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魔法世界の魔法事情   作者: ピーナッツ
第四章 過去と未来
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第二十話

 発動した魔法は転移だった。ジン・フレイルの後ろに飛び、すぐさま叫ぶ。


「――凍れっ!」


 瞬間、目の前に氷の人形ができあがった。が、


「……っ」


 すでに彼は別の場所に転移していて、俺をニコニコと見つめていた。


「君、夢の中でよくその魔法使ってたよね。もしかしたらあのときまだ君の中には、どこかで、この人は傷つけたくない、なんていう思いがあったんじゃないかな? だから氷に閉じ込める、なんて方法をとった。そしてそんな思いがまだ残っていたからこそ、君は今こうしてボクと戦っている。……はぁ、どうやらあれは大成功なんかじゃない。大失敗だったみたいだね」

「っ!」


 頭上に魔力を感じた。反射的に上を向けば、


「がっ……!」


 前方の空間が不意に爆発し、俺は後方へと吹き飛ばされた。とはいえ吹き飛ばされながらも傷を治し、適当な場所へと転移する。

 俺は地面に片膝をつけ、息を荒げながらも相手をキッと睨みつけた。


「んー、その目を向ける相手がボクじゃ困るんだけどなぁ。こうなったらいっそのこと、ボクに対する怒りや憎しみを散々植えつけてから、それを後でこの世界に対する恨みにでも変換させようかな? うん、そうしよう」


 ヤツがそんなことを言ったときには、辺りに魔力が漂い始めていた。一点ではない、俺の周囲に広く薄く感じる。まるで周りの空気そのものが魔力にでも変わったかのよう。これはっ。


「ぐっ!」


 そのとき、胸から突然剣が飛び出してきた。――痛っ。

 口から血を垂れ流しながらもどうにか後ろを向く。と、


「勇。わしはお主が嫌いじゃ」

「…………」


 そこには、俺に剣を突き刺している夜火の姿があった。

 ひどく冷たい表情だ。俺はそんな彼女を見つめながら、ぼそりと呟いた。


「消えろ」


 途端、夜火も、周りに漂っていた魔力も、痛みもすべてがかき消えた。嘘のように。

 俺は視線を前に戻して、ジン・フレイルをじっと見据えた。


「やっぱただの幻覚じゃすぐに消されちゃうか。かと言って今の君に夢を見せるのは難しいし、できなくはないけど魔力が無駄にかかっちゃう」

「だったらあきらめろ。俺はもう、自分を見失わない」


 言って、俺は手元にある物を生み出した。――銃だ。

 タイプとしては、別に銃に詳しいわけではないから適当に、よくテレビで見るような、確か自動拳銃とかいうタイプのもの。


 といっても、当然本物の銃ではない。外観を似せただけの単なる偽物。おそらく中身はスカスカか、もしくはでたらめだろう。

 だが、引き金を引けば弾が出る。そうイメージして作れば、魔法は俺の願いを叶えてくれる。俺は銃のグリップをきつく握りしめた。


「ん? なにそれ。もしかして異世界の武器?」

「ああ。お前ら魔法と同じで、人間の願いを必死に叶えようとしているだけの、ただの銃という道具だよ」


 俺は銃口を横に向けた。地面と水平の高さになるまでゆっくりと腕を持ち上げる。

 ジン・フレイルは未知の存在に警戒しているのか、はたまた興味があるのか、その場を動かずじっとこちらを見つめていた。

 こちらとしては好都合だ。動く相手に当てるのは難しいが、動かない相手に当てるのは簡単なこと。


「狙いはボクじゃないの? それは一体」


 ――ドウンッ!

 腹の底に響くような重低音が辺りに響き渡ると、まもなく前方からくぐもった声が聞こえてきた。


「ぐ……っ」


 見れば、ジン・フレイルが足を押さえて苦悶の表情を浮かべていた。この機を逃さずすぐに転移する。

 彼の後ろに移った瞬間、もう一度引き金を引いた。


「……っ」


 しかし、弾丸は標的に当たる直前、なにか見えない壁のようなものにぶつかると、空中でぴたりと静止した。かと思うとたちまち、今度は標的を俺に変え、お返しとばかりに足を撃ちぬいた。


「がぁあっ」


 とりあえず痛みを無視して、急いで転移し場所を変える。次いで足の傷を治した。

 慌ててジン・フレイルに視線を戻せば、彼もすでに傷を治したようでけろっとした顔をしながら、不思議そうに首をかしげていた。


「君、今どうしてわざわざ足なんかを狙ったの? 今のでボクを殺せたかもしれないのに」


 銃を消す。おそらくもうあいつには通用しないだろう。

 なぜわざわざ足を狙ったのか、そんなの、


「……知るかよ」

「? よく分からない人間だね君は。異世界人だからかな?」


 彼は楽しそうに笑った。


「まあいいや。今度はボクの番だね」


 すると、ジン・フレイルの頭上に巨大な火の玉が出現した。俺をまるっとのみ込めるほどのサイズだ。

 しかもかなりの魔力を感じる。あれを消すとなると、今俺に残っている魔力の、半分以上は注ぎ込まなければならなくなる。


 そう分析した次の瞬間、その火の玉がゴウゴウと音を立てて飛んできた。

 速いっ。すかさず転移する。しかし。


「ちっ、ホーミングタイプかよっ」


 まるでそれに合わせるかのように急停止したかと思うと、また火の玉はこちらに向かって迫ってきた。

 ならばと一瞬でイメージを構築し、魔法を発動すれば、火の玉の進路上に立方体の水のかたまりが現れる。

 火の玉はそのまま、プールに飛び込むかのように水のかたまりに突っ込む――


「くそっ」


 寸前、カーブを描いてそれを避けた。

 まさかあいつっ、現在進行形であれを操っているのかっ? ジン・フレイルへと視線を向ける。向けて、気づいた。


「っ。逃げれないならっ」


 そして転移する。移った先は彼の後ろ。同時にイメージした剣を握りしめ、


「こうするしかないだろっ」


 俺はヤツの背中へと切りかかった。


「――うん、そうくると思ったよ」

「な……っ!?」


 目の前にいたジン・フレイルがいきなり、燃え盛る火の玉へと姿を変えた。

 っ! 俺は勢いを殺せずに、そのまま火の中へと自らダイブする。


「ぐああああああああああっっっ!!!」


 熱い――っ!


「消えろっ!」


 慌てて叫べば、火は消えた。傷もすぐに治す。

 ……が、俺は地面に両手両膝をつけると、荒い呼吸を繰り返した。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 あいつっ。自分の場所と火の玉の場所を入れ替えたのかっ。気づいて、思わずこぶしを握りしめた。

 すでに痛みも、熱も、苦しみも無くなっている。とはいえ当然記憶はすべて残っている。

 あの肌が裂けるような凄まじい痛みも、のどを掻き毟りたくなるような熱も、苦しみも、全部覚えている。

 俺は……


「へぇー、まだ立つんだ」


 ただそれでも、


「立たないわけには、いかないだろうが」


 ――ジン・フレイルをまっすぐに睨みつけた。


「……はぁ、このままじゃ予想外に魔力を消費しちゃうよ。それにみんなも戻ってきちゃうし。というか一つ聞いてもいいかな?」

「…………」

「君は異世界の人間なのに、どうしてこの世界のためにそんなに頑張るの? そんなボロボロになってまで」

「……元の世界に一緒に帰って、また向こうで一緒に笑い合いたいヤツがいる、ただそれだけだ」

「え? それだけ? ちょっとボクには理解できないなぁ。――でも、そうなるとあれだよね。うん」


 そう言うと彼は、なぜか突然そっぽを向いた。つられてそちらに目を向け、同時に固まる。

 ヤツの視線の先には、彼女、夜火の姿があった。

 彼女は草原と森の境目あたりに立ちながら、心配そうにこちらを見つめている。

 なぜだかひどく、嫌な予感がした。


「お、お前、何するつもりだ」

「ん? いやね。ちょっと君――死んでもらえる?」


 と、そんなよく分からない言葉が聞こえてきたかと思ったら、刹那、まるで糸が切れた人形のように夜火が、どさりと地面に倒れた。


「夜――っ!」


 すぐさま彼女のそばに転移する。


「……っ」


 すると夜火は目を閉じ、力なく地面に横たわっていた。

 ――やめろ。

 彼女はいつまでたってもぴくりとも動かない。胸の上下さえ、ない。

 ――おいやめろ。

 俺は地面に両膝をつけると、彼女の手を握った。そして、顔の前まで持ち上げる。


「こんなときに冗談やめろよな……夜火」

「…………」


 辺りが静寂に包まれる。いくら待っても声が、あいつの声が返ってこない。だが俺は構わずに声をかけ続けた。


「……ふざけんなよ……目を覚ませよお前」

「無理だよ。彼女はもう目を覚まさない。そして死んだ人間を蘇らせることは不可能なんだよ。たとえ全快の君でもね」


 いつの間にか、ジン・フレイルがすぐ後ろに立っていた。

 それでも俺は、その場を動かず、ただただ彼女の手を強く握りしめた。


「君はこの子のために戦っていたんでしょ? だったらもう、君に戦う理由はないはずだ。やめようよ。こんな無駄な戦い」

「――――」


 夜火は本当に、安からな顔で眠っていた。今にも、「よく寝たー」なんてあくびをしながら、むくりと起き上がりそうなほど。それで俺の顔を見て、「なんじゃお主、そんな間抜けな顔をして」とか言っていつもみたいにニヤニヤ笑うんだろう。


 こっちの気も知らないで、こいつはいつだって楽しそうに笑っている。

 そんな彼女の笑い顔を思い出そうとすると……なぜだろう。笑った顔を思い浮かべているはずなのに、頬に涙が伝ってしまう。


「ボクに勝つなんて無理なんだよ。お互いなにかを無くすだけだ。それならこんな戦いもう――」

「俺はよぉ。こいつに誓っちまったんだよ。こんな戦いさっさと終わらせて、俺は向こう

の世界に帰る。そして、赤点は絶対にとらんって。ここであきらめたらよ。やっぱ赤点、とっちまうよな?」


 優しく彼女の手を置いて、俺はゆっくりと立ち上がった。


「それに実は俺、そのとき、こいつに直接言ったりはしなかったんだがな? もう一つ誓った誓いがあるんだよ。だから俺は――好きな女に誓った誓いはたとえ死んでも守り抜かなきゃいけない。それにこれ以上、こいつに泣き顔なんかを見せていたらまたからかわれちまう。やっぱ人は、泣き顔よりも笑った顔を見ていたいもんだよな」


 そう言って、俺は後ろへと振り返った。そして笑う。また泣きながら、不恰好に。


「……ボクには君の気持ちが分からない。だから君がまだ戦うというのなら、ボクは今以上の苦しみを君に与えるだけだ」


 はじめて、ジン・フレイルの顔から笑顔が消えた。彼は真面目な顔で、こちらを見つめている。

 俺はそんな彼と視線を交差させながら、言った。


「いや、もうこんな戦い終わりにしよう」

「ん? あきらめるの?」


 問われ、しかし俺はなにも答えない。代わりに、俺は魔法を発動した。

 途端、胸の前まで持ち上げた手のひらの上に、小さな火の玉があらわれる。それを見て、ジン・フレイルは怪訝に眉を寄せた。


「? そんな()()の火の玉なんかつくって、一体どうするつもり? 魔力も全然込められていないようだけど」

「……おそらく、別に誰が悪いわけでもないんだろうな。この世界の人間は、ただ単に失敗しただけなんだ。その失敗の尻拭いを異世界人である俺がするのはおかしな話だが……こんな悲しみしか生まない寂しい戦いを終わらせられるなら、ああ、おかしな話の一つや二つ、笑ってつくり上げてみせるさ」


 俺は火の玉をぽいっと上に放り投げた。軽く飛ばした火の玉は、けれど落ちることなくジン・フレイルの頭上を飛び越え、空へとまっすぐ飛んで行く。空中に――七色の線を描きながら。 


「……これは」


 火の玉はすぐに見えなくなったが、七色の線は変わらず引かれている。そしてみるみると伸びていく。

 線は緩やかなカーブを描きながら進んでいき、やがて地平線でぷつりと途切れた。

 あとに残ったのは空にかかる七色の橋。――綺麗で大きな〝虹〟だった。


「なんでこんなものを。というかなぜ、これだけの魔力を感じる? 君にはもう……っ、な、なんで」


 虹を呆然と見つめていたジン・フレイルの表情が、驚愕げに歪んだ。


「あり得ないっ。なんでボクが――ルールを消したいなんて思っているんだ?」


 彼の視線は虹から、まもなくルールの核へと移った。


「昔テレビで見たんだが、俺の世界には〝平和の旗〟っていう虹色の旗があるらしい。その旗には戦争に反対し、平和を求める意思を表示する、なんていう意味があるんだとか。――いいよな、それって。この虹を見ている間だけでも、人はどうか争いなんかやめて、ただただ平和を望んでほしい、俺はそう願っている」

「っ。あの虹で、ボクの心に平和を求める意思を植えつけたっていうの?」


 ジン・フレイルはこちらを向く。驚いた表情だ。俺はそんな彼を見て、目をつぶった。


「もう、終わりにしよう。そろそろ休んでもいいんじゃないか? 俺も、この世界も、そしてお前も」


 俺がそう言えば、しばしの沈黙が続き、やがて前から、はぁぁぁ、と長く深いため息が聞こえてきた。


「これはダメだ。あの虹を消そうにも、無意識のうちにボク自身がブレーキをかけちゃうし、君をどうにかすることもできそうにない。したくないと思っている自分がいるからね」


 目を開ければ、彼は何かをあきらめたような、どこか疲れた笑みを浮かべていた。


「負けたよ。完敗だ。まさかこんなやり方で負けるなんてね。思いもしなかったよ」


 だがその声はどこか楽しげだった。


「でも最後にひとつだけ言わせてもらってもいいかな?」

「なんだ?」

「ボクがね。いつも魔法に込めている感情はさ、ただひたすらに悲しみだけなんだよ。ルールに込められている術者の感情が悲しみしかなかったからね。それしか知らないんだ。でもボクはさ。無理してでも笑っていればいつか嬉しいとか楽しいとか、そういう人間みたいな感情が分かるかも、なんて思って、だからいつも笑うようにしていた。けど結局分からなかった」


 そう言って、ジン・フレイルは笑う。だがそれは、いつもの笑顔とは違って、とても、


「でも、なんでだろうね。負けたっていうのにさ。ボクは今、こうして自然に笑っている。これはもしかしたらあの虹の影響なのかもしれないけど、それでもさ。ボクは今」


 ――すごく嬉しいと思っているよ。


 実に人間らしい笑みを浮かべながら、次の瞬間、彼は目の前から姿を消した。


「…………」


 草原の先を見る。と、そこにあったルールの核もまた、綺麗さっぱり消えていた。

 俺はまた、空を見上げる。虹はまだ消えていない。

 いつか消えるものだとしても。今この瞬間は確かに、虹は空にかかっていた。


「夜火。十年も経っちまったが俺はようやく、空にあんな大きな虹をつくることができた。ここは異世界だが、みんな、笑ってあの虹を見ているだろうか?」

「――ああ、きっとそうじゃろう。わしもついつい、笑顔になってしまうからのう」

「っ!」


 ばっと振り向く。……と、


「よく寝たー」


 夜火が上半身を起こして、あくびをしていた。


「お、お前……」

「なんじゃお主、そんな間抜けな顔をして。虹をつくり出した張本人がそれじゃあ、色々と台無しじゃの?」


 そう言って、彼女は楽しそうに笑った。

 その笑顔を見て、途端に安堵と喜びが心の底から湧き上がる。俺はどさっと地面に腰を下ろした。


「……そうか。夜火お前……生きてたのか」

「ああ。お主たちの会話は聞いておった。おそらくじゃがあヤツ、ジンはこうイメージしながら魔法を発動したんじゃろう。つまり、意識を失い倒れるわし。心臓も動いていない。そうイメージしながら『死んで』と念じる。ああ、そうすれば、わしは確かに死んだ。そう――仮死状態になった」

「……なるほどな」

「見た目的には死んでいるのと変わらんからな。あヤツはそれで誤解したんじゃろう。……いや、まて、わしが今こうして目を覚ましているということは」

「っ! 忘れてた!」


 そのとき、ふと重要なことを思い出した。慌てて立ち上がり空を見上げる。


「……ああなんだ。もう終わっていたか」


 しかし、ジン・フレイルがつくり出した巨大な岩は、もう空には欠けらも浮かんでいなかった。

 ゼドーたちが空に浮かびながら、笑って虹を眺めている。


 あの岩を、彼らが上手く壊したのか、それともあいつが最後に消していったのかは分からない。

 だがとにかくこれで、


「ジン。お主が今この光景を見たら、一体なんて言うんじゃろうな。それはわしには分からんが……ただ、これだけは分かる。お主はこんな綺麗で優しい世界を――望んでおった

んじゃろうな」


 二百年以上続いた長い長い悲劇の幕は、今完全に、ゆっくりと、降りたのだった。

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