イノコウ・ヒサン・ド・レッカ01
僕は本が好きである。高校生の僕が言ったところで信じては貰えないかもしれないが、今この瞬間に存在する本の九十九%は既読本だろう。どこにある本でもほぼ全てを読んだことがあるし、だいたいこの域に達すると読んでない本についても予想出来てしまう。およそ百年後くらいまでの本なら全て分かるのだ。
さて、僕はこの事を妹に話してみたのだが呆れたことに信じようとはしなかった。
「信じなくても事実は事実、真実は真実だよ」
「でも私はお兄様がそこまで本を読んでいるようには思えないわ」
「それはお前が思わないだけだろう?」
「そうかも知れません。ではそんなに言うのなら試してみましょうか」
「いいだろう。だがどう試すのだ?よもやお前が僕の知らない本でも知っているとでも?まあ、もし知っているなら小遣いをやろう」
「ありがとうございます、お兄様。しかしそれは私が確実に小遣いを貰えることになります。お兄様は『イノコウ・ヒサン・ド・レッカ』を知らないでしょう?あれは素晴らしい本だったわ」
「ふむ、確かに知らない本だ。お前は読んだことがあるのかい?」
「勿論ありませんわ、お兄様。でも読むまでも無く、あの本は素晴らしいのです」
「驚いた、お前がそこまで褒め讃える本を僕が知らなかったなんてそんなことがあっていいのだろうか、いやない。妹よ、小遣いはくれてやる。『イノコウ・ヒサン・ド・レッカ』がどこにあるのかを教えてくれないか?」
「それはダメです、お兄様。『イノコウ・ヒサン・ド・レッカ』はお兄様自身で探さねばダメなのです。もしそうでないならそれは『イノコウ・ヒサン・ド・レッカ』では無いわ。偽物よ」
「なるほど。お前がそう言うのならばそれはそういうものなのだろう。では、出掛ける準備をすることにしよう」
そうして僕は『イノコウ・ヒサン・ド・レッカ』を探すことにしたのだった。
家を出発したは良いものの、『イノコウ・ヒサン・ド・レッカ』がどっちに行けば見つかるのかは分からない。なので友人である栗人形ヤクザに聞こうと考えた。彼は何でも知っているのではないかと私は常々疑っている。
今日は月曜日なので学校があるはずだが、もしかすると栗人形ヤクザも僕のように『イノコウ・ヒサン・ド・レッカ』を探すために学校を休んだかもしれない。彼ならその可能性はなきにしもあらずなのだ。
そこで、彼の家に行こうとしたのだが、それは全く必要の無いことであった。彼はいつの間にか目の前にいたのだ。彼は恥ずかしがりやなので透明になっていたのだが、長い付き合いである私にはここにいることが簡単に分かった。見えなくても脳がココニイルゾと教えてくれるのだ。
「君は『イノコウ・ヒサン・ド・レッカ』の在処を知っているかい?」
彼は恥ずかしがりやなので声を出して答えることはなかったが、彼の透明な表情をみれば(あるいは感じれば)彼の伝えようとすることはすぐにわかった。もちろん彼は“い、イノコウ・ヒサン・ド・レッカ?そ、それならばこの道を真っ直ぐ行って、アフェンドラお婆さんのお店のところで左に曲がった所の店で見たと思うよ、たぶん”と伝えようとしたのだ。
私は彼にお礼を言って別れた。それにしてもアフェンドラお婆さんの店か……、あのお店では穴を売っている。僕も常連の一人として三つ程は穴を持ち歩いてもいる。なにかと便利なのだ。
そんなことを考えていたら、栗人形ヤクザに教えてもらった目的地に着いた。小さな小屋に大きな看板がついていて、“オムレツ屋・いろんなオムレツが食べられます。是非、来てください”と書いてあった。僕は直感でここに『イノコウ・ヒサン・ド・レッカ』があると思ったので入ろうとした。しかしどうしたことだろう、入り口が見当たらない。三十分程の考慮を経て仕方ないので穴を使った。残りは二個になってしまった。少し不安である。
小屋の中は綺麗で広々としていた。名古屋ドーム五個ぶんくらいだろう、視力五・零の僕でも先が見えない。
「いらっしゃいませ、お客様。私はお客さま専属のウェイター、チキシと申します。ご注文がお決まりになりましたら、お客さまの頭の中でチキシと唱えてください」
席に座った僕にチキシさんはそう言った。
メニューを見るといろいろあった。寂しいオムレツ、天使のオムレツ、レッドなオムレツ、詩的なオムレツ、午前七時のオムレツ、ヘビーなオムレツ、…………。僕が頼むものは勿論のこと、決まっているので頭の中でチキシと唱える。
「お呼びでしょうか」
周りには誰も見えないのに声だけがする。チキシさんも栗人形ヤクザのように透明になっているのだろうか?
「ここですよ、ここ。お客様の頭の中でございます。ご注文はお決まりですか」
「なるほど、僕の頭の中からですか。勿論、注文も決まってます」
「お伺いいたします」
「『イノコウ・ヒサン・ド・レッカ』なオムレツを一つ」
続きます(たぶん)