第十五話
「そういえば勇、まだゲームの決着がついていなかったのう。じゃからここはどうじゃ? この勝負でその決着をつけてみんか? 当然賭けもそのままで」
「負ければ相手の言うことを何でも一つだけ聞く、か? あのときならいざ知らず、今の俺に勝てると思っているのか? お前の魔力量で」
「ほう。魔力量を調べる方法も知っているのか、お主」
夜火は感心したように薄く笑みを浮かべる。
――魔力量。つまり人の中に眠る魔力の量は、魔法に込められている魔力と違い、感覚でもって調べることはできない。というかできなかった。
考えてみれば当然だ。なにしろ外に出ていないのだから。いくら匂いの強いものが目の前にあっても、それを箱の中に入れて密閉してしまえば、外にその匂いは伝わらない。おそらくその原理と一緒だろう。
ならばどうやって今まで会ってきたヤツら、アリーシャやゼドーたちは、俺の中に眠る魔力の量を知ることができていたのか。少し考えたらすぐに分かった。
魔法だ。ためしに、『あいつの中に眠る魔力の量を知りたい』なんて念じてみれば、相手のちょうど胸あたりに、突然燃え盛る炎があらわれた。その炎こそが、相手の魔力量を目に見える形として例えたもの、要は可視化された魔力そのもの。
そしてその炎の大きさや勢いで、その人の魔力量を知ることができる。その方法で夜火の魔力量を調べてみれば、とても小さく弱々しい炎が見えたのだ。
「じゃが、お主は一つ勘違いをしておる。魔法使い同士の戦いで重要なのは、なにも魔力の量だけではない。――全てじゃ。魔法を扱う上手さ、魔力を感知するスピード、状況判断、また処理能力の速さ、あらゆる要素とわずかな運、そして経験の豊富さで勝負は決まる。だからこそ逆に聞こう。お主、わしに勝てると思っておるのか?」
「ああ、勝てる」
即答してやった。
「ほ、ほう? ああ、勝てる、か。……わし、今ちょっとカチンときちゃったぞ? お主、少々おごりが過ぎるのではないか?」
「俺はいずれそうなる事実を言っただけだ。それに、文句があるなら結果で示せ。そうじゃないか?」
言ってやれば、夜火がふっと真面目な表情をつくる。あわせて雰囲気も変わった。
「……うん、ならばそうするとしよう。じゃあまずは、軽い復習といこうかの?」
彼女の口が閉ざされた途端、一瞬だけ魔力を感じた。するとすぐに、夜火の周りに六つの火の玉が現れ、かと思ったらまもなく、彼女はそれら火の玉を空中に浮かべながら、勢いよくこちらに向かって走ってきた。
「復習か。ならこれで――」
俺は彼女を止めるため、
「――合格か?」
くるっと後ろに体を向けると、すかさず手を突き出し、何もない空間を鷲づかみにした。
瞬間、
「……合格じゃ」
何もなかった空間に、突然夜火があらわれた。いや、姿をあらわした、の方が正しいか。
俺に額を掴まれながら彼女は、
「よくぞ幻覚を見抜き、わしの居場所までつき止めた。しかしなぜ今、ここでわしに何もしない? 絶好の機会だと思うがのう。まさかあれだけ言っておきながら、わしを傷つけることを躊躇っておるのか?」
「なに、俺にとっての正解をまだ見つけていないからな。もう少しぐらいは付き合ってやろうと思っているだけだ」
「そうか。ではその正解とやらが、わしにとっていい正解であることを切に祈りながら、さて、次の問題といこうかのう」
一瞬魔力を感じたかと思ったら、目の前にいた夜火がぱっと消えた。
が、そう理解した次の瞬間には、彼女がすぐ後ろに転移したのだと突き止め、俺はそれとほぼ同時に転移した。そして逆に、彼女の後ろを取る。ついでに、目の前にあった小さな頭にぽんと手を置いた。
「で、また正解か?」
「……後ろを取ったと思ったら、この様か。なるほどお主、さては魔法で五感を鋭くし、魔力ではなく匂いや気配でわしを追っているな? 予習は十分というわけか」
当たりだ。なにしろこいつの魔法には一つ大きな欠点がある。
それは――視覚的な影響力しかもっていないということ。
ゼドーはこれを、蜃気楼みたいとか、目には見えるが直接的な影響力はまったくない、というような表現をしていたが、確かにその通りだ。
魔法に魔力を込める理由は、なにも相手に魔法を消されないようにするために、だけではない。魔力を込めることで、その魔法としての効果や威力を高めているのだ。もしくは現実に近づけている、か。
幻覚に魔力を込めれば、その分より現実に近づき、視覚だけじゃなく匂いや気配まで相手を騙すことができる。だが逆に、一切魔力が込められていなければ、視覚のみしか騙せない。ならば対処は簡単だ。
「お前の魔法は奇襲や罠向きで、こういう一対一の勝負には向いていない。ましてや今回みたいに、相手に手の内を知られていればもう勝ち目はない」
「ああ、確かにそれも一理ある。ならこれはどうじゃ?」
直後、また夜火が姿を消した。すぐさま気配をたどり、そちらへ視線を向ける。
「……っ」
と、そこには四人の夜火がいた。いや、それだけではない。まるで何かのゲームのように、その周りに夜火の偽物が次々と姿を現す。
しかもどうやら、魔力のない偽物もいれば、魔力がある偽物も結構な数混ざっているようだ。加えて夜火の本体も魔法で匂いや気配を消している。
「なるほどこういう手か」
だが、あいつの狙いは分かっている。おそらくは俺が本体を見つけようと魔法を発動した瞬間、その隙をついて奇襲をかけてくる気なんだろう。あいつらしい作戦だ。
ならば。
「「「「本物のわしを当ててみろー!」」」」
まもなく、三ケタはいるんじゃないかという夜火の大群が、こちらに向かって一斉に飛んできた。
「……ならば、俺も俺のやり方でお前を倒すとするか」
俺は、そんな彼女らを見つめながら、頭の中でイメージを浮かべる。そして、
「――凍れ」
そう呟いた。途端、魔法が発動し、目の前に大きな氷山ができあがる。中に人を、三ケタ近い夜火を閉じ込める形で。
いや、中の冷気に耐えきれなくなったのかたちまち、偽物たちが現れたときと同じように次々と姿を消していった。
やがて残ったのはただ一人。
「もって数分。その間に、これを見て俺がどう思うのかどうかで、俺にとっての正解が決まりそうだな」
ぼーっと氷山を眺める。
あいつが、自力でここを出ることはまず不可能だろう。夢の世界での失敗を活かして、転移は封じてあるし、強度もかなり高い。あいつの魔力量では氷を溶かすことも、壊すことも、消すこともできないはずだ。
俺が魔法を発動するとき、わざわざ言葉に出すのはその方が感情を込めやすいからだ。言葉に感情を乗せる感じか。
今回はありったけの敵意を言葉に乗せた。おかげで魔力がだいぶ減ったが、まあ、勝負はもうついたし大丈夫だろう。
「……ん?」
そう思ったときだった。氷の中に閉じ込められている夜火の体から、ボワッと勢いよく炎が吹き出した。
てっきり悪あがきかと思ったが、次の瞬間、どういうわけか氷がみるみると溶けていく。そして一分もしない内に氷がすべて溶けると、地面に大きな水たまりができあがった。
「……おい、どういうことだそれは」
「まさかこれを使うはめになるとはのう。まったく予想外じゃ」
夜火の体からはまだ勢いよく炎が吹き出している。が、魔力は一切感じられない。なのに――熱い。焼けるように。
ということは、現実の炎そのものということだ。視覚のみのまやかしではない。というかそもそも、実際にあの氷を溶かしている。
一体、あれは何なんだ――?
「クク、驚いているようじゃな。まあ、無理もない。魔法を深く理解している者ほど、この炎は不可思議で、異常で、また未知な存在としてその目に映るじゃろう。そうすればなるほど。お主は魔法をちゃんと理解しているようじゃ」
「……お前のそれは、魔法なのか?」
「さあ。お主が元に戻ってくれるのなら、教えてやらんこともないぞ?」
「ならいい。分析は得意だ。自力であばいてやる」
と、夜火は腰に両手をあてながら、やれやれ、と首を横に振った。
「残念じゃ。とはいえ一つだけ、これはただで教えてやろう。もうこれは――すでに魔法使い同士の戦いではなくなっておるぞ」
「っ!」
後ろに気配を感じた。もはや反射でそれを捉え、イメージし、後ろに感じた気配のさらにその後ろへ転移する。
「く……っ!」
だが、夜火の身を覆っていた炎が突然勢いを増し、俺を襲ったため、慌ててまた転移しその場を大きく離れた。
「ぐっ、万能かっ。これじゃ隙がないっ」
軽い火傷を魔法で治す。治しながら、頭をフル回転させた。
魔力がもうあまりない。このまま戦えばいずれ確実にこっちが不利になる。
しかし、あれだけの炎を発生させていて、リスクもコストもないとかまずあり得ない。必ずどこかに弱点があるはずだ。
出方を窺うふりをして、夜火の様子を観察してすれば……なるほど。息が荒いな。汗もすごい。
「よくよく考えてみればそれだけ高温で熱量の大きい炎を体にまとわせていて、中にいる人間が無事なわけがないな。服も焼けていないし、お前自身にダメージはないみたいだからおそらく結界のようなものを周りに張っているんだろうが、その様子じゃ完璧な結界じゃなさそうだ」
「お主……ずいぶん戦いにくい相手になったのう」
ふっ、と夜火は炎を消した。
「じゃが、それはちと違う。結界は完璧じゃ。しかしその分、張るのに体力が必要なんじゃ。だからこうも疲れる。まあ、お主の見解とさして結果は変わらんか」
「じゃあこの勝負、持久戦になりそうだな」
言いながら、イメージを浮かべる。俺ももう魔力はそうない。強度は弱めにした。
今度は言葉を発することなく魔法を発動すれば、視界のなかに、水のかたまりが出現した。
「――!」
形は立方体。一辺の長さは十メートルほど。その中心に夜火はいた。もろに水を飲んだのか。苦しそうに喉を手でおさえている。
あの中は、氷の中同様転移を封じている。また、重量で落ちないよう逃げられないよう、全方向から圧力もかけている。
おかげで魔力切れ寸前だ。これで完全に勝負は決するだろう。
「……やはり、そう来るか」
すると見つめる先、四角いプールのなかで夜火が炎を吹き出した。
あいつには今、魔力がほとんど残っていない。魔法という選択肢を失ったあいつは、たとえ著しく体力を消費しようともあれを選ぶしかない。予想通りではあった。
しかし思ったよりも、水の中だというのに火力を維持しているようだ。水が蒸発しているのかプールが少しずつ小さくなっていく。
「あいつの体力か、プールか、さて、どっちが長くもつ?」
俺にもう、できることはなかった。やがて出る結果を、じっとここで待ち続ける以外。
勝利を願うことも、敗北を願うこともしなかった。ただただ無心で、無言で、それを見続ける。
ほどなくして、戦いの決着はついた。
「……引き分けか」
水がすべて蒸発した瞬間、夜火はどさりと地面に落ちた。そしてあお向けの状態で地面に倒れる。
俺はゆっくりと彼女の元に向かった。
「だ……だめじゃ。からだが、ぴくりとも動かん」
「なるほど意識はあるのか。体は動かないようだが」
夜火のそばに立つ。彼女ははぁはぁと苦しそうに呼吸を繰り返していた。
おそらくかなりの無茶をしたんだろう。それ故の引き分けか。
「まあ、でも残念ながら。勝負全体では俺の勝ちのようだな」
小さな短剣を手元に生み出す。魔力切れ寸前だが、これぐらいならぎりぎり生み出せたようだ。
俺は剣の柄を握りしめると、夜火の胸にその切っ先を向けた。
「そ、そうか。わしは……まけたのか」
そう言って、夜火は目をつぶった。
「悔しいのう。もう少しでお主を、従順な、わしのペットにできたというのに」
「おいおい、召し使いからペットに格下げしてるし」
「クク……いや、今のお主にはぴったりじゃろ?」
こいつ……まさかこの首輪のこと言ってんのか? ったく、こんな状況だってのに大したヤツだよ、お前は。
「夜火。ほんの一瞬だけ昔の俺として、お前に言っておきたいことがある」
「? なんじゃ?」
その言葉は案外、すんなりと口から出すことができた。
「お前に出会えて、本当によかったよ」
「…………」
笑って言えば、夜火もまた、一拍の間は空いたが、
「わしもじゃ」
やがて笑ってそう言った。
俺はそれを聞いて……再び剣の柄をしっかりと握り直した。ゆっくりと息を吸い、またゆっくりと息を吐く。
そして俺は、彼女の胸に向かって勢いよく、剣を、まっすぐと振り下ろした。
「…………夜火――」
剣は深々と、夜火、彼女のすぐそばにある、焼け焦げた地面へと突き刺さった。
「――なんでだよ。なんでお前は」
剣の柄を握ったまま、思わずそれを口に出す。
「今、この状況で、このタイミングで、そんな表情を浮かべられる? 俺は本気でお前を殺そうとした。それはお前も理解していたはずだ。なのにどうして、それでも――笑っていられる?」
夜火は剣が振り下ろされたその瞬間であっても、変わらず笑っていた。
それは全てをあきらめた、投げすてたような笑みではない。全てを受け入れ、受け止めていた笑みだった。
死を、ではない。俺を、俺の行動を、俺のすべてを、受け入れ受けとめ、そして許す笑みだった。
とてもやさしく、純粋で、大人びた、やわらかい笑み。この状況で浮かべられるようなものではなかった。
「今まで長い時間を一緒に過ごしてきた俺に、一緒に笑いあってきた相手に、今まさに殺されようってのに……どうして」
「――お主だからこそじゃよ。今死ぬというのなら、つまり今浮かべているこの顔が、お主の記憶に残る最後のわしの顔ということになる。ならば、お主にはぜひ笑ったわしの顔を最後の記憶として残してほしいんじゃ」
「…………」
顔を上げ、夜火の顔を見る。
彼女は目を開け、こちらを見つめていた。優しい笑みを浮かべながら。
「なん、でだよ。なんでそんな表情で俺を見る。今の俺はお前の知る、佐藤勇でもなければ世界を救う救世主でもない。ただただ生きることに、強くなることにしか必死になれない……弱くつまらない男だ」
「ああ、確かにお主は変わったのう。神にまで誓った誓いも破り、ルールを壊すこともせず、自分のことで精いっぱいで余裕がない。わしの知るお主でもなければ、みなが希望を寄せる救世主でもない。確かに変わった」
「なら――っ」
「じゃがな。それでも、いくら変わろうがやっぱりお主はわしにとって」
夜火は空を見上げ、また噛みしめるようにゆっくりと、目をつぶった。
「――心から一緒に笑い合える友人であり、また本気で負けたくないと思うライバルでもあり、同時にわしの後をやれやれと言いながらも笑って付いてきてくれる優しい兄であり、じゃが時々はわしの後を信じて付いてきてくれる可愛い弟でもある――とにかく大好きな男の子なんじゃよ」
「――っ」
「わしはお主の笑顔が好きじゃ。あの困ったような笑顔が。あの強気な笑顔が。あの無邪気な笑顔が。あの楽しそうな笑顔が――どれもたまらなく好きなんじゃ」
「……どう、して……」
どうしてお前は……そんなことを、今笑って言えるんだ。
大切な人に殺される苦しみは、悲しみは、俺が一番よく分かっている。
「なのになぜ……止めようとしない。俺を責めない。お前は今から、死ぬんだぞ?」
「わしはな。もうダメなんじゃよ。この通り……ああ、どうしようもないほどに、たとえ殺されようとも揺るがぬほどに、お主のことを――好いてしまっておる」
「……っ。くそ――っ」
俺は地面から剣を引き抜くと、乱暴に振り上げ、再び切っ先を夜火の胸へと向けた。
「…………」
それでも、彼女は変わらなかった。
「わしはわがままな女じゃ。好きな男には、どうか自分の笑った顔を思い出してほしい。そしてそれで、また笑ってほしい。こんなバカな女がいたんだと。わしの大好きな笑顔を浮かべて、いつかまた思い出してほしい。それを叶えてくれるのなら、わしはお主のすべてを許そう」
「くそっ! こんなの――っ」
俺は腕に力を込めた。
震える切っ先を必死に合わせて、叫ぶ。
「こんなのっ!」
だが。
「……こんなの……殺せるわけ、ねえだろうがよぉ……」
俺はゆっくりと剣を振り下ろした。
剣は再び、焼け焦げた地面へと突き刺さる。
悲しくもないのに、なぜだか涙が流れ出した。
「ん? おいおいお主、わしに見せる最後の顔が、そんな泣き顔でいいのかの? チャンスは今しかないぞ?」
「っ。……バカッ、ヤロウ……っ」
夜火の軽口に、震えた声でそう言って、俺は思わず泣いたまま――笑った。