9殺人
「山野大地の死が、ほぼ例の浅草事件のアジアンマフィアの新たな刺客の仕業と断定された」
アクトレスは、誠が不在のため、常に不機嫌だった。
「奴って弟コンプレックスだからね。
確かに小田切誠って、どこか奴の弟に似てるよ」
顔無しは薄く笑った。
フランス人とのハーフだからか、その笑いはひどく酷薄な印象に見える。
「ふーん、なんか精神を乗っ取る凄い影繰りじゃなかったか?」
永田は問い返す。
「だが、一人じゃ大した仕事は出来なかっただろう。
まずは姉が相手に傷を負わせて、その傷から彼は黒い霧を侵入させるんだ。
成果は凄いよ。
どんな口の固い軍人でも洗いざらいゲロッちまうし、美人女優に腹踊りをさせることも、赤ん坊にPCを操作させることも出来た。
二人の黄金期だな」
そうなると戦場働きどころではない。
映画のスーパースパイにも出来ないことが兄弟ペアには可能なのだ。
「その弟が死んでからだよ、黒犬が死の代名詞みたいになったのは。
今は、黒犬の目をしてるな」
確かに……。
誠をコーチしているアクトレスは、むしろ人情味のある上官のように見えていた。
「あの坊やに早く帰ってきてもらわないと、荒れたら俺やあんたじゃ止められないぜ」
と、司令室で二人のベテランが話している中。
「映像が残っているのは幸いだ。
とにかく、こいつをとっ捕まえないと、またどこが襲われるか分からない」
聞いているカブトたちは、しかし搜索慣れした美鳥や井口ではなかった。
どちらかというと武闘派に属するメンバーと小学生、中学生、そして高屋だった。
確かに防犯カメラが、山野大地の殺されたレストランにも、ポレホレの実にされた死体置き場にもあったため、荒い映像ではあったが、犯人の姿は複数のカメラがとらえていた。
若い男、あるいは少年だ。
身長は中背、体格は痩せ型、どうやってプロレスラーを殺したのかは、司法解剖の結果、高所より頭から落とされたのが原因のようだ。
「でもプロレスラーって、そういうの、慣れてんじゃないの?」
カブトは首を傾げる。
「おめー、ああいうに本気にしてんのかよ、あんなのショーに決まってるだろ」
ユリコが嘲笑う。
「おそらく不意打ちだったんだろう」
とアクトレス。
「投げられると分かってれば力も配分するし、受け身もとれる。
ブレーンバスターみたいなのなら、直接頭や頚椎にダメージがいかないよう、角度をつける、とかな。
が、全くの不意打ちだと、自分の体重分の鈍器で頭を殴られたようなものになる。
どんな名人でも、たまらんって訳だ」
「つまり、神速の投げの名手?」
小百合が聞くが。
「まだ決めつけられん。
影の力なら、なんでも可能だからだ。
意識を失わせてから、ゆっくり逆さに吊るして、落としたのかもしれない」
犯人の容姿は帽子で髪型は分からないものの、痩せ型で整った顔つきなのは判る。
とはいえ、街ですれ違っても、これだけでは判断出来ない。
カメラの画像は広角レンズであり、顔の細かい配置までは分からないからだ。
それでも竜吉が何重にもフィルターをかけて鮮明にしたものだ。
とはいえ、大概の防犯カメラは何千時間も録画できるよう最も画質の悪いモードで撮影されている。
「また怪物が出るのかな?」
ユリは身構える。
「おそらく、前の戦いで奴らは大量の死体を確保している。
今欲しいのは、いわゆるポレホレの実だ。
これを入れれば何倍も奴らは強くなる。
いずれはまた怪物が出るかもしれんが、今は、こいつが暗躍し、腕自慢を倒しまくる、と予想している」
アクトレスは部下を見回し、
「こいつは、前の顔泥棒のようにテレポートは出来ない。
だから、早い段階で奴を見つけられれば追跡も可能なはずだ。
これからは臨戦態勢になる。
真夜中と言えども招集する可能性があるのを頭に入れておいてくれ」
そんなアクトレスの精神状態などつゆ知らず、誠は必死に芸能活動を続けていた。
最近はUの一人仕事も増え、ロケやトーク、クイズ、スポーツと忙しくテレビに露出し、マルチタレントとして名を売り始めている。
一方でYouTubeやラジオではkiil♡と掛け合いも板についてきた。
「いや、桜餅の桜の葉は食べられるんだよ。
塩漬けだから。
柏餅は食べないの」
「えー、桜餅って何?」
「そこから!」
「パンの耳って美味しいんだよ。
サクサクに揚げてお砂糖付けて!」
「あーたまにあるよね、でもあれって甘いから美味しい気がするだけじゃない?」
テンポのいい会話で順調にファンクラブ会員も増えていた。
毎日、喧嘩のような会話が続くが、
マヨネーズには辛子が入っている、とUが言うと、嘘だ、辛くないもん!
とkiil♡が返して盛り上がった。
それとは別に、ライブは会場の設営も始まり、いよいよ本番に向けたリハーサルが行われる。
岩永敏夫は登山家としてのキャリアを積み始めた、セミプロの登山家であり山岳写真家だった。
写真家にも色々あるが、こと山岳写真家はアマチュアでは登攀困難な山の頂上や秘境での撮影を主にするため、無論機材は一流の物を使うが、他の写真家のようにフィルターワークを磨いたり精密なピントワークを駆使したりはあまりしない。
色は、今やパソコンに取り込めばある程度の調整は可能だし、基本的な被写界深度などを抑えれば、後は写真というよりは天気との勝負のようなところがある。
数日前まで槍ヶ岳の崖に三日張り付いて写真をものにした岩永は、まずは大量に焼肉を食べ、死んだように眠ると、夜の街に歩み出た。
山では携帯食をわずかに齧り、水分摂取も限界まで落とす。
山の天気は一風で変わり、曇天でも瞬間、雲が割れれば最高のショットになる可能性もある。
下にかける時間など無いのだ。
当然、蓄えた脂肪も使い果たし、外界に降りて身ぎれいにした岩永は、すっかり精悍な痩せマッチョになっており、今日は合コンで可能なら山中で蓄えたものも吐き出したかった。
人にもよるのだろうが岩永は、山では僧侶のように清らかに過ごす。
一枚の神の恵みを受け取るため、人としての汚れは可能な限り避けるのだ。
渋谷駅に降り、道玄坂を登った先に、大人の渋いレストランが有り、そこでの合コンだった。
が、その前に少し山岳用品をみたかった。
この手のものは日進月歩で、靴下一つでも機能の高いものは、山では生死を分けることもある。
凍傷などもそうだが、ただわずかでもクッション性が良くなるだけでも、崖を登るような場合は大きく差が出るのだ。
スペイン坂を通り、路地に入っていく。
いつも賑やかな渋谷に、人影が消えたことに、山男は気が付かなかった。
路地をとうせんぼするように、小柄な男が立っていた。
山男の岩永に対し、あまりに華奢な男だ。
子供、と言ってもいいだろう。
岩永は男の前まで歩き、見下ろした。
「あんたさぁ」
男は、少年の声で言った。
岩永は、石のように黙っている。
渋谷には、こんな子供が多いのだろう。
ヤンキー漫画の真似事でもしているに違いない。
「でかいよね」
褒められたのかな?
と、岩永が戸惑ったとき、彼は空中にいる自分に気がついた。
頭の上に地面がある。
そして、そのまま岩永は落ちた。