褐の草履
合戦の音が、薄れていく。
一度に消えるわけではない。
途切れ、間ができ、
それでもまだ、どこかで続いている。
市蔵は、止まらない。
前へ出る。
引く。
また、前へ出る。
数を、数えようとはしない。
ただ、
同じ感触が、何度かあった。
槍の先が沈む。
止まり、入る。
抜く。
それだけだ。
手の中に、
まだ残っている。
離れない。
合戦が、ほどけ始める。
押し合いが消え、
輪が崩れ、
間が生まれる。
逃げる背中が見える。
追う者は、少ない。
市蔵は、追わない。
追う理由が、ない。
代わりに、
足元に倒れている者が増える。
呻く声。
もう動かない体。
誰かが声を上げる。
「終いだ」
それで十分だった。
動きが変わる。
槍が下がる。
立てかけられる。
地面に突き立てられる。
今度は、
別の作業が始まる。
怪我人が集められる。
歩ける者が、支える。
血は、乾き始めている。
だが、まだ赤い。
死体は、脇へ寄せられる。
引きずられ、
重ねられ、
向きが揃えられる。
市蔵も、手を出す。
掴む。
引く。
運ぶ。
迷いは、ない。
やり方を教えられたわけではない。
だが、分かる。
もう、分かってしまっている。
一段落すると、
人が、まばらに集まる。
息をつく者。
座り込む者。
その中に、
市蔵もいる。
声がかかる。
「結構、やったな」
振り向くと、
同じような鎧の男が立っている。
年は、近い。
顔は、汚れている。
市蔵は、何も言わない。
男は、気にしない。
「前に出てたろ」
事実を言っているだけの声だ。
「名は?」
一拍、間がある。
考えたわけではない。
市蔵は、短く答える。
「市蔵だ」
姓は、言わない。
男は、うなずく。
「そうか」
それで終わる。
評価も、約束もない。
ただ、
ここにいたことだけが、残る。
市蔵は、
槍を持ち直す。
手の中に、
感触がまだある。
それは、
離れそうにない。
焚き火の煙が、立ち始める。
一つではない。
点々と、野に浮かぶ。
風は弱い。
煙は、まっすぐには上がらない。
誰かが、器を配る。
市蔵の手にも、回ってくる。
中身は、粥だ。
昨日と、変わらない。
市蔵は、腰を下ろし、口に運ぶ。
熱さは、分かる。
味も、分かる。
飲み込める。
器を、空にする。
置く。
それから、
袖の内に手を入れる。
指に、触れる。
確かめるほどのことではない。
だが、確かめる。
小さな草履が、そこにある。
形が、少し歪んでいる。
踏まれたわけでも、折られたわけでもない。
ただ、
圧がかかったような形だ。
それでも、
確かに、ある。
市蔵は、手を引く。
何も言わない。
足元が、目に入る。
自分の草履が、見える。
色が、変わっている。
赤ではない。
乾いている。
黒に近い、
褐い染みだ。
広がっている。
踏みしめた形のまま、
残っている。
市蔵は、動かない。
見ている。
煙が、また一つ、立つ。
焚き火の音が、混じる。
誰かの声が、遠い。
足元に、音はない。
市蔵は、
そのまま、動かない。




