41合流
大は相変わらず寝ていた。
ユリコは、
「そーだ、ユリと福がいるんだよ。
泥人間と戦ってたんで置いてきたんだ!」
誠たちを案内し、奥の道に進み始めた。
ユリの手の中で、六匹の虫たちは蛹になった。
一方、福は吐いた海水を消されながらも、果敢に海水を吐き続けていた。
福に勝機が見えない為でもあるが、実はそれが福を泥の弾丸から守ってもいた。
「それで?
坊主、いつまで無意味な攻撃を続けるつもりなんだ?」
泥人間は余裕で笑った。
福は海水を吐きながら、
「さあ、もう少しかと思うべ」
言いながらも海水を放ち続ける。
その背後では岩壁に隠れるようにユリが五匹の蛹を手の上で眺めている。
蛹は、モゾモゾと動き出していた。
もうすぐ脱皮が始まる……。
チラリとユリを見た福は、片手の先から、黒い液体を流し始めた。
福の目論見は、口から噴水のように吐き出される海水が、手の液体を隠してくれればいいな、と思っている。
ユリの手の中では、蛹たちが脱皮に入っていた。
いつもの羽虫たちならすぐに脱皮は終わるのだが、体長数センチの虫たちの脱皮は、なかなか進まない。
「流石に俺も、ガキの水撒きにいつまでも付き合ってもいられんなぁ」
言うと、泥人間は福の側面に移動した。
福は慌てて、体を回す。
海水により視界が遮られているのは福も同じだ。
必死だった。
ピリッ!
一匹の蛹の、外皮が破れた。
中には白く薄緑の、繊細な生まれたての皮膚が顔を覗かせていた。
虫は、見るのも不安になるほどの弱々しさで、しかし懸命に脱皮作業に入っていた。
毒は強力な攻撃手段だが、防御としては心もとない。
特に、相手に通用しそうな毒が無い場合は、なんとか泥人間から距離を取り続けなければ福に戦う術は無い。
凍らす……、液体窒素を吐いてみても、そもそも泥人間まで窒素が届かないのだから、手の打ちようが無かった。
そして敵のパワーは、あのユリコと張り合うほどだ。
福も海で鍛えた肉体は、都会の中二よりはかなり勝っているのだが、接近戦をする選択肢は無かった。
それでも福の海水のシャワーに、何か違和感を感じているのか、泥人間は福の横に回ろうとしていた。
泥人間だけに、微かにも濡れるのを嫌がっているのか、他に何があるのか……?
ともかく、あまり動かれるのは、手から流している黒い液体の事もあり、困る。
だが迂闊に近接戦闘も出来ない。
なにしろ泥人間は、あのユリコと互角にやり合っていた相手なのだ。
可能な限り水の幅を広げ、攻撃を避けるしかないのだが、しかし泥人間の視界を防ぐという事は、同時に福も泥人間の動きが見えなくなると言うことだ。
福には、ある種の感知能力が備わっている。
敵のおおよその位置が感じられる、という力。
それは誠のようにはっきり見えるのでもなく、ユリのように虫を飛ばすのでもない。
なんとなく、この辺に……、というアバウトな能力だった。
元々、海の上で、狙う魚の位置を感じる能力なのだ。
だがこの場合、泥人間の位置は当然分かっている。
可能なら、何をしようとしているのか分かればいいのだが、福にそこまでは分からない。
だが感知出来ないよりはマシだ。
福は海水を吐き続けるが、なにしろ泥人間が消してしまうので、だんだん肉体の負担になってきた。
だいたい、毒を吐くというのは、どんな毒であっても効率的な戦い方ではない。
例えば水滴一つで相手を殺しうる毒薬であっても、それを気体として噴霧したのでは農薬程度の、虫や小動物は殺せても人の致死量を体内に入れるためには長い時間がかかったりする。
蛇やサソリのように、直接相手に打ち込めればいいのだが、吐くのではすぐに空気によって希釈されて、拡散されてしまうのだ。
薄められずに一定の濃度を保ち、かつ、大気の中に雲散霧消しないのならば、俺はもっと強い影繰りになる。
福は思った。
仕掛け網のように相手を絡め取れればいい。
また、ユリの虫のように、思うように動いてくれれば、より使い勝手がいい。
それか、銛の先に毒を固定して刺せれば、ある種、蛇やサソリと同じように使える。
影はイメージだと教わったが、出来るだろうか?
一定の濃度の毒を、例えば仕掛け網のように帯状に、又は立方体に固める。
それは福の意思により、ある程度自由に動く。
また銛として、その先端に致死量の毒を塗り、ユリコの棒のように戦う道具にする。
イメージしてみよう。
福が素潜りで使っていた、あの長さ百二十程の銛の形を。
柄にゴムが付いていて、数十センチ、飛ばす事が出来る……。
右手に、竹竿の感触を思い出す……。
節が、丁度いい引き金の代わりになる。
手に、竹の節の感触を思い出す。
ひんやりとした竹の質感。
節の感触。
いつか福の手には銛が握られていた。
これは頼もしい!
ただし銛が影である以上、泥人間には使えまい。
ただ、銛が作れたのだ、網のような毒の帯も作れるはずだった。
今は、帯のような毒の網より、長方形の立方体に毒を固定し、維持する力が、おそらく有効なはずだ。
長方形をイメージする。
ちょうどサーフボードのコンパクト版、ボデイボードぐらいがいいようだ。
ただし、もっと厚みが欲しい。
三枚、ボデイボードを重ねたようなイメージで……。
それはボデイボードのため、完全な正方形ではなかったが、三枚重ねの厚さを持ち、毒を強い濃度で維持できる。
だが、泥人間に通用する毒って何だろう?
泥が水を含んだ柔らかい土であることを考えると、やはり液体窒素などの凍らせるものだろうか?
それとも、やはり今、撒いているような土を溶かす水がいいのか……。
迷った福は、水は吐いているので液体窒素を長方形に固めた。
今、福が出来る限りの守りは尽くした訳だが、攻撃はユリの虫の完成を待たなくてはならず、チラリと見たところ、まだ時間はかかりそうだ。
泥人間は、盛んに福の水流の横に回ろうと動いていたが、福は懸命に体を回し、水流で泥人間を防ぎ続けた。
ユリの手のひらでは、どうも蛹から還った虫が一匹はいるようだが、まだ体を乾かさないと活動は不可能だ。
もう少し!
と、福が視線を戻した瞬間、目の前に泥人間がい、ニタリと笑った。
「仲間を気にしてるのは分かってたからな」
慌てて福は銛を突き出した。
影だから消える!
自分で行動しながら、自分の行いを非難していた。
が、銛は泥人間に刺さった。
泥人間は、芝居がかった様子で腹の銛を観て、
「なに?
こんなんで俺が倒せると思ってたの?」
泥人間は人間臭く笑った。
福は呟く。
「金属ナトリウムというのは、水と反応して爆発する、と教えてもらっただ」
泥人間は爆発し、背後に転がった。
福は、盾のように液体窒素の板に隠れた。
チャンスはここしかないようだった。
海水の代わりに、ガソリンを泥人間に吐きかける。
ユリの手から、五匹の、数センチの甲虫が飛び立った。
虫たちは、ガソリンまみれになって苦しむ泥人間に飛んでいき、そして……。
爆発的な火炎が広がる。
福もユリも吹き飛ばされるが、ふと何かに包まれた。
どうやら、水蒸気の塊のようなものだ。
それが何かは分からなかったが、その分厚い壁が福とユリを火炎から守った。
洞窟は黒焦げになっていた。
「勝ったべか?」
福は身を起こすが。
「残念だな。
ガキにしちゃあ悪くない攻撃だったが、そもそも俺ゃあ不死身なもんでよ……」
黒く焦げた体を起こし、ボロボロと固まった土を落としながら、元泥人間が立ち上がった。
それは今は黒く焦げた木製の人形のように見えた。
「不死身……」
福は、呆然と呟く。
「まあ、死んどけや……」
真っ黒なデッサン人形が福の胸に鋭い突きを放った。
その焦げた手は、確かに福の胸板を貫いた、かに見えたが……。
福は液体窒素の盾をかざしていた。
デッサン人形が、動きを止める。
「このクソガキがっ!」
してやった!
福は思ったが、何故影が通用したのか首を傾げた。
確かに海水は泥人間の目前で消えていたのだ。
銛やガソリンはどうして消えなかったのか?
不死身の化け物を倒すには、どうしてもその謎を解かねばならなそうだった。
不意打ちだったからか?
攻撃を予測していれば影を消せるが、自分が攻撃しようとしているから、影を防げなかった?
なんの確証もないが、ともかく!
今、福はデッサン人形の片腕を固定し、動きを抑えていた。
相手は泥人間の外皮が焼け落ちた木製の人形のようなものなので、顔に表情はおろか目鼻立ちも無かったが、おそらく福を睨んでいるようだ。
力はユリコと互角に渡り合うほどなので、福など本来ならデコピンで殴り殺せる程の威力なのだろうが、今は動けない。
なにしろ腕が真っ白に凍りついているからだ。
余計な力を使えば、今のままなら腕が粉々に砕けてしまうだろう。
ただし……。
福にしても、ここからどうするか、という見通しは無かった。
不死身の敵の殺し方など福は知らない。
背後のユリに期待したいが、多分本体への影攻撃は消されるはずだった。
(福くん、聞こえる?)
「えっ!
あ、誠さんですか!」
(うん、今僕たちはユリコさんに案内されて君たちのところに戻っていく最中だ。
泥人間を相手に、凄い攻撃を決めたね!
立派だよ!)
「でも誠さん。
俺、これ以上は打つ手が無いんです!」
悲鳴のように福は叫んだ。
(その敵は僕らも逃げることしか出来なかった強敵だ。
だけど、君たちの攻撃が糸口になりそうだ。
おそらく敵は、自分の攻撃の時や、肉体の修復の時には、影を無効化出来ないんだ。
だから、たとえ無効化されても、君の攻撃には意味がある。
また水をかけてみて)
なるほど。
やっぱり攻撃の時には影は消せないらしい。
福は、再び海水を吹きかけた。
液体窒素の盾が邪魔をして、デッサン人形がどうなっているのかは分からなかった。
だが、確かに。
もし水が消されたとしても、それが敵の攻撃を防ぐと分かっていれば、通用していなくとも意味はある。
意味のある行動だったら、さっきのように不毛感を感じることはない。
「馬鹿め、一つ覚えの攻撃など無意味だと分からんのか!」
デッサン人形は水を消したが、声に余裕は感じられなかった。
ユリは背後で、新しい虫を育て始めていた。
大きさは羽虫と同じなので、すぐに五匹の虫が生まれた。
羽を持った白い虫。
シロアリだった。
ユリの手から羽虫が飛び立つと、水を迂回してデッサン人形の背中に降り立つと、早速、木の体を齧り始める。
「クソッ!
いい気になるなよ!」
デッサンは叫ぶと、水の中を突き通して、もう片腕を福の胴体に突き立てた。
その黒焦げの腕は、福の腹に突き刺さった。




