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仇巡の残火行 (あだめぐりのざんかこう)― 信長への復讐譚  作者: 直助


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不可逆の血

 夜が、ほどける。

 空の色が、変わり始めている。


 焚き火は、もう燃えていない。

 灰の上に、白い筋が残っている。


 誰かが立つ。

 それを見て、別の誰かが立つ。


 声は、出ない。


 槍を取る。

 肩に掛ける。

 昨日と同じ重さだ。


 市蔵も、立っている。


 立った理由は、ない。

 だが、座り続ける理由もない。


 列が、動き出す。


 先頭がどこかは、分からない。

 ただ、進む方向だけが揃っている。


 丹波の山が、前にある。


 誰かが言う。


「昨日の続きだ」


 それだけだ。


 続き、という言葉が、

 何を指すのかは言われない。


 昨日。

 逃げた者。

 倒れた者。


 どれでも、同じだ。


 市蔵は、歩く。


 土は、まだ湿っている。

 草が、靴に絡む。


 間隔は、詰まらない。

 だが、離れもしない。


 昨日と、同じだ。


 歩いていると、

 あの感触が、戻ってくる。


 槍の先が、沈んだ瞬間。

 止まり、さらに入った重さ。


 水を含んだ土のような、

 柔らかさ。


 柄の奥まで、伝わってきたもの。


 思い出そうとしなくても、

 勝手に浮かぶ。


 市蔵は、槍を見ない。


 見なくても、そこにあると分かる。


 前で、動きが変わる。


 列が、緩む。

 足取りが、遅くなる。


 誰かが、低く言う。


「近いぞ」


 それで十分だった。


 風の向きが、変わる。

 焦げた匂いではない。


 生きている匂いだ。


 声が、聞こえる。


 怒鳴り声。

 呼び合う声。


 昨日と、同じ種類の音。


 市蔵は、立ち止まらない。


 止まれば、押される。

 押されれば、前へ出る。


 考える前に、体が動く。


 列が、崩れる。


 左右から、人が流れ込む。

 前後の区別が、なくなる。


 また、輪だ。


 昨日と、同じ形。


 市蔵は、その外にいる。

 だが、外でい続けられるほど、

 余地はない。


 押される。


 一歩、入る。


 足元が、柔らかい。


 昨日と、同じ感触だ。


 市蔵は、槍を構える。


 構えた覚えは、ない。

 だが、そうなっている。


 目の前に、影が動く。


 鎧。

 布。

 人の形。


 どちらかは、分からない。


 分かる必要もない。


 昨日も、そうだった。


 市蔵は、息を吸う。


 浅い。


 吐く。


 長くはならない。


 槍の先が、前にある。


 昨日と、同じ距離。


 同じ高さ。


 同じ位置。


 思い出すのは、

 恐れではない。


 感触だ。


 市蔵は、

 そのまま、前へ出る。


 音が、近い。


 昨日より、近い。


 声が、割れている。

 叫びになりきらない声だ。


 市蔵は、前にいる。


 押されているわけではない。

 逃げ道が塞がれたわけでもない。


 ただ、そこに立っている。


 相手が、見える。


 槍を持っている。

 構えは、低い。


 動きが、遅れる。


 一拍。


 その間に、考える。


 ——やめられる。


 足を引けば、

 横へずれれば、

 昨日と同じように、

 偶然に任せることもできる。


 だが。


 市蔵は、

 槍を引かない。


 引かないと、決める。


 肩が、前に出る。


 腕が、伸びる。


 狙ったわけではない。

 だが、外してもいない。


 槍先が、入る。


 今度は、止まらない。


 昨日のような、

 ためらいはない。


 布を裂き、

 肉を越え、

 骨に当たる前に、

 止まる。


 止めた。


 市蔵が、止めた。


 相手の体が、

 前に崩れる。


 距離が、近すぎる。


 血が、跳ねる。


 槍の穂先だけではない。


 袖。

 胸。

 顎の下。


 温度がある。


 昨日より、はっきりしている。


 相手の手が、

 一度、空を掴む。


 声が出る。


 短い。


 切れる。


 市蔵は、槍を抜かない。


 抜く必要が、ない。


 体が、離れる。


 足が、もつれる。


 そのまま、倒れる。


 地面に、音が出る。


 鈍い。


 市蔵は、

 自分の手を見る。


 震えていない。


 息も、乱れていない。


 胸も、腹も、

 静かなままだ。


 血が、垂れている。


 自分の袖からだ。


 相手のものだと、

 分かっている。


 だが、

 境目は、もうない。


 市蔵は、槍を引く。


 今度は、

 抵抗を感じない。


 空気が、戻る。


 前に、別の影が動く。


 また、誰かが入る。


 昨日と、同じだ。


 だが、違う。


 今の一突きは、

 偶然ではない。


 押されたわけでも、

 滑ったわけでもない。


 市蔵が、選んだ。


 それだけが、残る。


 後ろへ、下がらない。


 横へも、行かない。


 その場に、立つ。


 列の中に、いる。


 抜ける理由は、

 もう、どこにもない。


 市蔵は、

 血のついた槍を持ったまま、

 前を向く。


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