第十二話
……
…………
「――う。――なさい。――わよ」
どこからか、声が聞こえる。
「――う。――起きなさい。――するわよ」
それはなんとなく聞き覚えのある声だった。俺はぼんやりと目を覚ました。
「勇。そろそろ起きなさい。遅刻するわよ」
「っ!」
そして跳ね起きた。か、母さんっ!? 驚きながらも、周囲に視線をめぐらせる。
こ、ここは。見覚えのありすぎる部屋だった。つーかどう見ても――俺の部屋だった。
「な、なんだ? なにがどうなってるんだ?」
状況がいまいち分からない。確かジン・フレイルは俺に夢を見せるとか言っていた。ならこれは夢なのか? 試しに頬をつねってみる。
……い、痛い。ってことはこれ、夢じゃないのか?
いやでもそうなると逆に、今までのがなんだったんだってことになる。――くそっ、わけが分からないっ。
「勇っ。いい加減起きなさいっ。遅刻しても知らないわよっ」
「……まあ、でも、とりあえず起きるか」
考えても分からなさそうだし、それよりも母さんの声に怒気がこもり始めたから、俺はベッドをおりるとすぐに部屋を出た。
「やっと起きた。早く顔洗って朝ごはん食べちゃいなさい」
「……ほーい」
確かに母さんだ。つい昨日会ったばかりなのに、なんだかずいぶん久しぶりに母さんの顔を見た気がする。それほど濃い一日だったってことだろうか。
俺は母さんの指示に素直に従い、洗面所で顔を洗うとそのままダイニングに向かった。
そこには、父さんと母さんの姿があった。
母さんはキッチンで洗い物、父さんはコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。朝、よく見る光景だ。
俺も父さんと同じように席につく。目の前のテーブルには味噌汁や目玉焼き、ごはんなどの朝食が並んでいた。
まずは味噌汁を手にとる。そして一口すすった。
「…………」
紛れもなく母さんの味だ。
これが、本当に現実なんだとしたら、昨日の出来事や今日一日の出来事の方が逆に夢だったということになる。
それはつまり、こういう当たり前の日常が俺の元に、また戻ってきたということになる。それは喜ぶべきことのはず。
……はずなのに、そう思ったとき、俺はなぜか少しだけ〝寂しい〟と思ってしまった。
「あら。こんな時間に誰かしら。勇。ちょっと出てきて」
と、そのとき、ピンポーンとチャイムの音が鳴り響いた。
ったく、こんな朝っぱらから誰だよ。俺は味噌汁をテーブルに置くと、席を立ち玄関へと向かった。そこへもう一度、チャイムの音が鳴り響く。
「はいはい。今開けますよー」
せっかちな人だな、なんて思いながら、玄関の扉を開ける。
「――よう」
目の前には、フード男が立っていた。
直後、なにかとても熱いものが、体の中に入ってきた。
「……え?」
ゆっくりと下を向く。下を向いて、気づいた。――剣が一本、胸に突き刺さっている。
「がふ……っ!」
口から勢いよく血を吐き出した。遅れて痛みがやってくる。
――ああ、あああああっ、痛、いっ。後ろによろめいた。思わず胸を手でおさえる。
なんだよ、これ。なんなんだよ、これ。なにも考えられなくなった。
痛みとすごい熱のせいで、頭がぐちゃぐちゃになる。ぐちゃぐちゃのまま、俺はうしろへと倒れた。
「――――」
口から出るのは、かすかな吐息と温い血ばかり。気づけば、いつの間にか痛みも薄れ、全身から力が抜け始めていた。意識もだんだん薄れ始める。
「まずは、一回目だ」
その言葉を最後に聞いて、俺は意識を失った。
「――っ!」
跳ね起きる。すかさず胸に手を当てた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
剣は、なくなっている。それどころか怪我も、痛みも、熱も、何もかもがなくなっている。しかもここは俺の部屋で、俺のベッド。まるであれが全部夢だったかのように、すべてがすべて元に戻っていた。
「く……っ」
いや、違うっ。あの痛みは本物だった。思い出そうとすると胸にずきりと痛みが走る。
一体なにが、起こっているんだ。といっても考えられる可能性は一つしかなかった。
これはおそらく、ジン・フレイルの魔法なんだろう。
しかし、どんな魔法なのかが分からない。あいつは夢を見せるとか言っていたけど、夢にしては何もかもがリアルすぎる。
でも、とにかくこれが魔法だっていうんなら、消すことができるはずだ。そしてそのためには、
「魔力、か……」
見つけなきゃいけないものがある。俺はベッドをおりた。ついでにゼドーさんの言っていたことを思い出してみる。
彼は、感覚で見つけるしかないと言っていた。魔力は目に見えないもんだから、ちょっとした圧迫感だったり、肌を刺すような感覚だったり、そんなわずかな違いで魔力を見つけるんだと。
あまり自信はないけど……やるしかない。とにかく魔力を見つけるために、俺は部屋を出た。
廊下に母さんの姿はなかった。どうやらさっきと状況が違うらしい。誰もいない廊下を歩く。集中力を高めながら、やがて階段をおり始めた。緊張しているせいか、なんとなく空気が重い気がした。
そんな感じで、廊下をおり切る。そこへ、
――ピンポーン。
「っ!」
また、チャイムの音が鳴り響いた。思わず胸をおさえる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
大丈夫だ。大丈夫。扉を開けなきゃあいつは入ってこない。だから落ちつけ。自分にそう言い聞かせる。
そんな俺を追い詰めるように、もう一度チャイムの音が鳴り響く。
「くそっ、来るな。もう行ってくれ……っ」
「――お兄ちゃん、どうして開けてあげないの?」
「……っ」
慌てて後ろを振り返る。
そこには、勇人がいた。な、なんだ。ホッと胸を撫で下ろした。
「い、いや、あれは開けなくていいんだ。それより朝ごはんを食べよう。ほらほら」
「え、なにっ? ど、どうしたのっ?」
肩を押して無理やり勇人を歩かせる。
「お兄ちゃん変だよっ? 本当に開けなくていいのっ?」
「いいのいいの。だから早くいこう」
「なら――僕がやらなくちゃいけないじゃん」
途端、ドスンと、鈍く重い音が俺の耳に届いてきた。同時にヒドイ痛みと、焼けるような熱さが全身を駆けめぐる。
「かはっ」
また血を吐き出しながらも、どうにか下を向いた。すると、
「……な、なんで……」
勇人が、俺の胸に剣を突き刺していた。無邪気な笑顔を浮かべながら。
それを確認したところで、俺は前へと倒れ込む。ゴボリと、盛大に血をぶちまけた。
もう、わけが、分からない。
「お兄ちゃん。――二回目だよ」
そんな勇人の声を最後に、俺はまた意識を失った。
「――おいっ、勇っ! 起きろっ! バカにしておるのかっ!」
「……はっ!」
目を覚ます。直後、おでこに軽い痛みと衝撃を感じた。
「いてっ」
思わずおでこを手で押さえる。そんな俺に、呆れ声がとんできた。
「まったく、人が話している最中にいきなりぐーすか寝始めおって。これで目が覚めたかの?」
「よ、夜火?」
隣に顔を向けると、すぐそばに夜火の顔があった。どうやら彼女は、寝こけてた俺にデコピンをかましたらしい。
ってかここ……え? 神社? 今度は家ではなく、俺は夜火と並んで神社の本殿、その軒下に腰をおろしていた。
「では、もう一度話すぞ? わしはこの前、商店街に買い物に行ったんじゃ。それでわしは八百屋でリンゴを三つほど買った。そしたらそこの店主、なんて言ったと思う? 『お嬢ちゃん、おつかいか? 偉いじゃねえか。どれ、もう一つおまけしてやろう』などと言いおった」
こ、これって、場面が変わったってことなのか? ほんとにどんな魔法だよ、一体これ。ますますわけが分からなくなった。
――でも、なぜだろう。夜火が隣にいるかと思うと、少し泣きそうになった。
いや、こいつは偽物だ。それは分かっている。
けど……なぜか心が妙に落ちついてしまった。
心が落ちつけば、代わりに湧き出すのはジン・フレイルへの強い怒り。
ふざけやがってっ。こんな悪趣味な魔法、さっさと消してやるっ。俺は目を閉じて集中した。
「だからわしは言ってやったんじゃ。『子ども扱いするな! わしは大人じゃ!』とな。そしたら店主は『ごめんごめん。分かってるって』などと軽く謝りおった。まったくひどい話じゃ。……まあ、一応おまけはもらってやったがのう」
目を閉じれば、脳裏にまざまざと、ついさっき見たばかりの、俺の胸に剣を突き刺す勇人の姿が思い浮かんでしまう。
……っ。すかさず頭を横に振った。あれは幻だっ。忘れろっ。集中することで、嫌な記憶を外へと追いやる。
これが魔法だっていうんなら、やっぱり魔力を見つけて消すしかない。どこだ魔力――
「こらっ! お主! また寝るつもりかっ!」
「いたっ」
またおでこに軽い痛みと衝撃を受けた。おかげで集中が切れてしまう。
「ちょっ、夜火っ。頼むから今は静かにしててくれっ」
「な、なんじゃとっ? お主、いつからそんな冷たいことを言うようになったっ。おいっ」
夜火がまだ何かを言っているがとりあえず無視。もう一度目を閉じ、集中力を高めた。
くそっ、どこだよっ。魔力っ。感覚で見つけろったって、分かんねえよっ。
「くっ、お主がその気ならもうよいっ。お主のことなんて知らんっ。これでもう――終わりじゃ」
パチンッ、と小気味よい音が隣から聞こえてきたかと思ったら、次の瞬間、俺はありえないほどの消失感をその身に味わった。
「……え」
目を開け、次いで呆然と下を見る。
「――――」
――腹に、大きな穴が空いていた。
「……なん……」
そして俺は、
「勇。これで三度目じゃ」
また死んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
それからも、俺は何度となく蘇り、そして同じ数だけ殺された。しかも悪趣味なことに、俺を殺してくる相手が最初以外すべて俺にとって大切な人たち、つまりは夜火や勇人、父さん母さんという徹底ぶり。
おそらくこの世界は、俺の記憶を元にして作られているんだろう。ジン・フレイルへの怒りは、やがて憎しみへと変わり始めていた。
けど、それが十回を超えたところで俺はついに魔力を見つけた、というより気づいた。
この世界そのものが魔法なんだとしたら、感じる空気、この重く、息が詰まるような空気そのものが魔力なのではないかと。ためしに、その重く感じる空気を意識しながら「消えろ」と念じてみた。
……が、なぜか何も起きなかった。そして当然のようにまた殺される。
それをいくらか繰り返せば、俺も理解した。これが夢だというのなら、今の俺は夢の住人、すなわち偽物だということになる。偽物がいくら頑張ったところで世界を、魔法を壊すことはできない。つまり、俺はここから出ることが出来ないのだと。
そう理解した瞬間、俺は逃げだした。この世界ではどういうわけか魔法そのものは使えるのだ。夢をつくり出しているジン・フレイルが、そういう風に設定をしているのだと俺は勝手に判断した。
そもそも理由なんてどうだっていい。魔法が使えるのなら簡単に、どこにだって逃げられる。
しかし、その期待はジン・フレイルの手によって、軽々と裏切られた。相手も、俺を殺してくる人全員が、魔法を使えたのだ。
魔法を使っていくら逃げても、必ず追いつかれ、やがて殺される。
俺はついに逃げることもやめた。目を覚ましてもその場を動かず、黙って死を待つ。その繰り返し。
本当に、何もかもが嫌になった。いくら逃げてもダメだという救いのない現状に、自分にとって大切な人たちが、笑って俺を殺しに来るという残酷さに。俺は全てがどうでもよくなってしまった。
だがいつしか、俺はこう思うようになり始めた。
――どうして俺は、この痛みを、この苦しみを、死を、黙って受け入れているのか。
――どうして俺は、自分に迫りくる刃をこうして、何もせず黙って見つめているのか。
――どうして俺は、こんな状況だというのに、ヤツらを大切な人などと思っているのか。
そのときの俺に残っていたのは、たとえ己を傷つけられたとしても、たとえ偽物でも、大切な人だけは絶対に傷つけられない、なんていう絞りカスのような良心だけだった。
――俺は一体、誰のために生きているのか。
――いや、そんなの決まっている。俺自身のためだ。
――もういいだろう。十分耐えたじゃないか。
――だから……
しかし今この瞬間、その絞りカスのような良心が、俺を俺として繋ぎ止めていた細い一本の糸が、他でもない俺自身の手によって、
――殺される前に殺してやれ――
ぷつりと切れてしまった。
「…………」
目を覚ます。これで何度目だろう。目を開けた瞬間、ここが自分の部屋で、今自分はベッドに寝ているんだと気づいた。
すぐに体を起こし、立ち上がる。部屋を出たりはしなかった。出ずともこうして待っていればいずれ、ヤツは来るから。
「お兄ちゃん。起き――」
「消えろ」
勇人が部屋の扉を開けた瞬間、俺はそこに目に見えない空気の弾をぶつけてやり、扉とともにヤツを吹き飛ばしてやった。
そしてすぐに踵を返す。どうせこれで終わりじゃないだろうから。続きは見ない。すぐにあいつか、もしくは別の相手がくるだろう。
だから俺は、部屋の窓を全開にするとそこから勢いよく外へと飛び出した。
家のなかは死角が多すぎる。ゆえに高い場所、周囲を広く見渡せる場所まで浮き上がると、再び家の方を向いた。すると、ちょうど勇人が俺と同じように開け放った窓から身を乗り出したところだった。
「やはり無傷か」
「お兄ちゃん、なんでいきなり――」
「なら爆ぜろ」
途端、勇人の体は内側から激しく爆発し――
「……ちっ、魔法抵抗力まであるのか」
――なかった。ありったけの殺意を込めてイメージしたのに、何も起きていない。魔法抵抗力が相当高く設定されているのだろう。相手に直接干渉する魔法は無理か。
そう分析している間に、勇人は手のひらの上にバスケットボールほどの火の玉をつくると、それを俺に向かって飛ばしてきた。
そこそこ速いスピードだったが、難なく避ける。
「がぁあっ……!」
寸前、火の玉は急に軌道を変え、俺の腹を半分ほど削っていった。
たちまち、頭がおかしくなりそうなほどの痛みと熱が全身を襲う。
もはや魔法をつかう気力も残っていない状態で、それでも尚相手を睨みつける。
「お兄ちゃん。五十八回目だよ」
睨みつけたまま、俺の意識は闇に飲まれた。