仇巡の残火行
天正十年六月。
京だ。
火が見える。
高い。
揺れている。
ただの火ではない。
市蔵は、
歩く。
風が、
違う。
熱が、
届く。
遠いはずだ。
だが、
近い。
誰かが言う。
「……でかいな」
別の声。
「どこだ」
少し間がある。
火が、
揺れる。
形が、
変わる。
屋根だ。
柱だ。
建物だ。
誰かが言う。
「……寺だ」
別の声。
「京の中だぞ」
また間がある。
誰かが、
低く言う。
「本能寺だ」
それで、
分かる。
あそこだ。
市蔵は、
止まらない。
だが、
胸が、
落ちる。
一度、
沈む。
中が、
空になる。
音が、
消える。
身体だけが、
前へ出る。
列は、
崩れる。
走る者が出る。
市蔵も、
走る。
火が近い。
熱が来る。
門がある。
開いている。
中へ入る。
煙がある。
息が詰まる。
柱が燃えている。
音がする。
崩れる音だ。
市蔵は、
走る。
その時、
腕が、
軽くなる。
何かが落ちる。
草履だ。
袖の草履。
一瞬、
振り返る。
火が、
揺れている。
それだけだ。
市蔵は、
見るのをやめる。
そのまま、
走る。
奥だ。
火が、
強い。
人がいる。
声が上がる。
「上様!」
市蔵は、
止まる。
その先に、
人がいる。
支えられている。
細い。
背が、
曲がっている。
身体が、
揺れている。
口が、
開く。
「あ……」
音が出る。
「あう……」
続かない。
声は、
前に出ない。
肩が、
小さく震える。
家臣が、
強く支える。
「こちらへ!」
声が、通る。
だが、
その男の声は、
通らない。
市蔵は、
見る。
目が、
動く。
こちらを向く。
それだけが、
残っている。
強い。
消えていない。
それだけが、
ある。
市蔵は、
動かない。
あれが、
信長か……。
市蔵は、
思う。
分からない。
何も、分からない。
あれを、
追っていた。
あれを、
恐れていた。
あれに、
人が集まっていた。
市蔵は、
立っている。
何も、
出てこない。
空だ。
音がする。
上だ。
火が、
回る。
柱が、
崩れる。
天井が、
落ちる。
光が、
切れる。
音が、
消える。
何も、
残らない。




