第十八話
「その頃のわしは、どこかの島で一人、食事と睡眠を繰り返しながらただただ生きておった。じゃがある日、遠くの方で突然強い魔力を感じた。最初は気のせいかと思ったが、それを何度も感じればさすがにスルーできなくなった。わしは若干の興味を抱き、魔力を追った。そしてお主を見つけたんじゃ」
時間は夕方か。神社には一人の少年、というかおそらく幼い俺がいた。
なぜか幼い俺は、空中に赤い火の玉を浮かべて、それを嬉しそうに見ている。見たところ他には誰もいなかった。
「わしはまず姿を消して、お主の様子をうかがった。そうしてしばらく見ていれば、わしの中にだんだんと、久しく抱いていなかった感情が湧き上がってきた。お主の魔法を見て、無意識のうちに思い出していたようじゃ。元の世界のことを。昔の記憶を。じゃからわしは最初お主を――殺そうとした」
「……は?」
「湧き上がってきた感情は憎しみじゃったんじゃよ。そのときのわしは、元の世界、魔法、人間、それらを心のどこかで恨んでいたらしい。後になって気づいたが。じゃからこそ最初は、元の世界を連想させるお主を、この手で殺そうとした」
「…………」
正直聞きたくなかったかもしれない、その真実は。
というか俺、こいつと初めて会ったとき殺されそうになったっけか? そんな殺伐とした空気じゃなかった気がするが。
首をかしげていると、俺以外いなかった神社に突然一人の少女が姿をあらわした。
夜火ではない。ルゥだ。
後ろ姿しか見えないが、髪をまっすぐ腰まで下ろしていて、当然というべきかかなりぼさぼさ。足は素足で、身に着けているのはボロボロのワンピース一枚だけ。だが意外と、最低限の身だしなみや清潔さは保っているようだ。
かなり痩せてはいるが、身長は俺の知る今のルゥとほぼ同じぐらいだった。
……ってか、ん? そういえばこいつって、
「なあ、今のルールが発動するよりも前に、向こうの世界に飛んだってことはつまり、お前は最低でも二百年は向こうの世界で生きていたってことだよな。お前って今歳いく――」
「勇。わしがルゥとしてお主に初めて会ったとき、言わなかったか? わしは今、十六歳じゃ」
「いや、それはさすがにサバ読みすぎ――」
「まあ待て。思い出せ。わしは半分ドラゴンなんじゃ。ドラゴンは成長期を過ぎると、成長がぴたりと止まり、それ以降一切姿が変わらなくなる。死ぬまでな。要は老化がないんじゃ。わしは十六歳を過ぎたあたりで、いくら時が経っても体重以外はまったく変わらなくなった。じゃからわしは永遠の十六歳じゃ」
「お前どこのアイドルだよ」
思わずつっこんだが、そこでふと隣を見てみる。
そこには、足をぐでーっと伸ばして地面に座っている、見た目十歳前後の、しかし実際は二百年以上は生きている、自称永遠の十六歳の、人間とドラゴンのハーフ様がいた。
「……いや、そうだな。俺が悪かった。年齢なんてものはああ、粗末な問題なのかもしれないな」
「じゃろ? お主がまた賢くなったところで、さて、続きといこうか」
視線を戻す。とりあえず目の前のことに集中することにした。
とにかく、これで納得がいった。どうやら俺が記憶している夜火との出会いは、初めての出会いではなかったらしい。実際はこれ。俺はルゥの姿をした彼女と先に出会っていたようだ。
しかし俺は、このときのことをまったく覚えていない。どうなるのか興味がわいた。
「話を戻すが、わしはこのとき確かにお主を殺そうとしていた。相手が子どもじゃったからな。大した警戒もせず後ろから、姿まで現してゆっくりと近づいていった。じゃが、あと一歩踏み出せば触れられる、そんなところでお主はようやくわしに気づいた」
視点が変わり、俺の横顔とルゥの横顔が見られるようになった。
俺はなにを考えているのかよく分からない、間抜けな表情でルゥを見つめ、ルゥはそんな俺を無表情で見つめている。長く伸びた前髪から、わずかにのぞく彼女の瞳には、どこか色というものが抜け落ちている気がした。
「やがてわしは、最後の一歩を踏み出そうとした。が、そのとき、お主はわしに対してこう言ったんじゃよ。『お姉ちゃん、どうして泣いているの?』とな」
「ん? 泣いている?」
いや、ルゥは泣いてはいなかった。
「そう。わしはそのとき泣いてなどいなかった。もしかしたら、子どもは感性が鋭いと言うからのう。そのとき幼いお主は、わしの雰囲気や姿を見て、泣いていると勘違いしたのかもしれん。わしはお主の言葉に思わず足を止めたが、すぐにまた、一歩を踏み出そうとした。――じゃが、またそこでお主は言った」
まもなく、マネをしているつもりなのか、隣から妙に明るくバカっぽい声が聞こえてきた。
「『あ、あれ? 違う。べつに泣いてないじゃん。あは、勘違いだったみたい、ごめんねお姉ちゃん。おわびにいいもの見せてあげるよ』と笑いながらな。わしは呆気にとられ、また足を止めてしまった」
「我ながら、なかなかの自由奔放ぶりだな。っていうか、さっきもこのときも、俺の言葉分かってたのか?」
「ああ。色々と不便じゃし、この世界の知識も得る必要があったからのう。この世界にあるすべての言語を理解する、という魔法を自分自身にかけておった。じゃからわしはこのとき、お主の言葉を理解し、また場違いな笑顔を見せられ思わず足を止めてしまったんじゃ。そしたらお主が」
と、幼い俺はなぜか空中にぽんぽんと火の玉をつくり始めた。しかもすべて色の違う火の玉を。
元々あった赤い火の玉から始まり、オレンジ、黄色、緑、水色、青、紫といった順番で火の玉を生み出していき、まもなく俺はそれを一か所に集めると、混ぜた。途端、火の玉は一瞬強く発光したが、すぐに光は弱まり、いつの間にかそこには――光り輝く〝虹色〟の火の玉が浮いていた。
「『綺麗でしょ?』とこれを見せてきて、わしは正直もうこれで何もできなくなっていた。しかもその後お主が笑って――『前に先生が言ってたんだけどね。虹を見ると人はみんなつい笑顔になっちゃうんだって。だからボクはいつかこの空に、世界中のみんなが一緒に見れるような大きな虹をつくって、みんなを笑顔にしてあげるんだ。だからまずは、今目の前にいるお姉ちゃんがこの虹を見て、つい笑顔になってくれたらボクはうれしいんだけどなぁ』――なんて言うもんだから、わしはもうすぐにそこを逃げ出したよ」
確かに、転移でもしたのか、ルゥは現れたときと同じように忽然とその場から姿を消した。残された俺はぽけーっと間抜け面をさらしている。
ってか、この頃の俺ってそんな純粋だったのか? 全然覚えていないんだが。
「このときのわしはただただ恥ずかしかったんじゃ。今の自分をお主に見られるのがな。だから逃げ出した。そして次の日、またこの神社に足を運んだんじゃ。夜火の姿をしてな。会える可能性は低かったが、お主に会うために。そしたら、またお主はそこにいた」
「……そうか。俺が記憶している初めての出会いはそのときってわけか」
場面が変わり、俺と夜火は神社で向かい合っていた。
時間はやはり夕方。確かこのときの俺は、学校帰りに人の少ないこの神社へと立ち寄り、魔法の練習をしていた気がする。こっそり特訓っていうものに憧れていたから。
「最初わしは、お主に対して色々と話しかけたが、なにを話してもお主は首をかしげているだけじゃった。しばらくして気づいたよ。あ、これ、異世界の言葉だから分かるわけないじゃん、とな」
「お前……やっぱ間抜けだよな」
「うるさいっ。と、とにかく、それでわしはお主に対して魔法を発動したんじゃ。――お主はわしの、というよりこちらの世界の言葉が理解できる、と。じゃからこそわしとお主は今こうして話せているというわけじゃ」
「ああ、だから俺はこの世界、異世界の言葉が理解できる、というか日本語で聞こえるのか。……しかしそうなると、なぜこっちの世界の人間は全員、俺の言葉が理解できるんだ? という疑問は解消しないな」
「いや、それは」
「私がやったんですよ。ユウさん」
そのとき不意に後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。 反射的に振り向けばそこには、なにやら小さい水筒を十数本わきに抱えた、アリーシャの姿があった。
「うお、集中してたから気づかなかった。いつからそこにいたんだ? それに、私がやったって」
「来たのはついさっきですね。あと、私がやったというのは私がユウさんに魔法をかけたということです。あのとき、ユウさんが気絶している間に。
つまり――あなたはこちらの世界の言葉が理解できる、加えて、あなたは私たちの言葉が話せるようになる。そして、こちらの世界と向こうの世界の言語を無意識のうちに使い分ける、と。はじめての試みだったんで正直成功するかどうか分かりませんでしたが、自分の言葉を意識しながら念じてみればなんとか上手くいきました。良かったです」
「それ、魔法というよりまるで暗示だな」
そうなると今、こうして話している間も、俺は無意識のうちに異世界の言語を話しているというわけか。自分では日本語を話しているつもりだし、確かに日本語で聞こえるが……ああ、そうか。俺は今魔法によって、異世界の言葉が日本語で聞こえるようになっている、だから自分の言葉も日本語で聞こえるのか。
こうなってくるとあれだな。魔法抵抗力ってのは高ければいい、ってことでもないのかもしれないな。
「そういえば夜火、今なにか知ってそうな口ぶりだったが、もしかしてお前、あの場にもいたのか?」
夜火の方を向いてそう聞けば、彼女はなぜかきまりの悪そうな顔をしていた。あと気づけば、いつの間にか周りの幻覚が消え、風景が元に戻っている。
まあ、アリーシャが来た今、昔話に花を咲かせている場合でもないか。
「あ、っていうかアリーシャ。それ、魔力回復薬ってやつだろ? それを飲めばいいのか?」
「はい、ボスから話は聞いています。これから他のメンバーも来ると思うので、どんどん飲んでいってください」
そう言いながら、アリーシャは俺のそばにどさっと水筒を置いていく。俺はその内の一つを手に取ると、ふたを開けて中身をぐいっと飲み干した。やはり、悪くない味だ。
「で、夜火どうなんだ? あのときあそこにお前はいたのか?」
次の水筒に手を伸ばしながら聞いてみれば、彼女は、
「ああ、いた。実はあの後、神社でお主と別れてからも、わしはこっそりお主の後をつけておったんじゃ」
「……それってお前ストーカー」
「断じて違う! あのときはっ、お主以外の魔力を突然感じたから、護衛の意味で後をつけておったんじゃ! それにわしのおかげでお主は命拾いしたんじゃぞ!?」
叫ぶ夜火。だがあのとき俺を助けてくれたのはアリーシャで……
「いや、そうか。もしかしてあのとき、フード男が帰ったのは」
「そうじゃ。わしがあヤツに思いっきり殺気をぶつけてやったからじゃ。本当は剣を取り出したときぶっ飛ばしてやるつもりじゃったんじゃが、そこの銀髪娘が現れたからのう。とりあえずそのまま成り行きを見守っておった。しかし、両者の間には明らかに実力の差があったから、手を貸したんじゃ」
「え、そうだったのか?」
アリーシャの方を向けば、彼女はこくりと頷いた。
「そうですね。あのまま戦っていたらおそらく、ユウさんは殺されていました」
「……そうか。じゃあ、礼を言うべきだな。――ありがとう、夜火。助けてくれて」
「私からも礼を言わせてください。本当にありがとうございます」
二人で頭を下げれば、夜火はぷいっとそっぽを向く。若干、耳が赤くなっていた。
相変わらず、分かりやすいヤツだ。
「しかしそれだと、俺はお前に三度命を救われたことになるな。これは……ひどく重い命だ」
「当たり前だバカモン。お主の命はこの世界よりも重い。それを重々承知しておけ」
「ああ」
噛みしめるように頷くと、俺はまた水筒に手を伸ばし、中身を一気に飲み干した。