第十九話
それからレットローズのメンバーたちが続々とこの場に姿をあらわし、俺に水筒やらコップやら試験管っぽいものやらを次々渡してきた。
当然俺はそれらすべてを湯水のように飲み干していき、みるみる魔力を回復させていった。
正直、後半はマジで吐きそうになったが、今、なんとかすべての回復薬を飲み干すことができた。思わず地面へと倒れた途端、周りで盛大な拍手が沸き起こる。一体なんの拍手だ……これは。
まもなく、地面に寝転がる俺の元に、ゼドーが近寄ってきた。
「よう。お疲れ。だいぶ魔力が回復したんじゃねえか?」
「……ああ、全快にはまだ少し届かないみたいだが、充分だろ。というかもう飲みたくない」
「がっはっはっ! これから戦いだってのに大丈夫かよそんなんで!」
いや、あんたが一番飲め飲めはやし立てていただろうが。そう思ったが、声に出してつっこむ余裕はなかった。
そんな感じで、しばらく寝て休んでいたら、今度は夜火がそばに寄ってきた。
「そろそろお腹も回復したようじゃな」
「そうだな。これなら問題なく動けそうだ」
ゆっくりと体を起こす。いつ出てきても大丈夫なぐらいには体力も魔力も腹も大方回復した。
「そういえばお前はこの後どうするんだ? レットローズのメンバーたちやフード男は一緒に戦うなんて言っているが、お前もあいつ、ジン・フレイルと戦うのか?」
「……いや、わしは戦わん」
「相手があいつだからか?」
「そうではない。向こうの世界で長い間生きていたせいで、わしは魔法抵抗力がかなり低くなった。今はまだルールの影響を受けてはいないが、もしかしたら戦い中に影響を受け、わしは変わってしまうかもしれん。とはいえこの戦いはどうしても近くで見ていたい。じゃからわしは森の中から、お主たちの戦いを見ていることにするよ」
そう言って、夜火は俺に背を向けた。てっきりそのまま歩いていくかと思ったが、
「そうじゃお主、先ほどの幻覚の続き、あの日のことは覚えておるか?」
と、聞かれたので素直にうなずく。
「そうか。あの後わしたちはお主の提案を受け、かくれんぼや木登りなんかをして遊び、その日の帰り、わしはお主に名前をもらったんじゃ。新しい自分になるためのな」
「ああ。確か俺は最初、お前を『クロ』と呼んだ。なんか全体的に黒かったからな、お前」
「まあ、それも悪くはなかったが、理由が安直過ぎたからわしは却下した」
「で、次に俺が言ったのが……何だったっけ」
「『ごん太』じゃよ。いやあり得ないじゃろ。なぜに『クロ』のあと『ごん太』? 犬を飼ったらそう名付けるとか言っておったが、わしは当然それも却下した」
それは俺もどうかと思う。幼き俺よ。
「そしてその後に言ったのが――この『夜火』という名前じゃ。理由としては、今は夜で、今日は火曜日だから、とか適当すぎるものじゃったが、ごん太よりはいいじゃろうと思ってわしはそれを選んだ」
「我ながら清々しいほどの適当ぶりだな」
なんだか申し訳なくなり、俺はつい視線をそらした。が、やがて聞こえてきたのは予想外にもひどく優しい声だった。
「じゃがな。わしは今、この名前をいたく気に入っておる。なにしろ『夜火』という名前は、別の解釈をすることもできるからのう。すなわち――〝夜の火〟。お主はわしにとって、夜の闇を照らしてくれる火、そのものなんじゃよ。この名前を思い出すたび、わしはお主のことを思い出す」
思わず夜火の方を見る。と、彼女はまるで何かを握りしめるように、胸の前で手を重ねながら、目を閉じ穏やかに笑っていた。
「お主はわしを闇の中から救い出してくれた。お主がいつもそばで明るく光り続けていてくれたから、わしはまたあの闇の中に戻らずに済み、こうして笑っていられる。じゃからお主はもうとっくに、救世主なんじゃよ。わしを救ってくれた。そんなお主が、たかだか世界を救えないはずがない」
「…………」
「ぱぱっと救世主とやらになって、一緒に元の世界に帰ろう。そうでなければお主……今度のテストで赤点とるぞ?」
「……はぁ、そうだった」
夜火に言われて思い出す。そういえばもうすぐ、期末試験がある頃だ。
やはり赤点は……取りたくはないな。
「よし、俺は誓おう。こんな戦いさっさと終わらせて、俺は向こうの世界に帰る。そして、赤点も絶対に取らん」
「クク、わしは神様ではないんじゃがなぁ。まあ、いいじゃろう。しかと聞き届けた。その誓い、破ったら今度こそ天罰が下るから覚悟しておけ」
「そうだな。それは怖い」
互いに笑い合って、俺たちは互いに背を向けた。
俺はルールの核がある場所をじっと睨みつける。そこに、ルール以外の魔力を感じたから。
「――あれ? すぐに出てきたはずなのに、なんかすごい人が増えてる。もしかしてボク、ハメられちゃった?」
「ああ、こちらの準備はもう整っている。俺たちはお前を倒して、世界に平和を取り戻す」
フード男が前に出て、ジン・フレイルへとそう宣言した。しかしそれを受けても彼は、相変わらず楽しそうに笑みを浮かべていた。
「いやいや、まさか君が裏切るなんてね。十年も一緒にいたのにひどいなあ」
「よく言う。お前は俺のことなんてまったく信じてはいなかった。だからこそお前は、俺にさえその正体を明かさなかったんだ。お前の秘密を探るためにあの組織に入ったというのに、結局無駄な十年を過ごした」
「ん? なにを言っているのかよく分からないけど……しかしこの状況は困ったなあ。君に、レットローズのメンバーさんたちに、救世主さんまで、勢揃いじゃないか。さすがにボクでもきついかも」
余裕を崩さぬ態度で、ジン・フレイルは頭に手を置く。
「…………」
正直、俺は驚いていた。この状況で、まだあんな態度をとれる底の読めなささに。
この、先ほど気づいたあのあり得ない仮説が正しいのなら、あいつにとって今の状況は、決して余裕のあるものではないはずだが。
隙のある態度に、逆に警戒心を高めていると、彼はおもむろに両手を持ち上げた。
「今から塔の魔法使いたちを呼んでも遅すぎる。だったらこうするしかないよね」
そう言って、ヤツは両手をパンと打ち鳴らした。途端、
「っ!」
辺りが急に暗くなると同時、上空に強い魔力を感じた。慌てて上を向く。
と、俺は無意識のうちに口を震わせていた。
「なん……だありゃ」
俺は最初、それを月かと思った。
――が、大きすぎる。いや、近すぎるのか。
遅れて俺は、それが、空を埋め尽くすほどの巨大な物体が、岩であることに気づいた。
まるで、空に大きな穴でも空いたかのよう。あんなものが落ちたら、一体……
「さて、どうする? あれは今、ゆっくりと降下しているよ。たぶん十分もすれば地面に落ちるだろうね。みんなはその間に、ボクを倒せるかな?」
そんな、ジン・フレイルの言葉に、俺たちは何も言い返すことができなかった。
が、やがて、
「――おいおめえらっ! 何ボーっとしてやがる! 俺たちがあれを壊さなくてどうすんだ! 俺の仲間に、腰抜けはいねえはずだがっ!?」
「「「「っ! 当たり前だっっっ!!!」」」」
ゼドーの一喝に身を震わしたメンバーたちが、一斉に空へと飛び出し始めた。
岩に攻撃を続けながら、ぐんぐんと岩に近づいていく。
「おいサトウッ、そういうわけだ! お前さんはその男だけに集中しろ! 魔力にものを言わせた攻撃をされちゃあ、俺たちには何もできねえからな! あの男に勝てるのはお前さんしかいねえ!」
「……分かった。あっちは任せていいんだな?」
「がっはっはっ! 誰に言ってやがる! 俺は泣く子も笑う――」
「ユウさん。頑張ってください。あの岩は必ず私たちが何とかしてみせます。だからあなたは思う存分に戦ってください」
アリーシャはそう言うと、他のメンバー同様岩に向かって飛んで行った。
「……あいつも昔は、俺のことをまるでお父さんみたい……と慕ってくれていたはずなんだがなあ。やはりこれも、ルールの影響か。――ふざけんなコノヤローッ!」
次いでゼドーもまた、まったく意味不明なことを叫びながらも、彼女のあとに続いていく。
この場に残ったのは俺と、ジン・フレイルと、フード男だけ。だが彼もすぐに、俺の方をちらっと見たかと思ったら、無言で空へと飛び立った。
こうして俺は図らずも、ジン・フレイルと差し向うことになった。
「お前、黙って見ていて良かったのか?」
「いや君、忘れてない? 元々ボクの目的は君だけだよ? 余計な邪魔が入らないなら、ああ、結構なことじゃないか」
なるほど。そういう理由であんなでかぶつを作ったのか。一騎打ちなら負けるわけがない、そう言いたいらしい。
……ずいぶん舐められたもんだな。
「このまま戦い始めてもいいんだが、お前と戦う上でどうしても一つ確認しておきたいことがある」
それは、ある一つのあり得ない仮説だった。
「実は夢から覚めたとき、俺はお前の魔力量をこっそり調べていた。が、なぜかそのとき、俺の目には欠けらの炎も映らなかった。つまりお前の中には、一切魔力が存在していないってことだ。加えてあのとき、まあ今もだが、お前自身から微弱な魔力を感じていた。てっきり俺は、黒幕が魔法でお前という存在をつくりだし、それを裏から操っているのかと思っていた。――が、夜火の話を聞いて分かったよ」
「…………」
ジン・フレイルは、黙って俺の話を聞いている。まるでこの状況を楽しんでいるかのように、ニコニコと笑いながら。
だったらこっちも、このまま続けるだけだ。
「お前は自分を敵だと、それ以上でもそれ以下でもないと言っていた。そして、夜火の記憶のなかにいるジン・フレイルは、最後にこんなルールを発動している」
――〝俺、ジン・フレイルは世界の敵であり、世界を混乱へと導いた犯人でもある。すべての負の感情はその元凶に、俺にぶつけて晴らすこと〟――
「夜火の話を真に受けるのなら、ルールは意思のようなものをもっていることになる。もしかしてお前は、そんなルールの意思によってつくられた、ジン・フレイルの代わりとなる存在、つまり――ルールそのものなんじゃないのか?」
「…………」
「夜火の知る本物のジン・フレイルが死んだことで、ルールに穴が空いてしまった。その穴を埋めるため、ルールはお前という彼のコピーをつくりあげた。そしてお前は、ルール通り世界の敵となり世界を混乱へと導いた。違うか?」
「うん、少し違うね」
と、ジン・フレイルはそこで初めて俺の仮説を否定した。
「確かにボクは君の言うとおり、空いてしまった穴を埋めるためにつくられた存在だ。けどなにも最初から、ボクは世界の敵だったわけじゃない。その頃のボクは、ただただ穴を埋めるためだけにつくられた存在であり、ジン・フレイルという名をもった、人の形をした何かだった。また、すべての負の感情を一身に受ける、単なる的でしかなかった」
……そうか。ルール通りってことならそういうことになるのか。まさかこいつはそれで世界を恨んで?
「ボクは何回も死に、そして同じ数だけ蘇ったよ。けどいつしか、ボク、というかルールはこう思うようになった。――今自分がこうしてつくっているこれ(・・)は、一体何なんだろうか。これは確かにジン・フレイルではあるけれど、今これは世界の敵でもなければ、世界を混乱へと導いた犯人でもない。それじゃあおかしい。どうやら自分にはまだ、穴が空いているみたいだ。穴は埋めなきゃいけない。なら今すぐに――」
――世界の敵をつくり出そう。
「……っ」
それはあまりにも純粋で、まっすぐ過ぎる結論だった。
まさかこいつは世界を恨んで敵になったのか? こいつは自分を苦しめた人間を苦しめるためにあんなことをしたのか?
それなら、まだ良かったかもしれない。
「それまでのボクは、目的も何もない単なる人形でしかなかった。けどそれ以降つくり出されたボク、つまり今のボクは、世界の敵となるように生み出された存在。そしてルールは世界の敵となれるよう、ボクに|ルール(自分)という道具を与えた。だからボクはすぐにルールを書き換えて、世界を混乱へと導いたんだ。どう? これが真実だよ?」
「…………」
俺はそれに、何も言い返すことができなかった。
あいつは確かに、どうしようもないほどに――魔法なんだろう。
魔法は、術者の願いや思いを叶えるものだ。あいつは、ルールはただ、術者の願いを叶えようと動いているだけ。
魔力を込めれば、魔法は効果や威力を増す。……いや、そうではない。魔力を込めれば込めるほど、魔法は術者の願いを叶えようとする。
切れすぎる包丁で手を怪我して、その怪我を包丁のせいにするような――俺が今しようとしていることは、まるでそういうことなんじゃないのか?
俺はあいつとどう戦えばいいのか、分からなくなってしまった。
「しかし君、なんでそれをボクに確認したの? 君がその真実に気づいていると分かったら、当然ボクはこうするよね」
言い終わると同時、彼から感じる魔力の量が桁違いに増えた。
「……そうか。俺に消されないようにするためか」
「うん。これで君はもう、ボクを消せない。しかも今の君には、ルールの核を消せるほどの魔力もない。君はもう、ボクとまともに戦って勝つしかなくなった。といっても、バックアップは用意してあるから、どうせこうなっていただろうけどね」
ジン・フレイルは笑ってそう言う。
おそらく、あいつが使っている魔力はルールに込められている魔力のはず。どれだけの魔力があれに込められているかは分からないが、世界全体に影響を及ぼせるほどのものだ。魔力の量としては確実にこちらが負けているだろう。
「ボクはあまり自分を削りたくはないんだ。だからこそ君を手に入れたいんだよ。君という新しい道具をね」
「…………」
「殺しはしないよ。でも動かなくなるぐらいには――ちょっと弱ってもらおうかな?」
直後、彼の周りに数十本あまりの剣が生み出された。次いでそれらが一斉に、勢いよくこちらに飛んでくる。
俺はすかさず魔法を発動した。かまくらのような形をした半透明の壁が、イメージ通り俺の周りにあらわれる。
「……まだ、どう戦えばいいかなんて分からない。お前をどう思えばいいのかも分からなくなった。でもなあ――」
生み出された壁は固く、俺の望み通り、剣をすべて弾いていく。
「――あいつに誓ったからには! それを破るわけにはいかねえだろうがっ!」
負けるわけにはいかない。ただそれだけを強く思いながら。俺はまた、魔法を発動した。