛ぶ俺の背中にまたがっているのだから。
どうやら目的の場所はかなり遠くにあるらしく、彼女の魔力量では飛んでいる途中で魔力切れを起こしてしまうらしい。
強度を高めなければ、重力や風の影響を受けすぐに落ちてしまう。だから魔力を込めないやり方では飛ぶことができない。ならばどうするか。
結果、俺がスーパーマンになることになった。
「もうすぐ着くから我慢しろ」
「そうは言ってもな……。というかお前、二人の思い出の場所なんか行ってどうするつもりなんだ?」
「いや、ちと二人の墓をつくってやろうと思ってな」
「墓?」
少し予想外の答えだった。
「わしがこの世界に来た目的は確かにお主を守るためじゃが、実はもう一つある。それが、二人の墓をつくってやることじゃ。……といっても、二百年の月日が経った。記憶力はいい方じゃが、今向かっている場所を最初わしは覚えておらんかった」
「そういえばお前、ルゥとして初めて会ったとき、探しものをしているとか言っていたがもしかしてその場所を?」
「ああ。じゃがお主にわしの記憶を見せているとき、ふと思い出した。じゃからこうして今向かっているというわけじゃ」
なるほど、と相づちを打って、俺は少し空を飛ぶスピードを速めた。
やがて、そこじゃ、と彼女が指差した先にあったのは、森の中にまるで隠れるように広がっている小さな湖だった。
俺はゆっくりと湖のそばに降下し、夜火も俺の背からひょいっと身軽に飛び降りる。
見れば、湖の水はかなり純度が高いのか、日の光を反射しきらきらと輝いていた。森の静けさと合わさり、どこか幻想的な雰囲気を漂わせている。
「ここが二人の出会いの場所」
軽く辺りを見回してみると、俺は、思わず息をのんだ。
「なっ、バカなっ」
夜火も気づいたようで驚きの声をあげる。
俺たちの視線の先、湖のそばにぽつんと建っていたのは、小さな石碑だった。いや――ルールの核だった。
しかし。
「ま、待て。あれは本当にルールの核なのか? 魔力をほとんど感じないぞ?」
石碑からは、絞りカスのようなわずかな魔力しか感じられなかった。とはいえ石碑には、ルールの核と同じように文字が刻まれている。しかもかなり長い。
俺と夜火は顔を見合し、恐る恐るそれに近づいていった。
が、すぐに夜火が足を止める。隣を見れば彼女は目を見開いて、石碑を凝視していた。
「お、おい? あれには何て書かれているんだ?」
俺も慌てて足を止めそう聞くが、彼女からは何の答えも返ってこない。
ややあって、夜火は力が抜けたようにすとんと地面に両膝をつけると、震えた声で言った。
「ジン……お主はどこまで……っ」
やがて彼女の口から、それはゆっくりと語られた。
――〝俺、ジン・フレイルはここに最後の言葉を残していく。
これは単なる自己満足でしかないのかもしれないけど、ただ、言わせてくれ。
まずはエレン。俺はお前に出会えて、本当に幸せだった。本当に毎日が楽しかった。
俺はバカだからさ。いつも後先考えずに動いちゃって、だからいつも失敗してしまう。
けどお前はそのたびに、怒るでも、叱るでもなく、ジンはバカだなぁ、なんて笑いながら、罰だよ、なんて言って俺の頭を軽くチョップする。
お前には言ってなかったが、俺はそれがたまらなく好きだったんだ。
これじゃあまたチョップされるかな?
はは、お前のことを思い出そうとすると、俺はいつもつい笑ってしまう。
今だって笑っているんだ。死にそうだってのにさ。おかしな話だよな?
お前にはまだまだ言いたいことや伝えたいことがたくさんあるけど、
全部書いていったらこの湖が石碑だらけになっちゃう。
だから最後にひとつだけ言わせてくれ。
――俺、ジン・フレイルはお前を、エレン・フォルシアという最高の女性を、心から愛している。
それとルゥ。ごめんな? 俺のわがままに付き合せちまって。
けどいつか必ず、心の底から一緒にいたいと思える人と出会える。
だからどうか生き続けてくれ。そしてまた笑ってくれ。お前には笑顔が一番よく似合っているから。
こんなことになって、俺はきっと親失格なんだろう。
俺のことは別に忘れてもいい。でも決して笑顔は忘れるな。
お前にもまだまだ言いたいことや伝えたいがたくさんあるけど。
最後に、この言葉を送ろう。
――俺たちはいつでもお前を見守っている。
幸せになれ、我が愛する娘。
そしてこの世界、愛すべきこの世界に、いつかきっと、俺の叶えられなかった
夢を叶えてくれる。そんな人が現れることを、俺は強く願っている。
ジン・フレイル〟――
「バカ、モノが……っ」
そこまで言って、夜火は泣き崩れた。
「…………」
そんな彼女の隣で、俺はただただ目の前の石碑をじっと見つめた。
これはルールではない。ジン・フレイルの遺書だ。
しかし、強い思いに反応し、彼の言葉は一つの魔法となった。
名前をつけるのならば……〝最後の願い〟――だろうか。
もしかしたら俺は、この魔法によって力を得て、守られ、そして助けられたのかもしれない。単なる推測でしかないが。
ただ、これだけはなんとなく分かる。
彼が世界を愛していたように、この世界もきっと、彼を愛していたのだろう。
「ジン……いや、お父さん。私は今、本当に幸せです。だからもう大丈夫」
帰り際、夜火は石碑に魔力を流して、文字を書き換えていった。
――〝ジンとエレン。
ここに二人安らかに眠ること〟――
◇ ◇ ◇ ◇
「ユウさん、ルゥさん、またいつでも来てくださいね」
「おう。待ってるぞお前ら! がっはっはっ!」
「また会える日を、楽しみにしている」
「救世主様あああ! ありがとおおおお!」
「うをおおおお! 大好きだバカヤロオオオ!」
レットローズのメンバー全員に見送られ、俺たちは城をあとにした。
今度は夜火と二人並んで空を飛ぶ。
「そういや夜火。お前、どうやってこっちの世界にやってきたんだ? お前の魔力じゃ全然足りないだろ」
「あぁ。実はな、わしはリュックサックに化けておったんじゃ。つまりお主に背負われてこっちの世界にやってきた」
「……は?」
「知らぬうちに向こうに行かれては困るから、わしは朝早くお主の家に行き、そして忍び込んだ。そしたらリビングにリュックサックが置いてあったから、これだと思いすり替わったんじゃ」
「ちょい待て」
「こっちの世界に来てからは、タイミングを見計らって転移し、あの湖を探しておった。そしたらお主がなぜか一人空に浮いていたから、魔法でドラゴンに変身して……はっ!」
「……薄々そうかもとは思っていたが、あれ、やっぱりお前だったのか」
ジト目を向ければ、夜火はあわあわと手を振る。
「ち、違うのじゃ! あのときはっ、せっかくの異世界なのだからファンタジー的な演出の一つでもしてやろうと思っただけなんじゃ! まさかお主があんなに驚くとは思ったからっ、あのときは本気で焦った!」
「まあ……結果今こうして生きているんだから別に怒りはしないが……反省はしろよ?」
「う、うむ……」
うなだれる夜火。
ほんと、最後の最後まで飽きさせないヤツだ。
数分もすれば、ずっと感じていた魔力が突然後ろへ流れた。結界を越えたんだろう。
「まあとりあえず、そういうことならお前も一緒に俺が転移するぞ?」
「ああ、頼む」
俺は早速、故郷の景色を思い浮かべながら、夜火を意識しつつ、心の中で『転移』と念じた。
途端、周りの景色が変わる。目の前には見慣れた、神社の本殿がある。
幸い、というか予想通り、他に人はいなかった。
「ふぅ……ようやく帰ってこれた。ってかこれ、魔力か? ……ああそうか。これを消すことで、俺の記憶とか記録が綺麗さっぱり元に戻るのか」
「じゃろうな。しかし数日と経っていないはずじゃが、ずいぶん久しぶりに感じるのう」
そう言うと、なぜか夜火は一人神社の中をとことこと歩き出した。
「ん? お前どこにいくんだ?」
「……わしはお主の人生にとって、言ってみればオマケみたいなもんじゃ。本当は向こうでも正体を明かすつもりなどなかった。わしは異世界人。しかも半分人間ではない。じゃからわしは今まで通り、一週間に一度会うミステリアスな友人、それで十分だったんじゃよ」
夜火の足は止まらない。そんな彼女の背中に、俺は言った。
「おいおい、お前まさか忘れたわけじゃないよな? 賭けの話。お前は一つ、なんでも俺の言うことを聞かなきゃいけない」
「いや覚えておるが、急にどうした?」
「夜火お前――しばらく俺の〝妹〟になれ」
「………………はい?」
ゆっくりと振り返った彼女の顔が、あまりにも間抜けだったため、俺は思わず盛大に、ぶっ! と噴き出してしまった。




