家の現実
市蔵は、歩いている。
どこへ向かっているのかを、
考えていない。
道は、知っている。
足が、勝手に選ぶ。
村の縁を回り、
折れて、
また折れる。
家の裏手に出る。
庭は、荒れている。
踏まれた跡が、乾いている。
戸の前に立つ。
押す。
軋む音。
中は暗い。
竈は、完全には冷えていない。
伏せられた椀が、そのまま残っている。
同じだ。
変わっていない。
柱の根元に、擦れた跡。
藁屑が踏み荒らされ、
切れた縄が落ちている。
奥へ進む。
寝具は乱れたまま。
小さな履物が、一つだけある。
そこに、手が伸びる。
拾う。
軽い。
布が薄く、
藁の編み目がほどけかけている。
掌の中で、
形が崩れそうになる。
市蔵は、握り直す。
戻ってくるはずのものが、
どこにもない。
それは、変わらない。
市蔵は、履物を袖の内に入れる。
入れた理由は、考えない。
考えるほどのものではない。
家を出る。
戸は、閉めない。
庭を抜ける。
外の空気は、焦げの匂いを持ったままだ。
晒し場の方角から、
風が来る。
足が、止まらない。
道に出る。
村人がいる。
誰も、こちらを見ない。
目が合わない。
合う必要が、ない。
市蔵は、顔を上げる。
道の先に、
焼け焦げた旗が落ちている。
持ち手の木は黒く割れ、
布は縮れて、縁が崩れている。
拾わない。
近づく。
布の中央に、
焼け残った線が形を保っている。
木瓜。
――織田。
ほかの名が、浮かばない。
旗は、ただの布だ。
だが、これだけで足りる。
晒し場が、浮かぶ。
並んだものが、浮かぶ。
数を、確かめるまでもない。
市蔵は、目を逸らす。
逸らしたまま、歩く。
村の中を通らない道を選ぶ。
家々の戸が、閉まっている。
竈の煙が、上がらない。
朝の刻のまま、
止まっている。
市蔵は、袖の内の重さを確かめる。
指が触れる。
それだけで、十分だった。
道の向こうに、
人の流れがある。
荷を引く者。
槍を担ぐ者。
声を張る者。
村の外の匂いがする。
土と汗と、
鉄の匂い。
市蔵は、そちらへ向かう。
自分の足が、向かう。
選んだというほどのことではない。
戻る道がない。
それだけで、
行く道は決まる。
木瓜。
――織田。
袖の内で、
草履が鳴らない。
市蔵は、歩き続けた。




