宛のない
山を越える。
谷を渡る。
村を通る。
同じことが、繰り返される。
どこへ向かっているのか、
市蔵は聞かない。
聞く必要もない。
前が動けば、
後ろも動く。
槍は肩にある。
重さは、
もう気にならない。
最初の頃は、
歩くたびに柄が揺れた。
今は揺れない。
肩の骨に、
収まっている。
山道を下る。
足軽が、
縦に長く伸びている。
先は見えない。
後ろも見えない。
ただ、
列が続いている。
途中で止まる。
誰かが、
水を飲む。
別の誰かが、
腰を下ろす。
しばらくして、
前が動く。
列も、
それに続く
何日歩いたかは、
もう分からない。
草履は、
もう二度替わっている。
戦は、
ところどころで起きる。
小さく。
すぐ終わる。
槍を出す。
沈む。
抜く。
それで終わる。
市蔵は、
数を数えない。
数える理由が、
もうない。
戦は、
最初の時ほど長く感じない。
気づけば終わっている。
気づけば、
別の場所にいる。
同じ顔が、
周りに残る。
いつの間にか、
並んで歩く者が決まる。
前を歩く男。
肩の低い、
痩せた男だ。
名は、
聞いていない。
向こうも、
聞かない。
それでも、
列が乱れると、
自然に近くにいる。
槍が出る時も、
同じ向きになる。
それで足りる。
川を渡る。
水は冷たい。
草履が濡れる。
誰かが、
滑る。
笑いが起きる。
すぐ止む。
また歩く。
戦が終わると、
いつも同じことが始まる。
怪我人。
死体。
火。
粥。
市蔵は、
その流れの中にいる。
外れる理由は、
もうない。
ある夜。
焚き火が、
点々と野に浮かんでいる。
粥の器が回る。
市蔵のところにも来る。
熱い。
味は薄い。
それでも、
腹は落ち着く。
向かいの男が言う。
「聞いたか」
誰に向けた言葉でもない。
近くの誰かが、
返す。
「何をだ」
「右大臣だ」
火が、
ぱちりと鳴る。
別の男が言う。
「信長様がか」
「ああ」
短い声。
「もう、
公家と同じだな」
誰かが、
鼻で笑う。
「昔は、
尾張のうつけだろ」
笑いは、
大きくならない。
すぐ消える。
別の男が言う。
「坊主も焼いた」
「比叡山か」
「ああ」
火の向こうで、
誰かが言う。
「だからだ」
「何が」
「魔王だとよ」
少し、
間が空く。
「第六天魔王」
言葉だけが、
火の上に残る。
誰も否定しない。
誰も、
肯定もしない。
ただ、
粥をすする音がする。
市蔵は、
黙って聞いている。
その名は、
遠い。
村に来た者たちの
旗にあった紋。
それだけだった。
今は、
違う。
右大臣。
魔王。
言葉だけが、
大きくなる。
その下で、
市蔵は、
槍を持っている。
火が、
小さく崩れる。
夜は、
まだ長い。
信長という名は、
そこにある。
だが、
手の届く場所には、
もうない。




