18調査
美鳥は旅籠に泊まり、ゆっくり自然を堪能しているふりをしながら、蝶を四方に飛ばしていた。
旅籠や周囲の店だけでも百人近い人間が働いている。
素敵だ、自分も卒業したら働きたい、などというと、店の者たちは喜んでNPO法人を教えてくれる。
「とても素晴らしいのよ」
口々に言うが、彼らの住居が解らない。
普通の観光地なら、寺なり公園なりの周囲は綺麗にしていても、道一本外れれば、郊外型の大型店舗が道路に並んでいたり、当たり前の住宅地になったりするものだが、民俗文化村は、ずっと田畑や雑木林、灌漑池や清流の続く川であり、消防や警察まで、外観は江戸時代風の建物になっている。
コンビニやドラックストアは無く、なんなら車道すら周囲には無いのだ。
むろん敷地を越えれば田舎なりの軽トラの走る農道や、チェーン店などもあるのだが、民俗文化村の敷地は、どんどん拡大しつつあった。
では、宿場の従業員は何処へ帰っているのか?
帰らないのだ。
店の二階の小部屋で寝ている。
下手をすれば一部屋に二人、三人という場所もあった。
形の上ではそれなりの給与が支払われていたが、住居費や食費として引かれている。
休みも、ほとんどなかった。
しかし、彼らは変なホルモンでも出ているかのように笑顔で働き、美しい世界の代弁者となっていた。
井口は芦ノ湖に鳥を放った。
影の鳶は、状況に応じて影のペンギンにもなる。
芦ノ湖には、巨大な魚が泳いでいた。
井口は、それがイトウであることは理解した。
しかし、大きさが化け物級だ。
確かに古老の話のうちには、二畳に及ぶ大イトウの話はある。
この一畳は江戸畳なので、およそニメートルだ。
体長四メートルを超えるようなイトウが、かなりの量、芦ノ湖を闊歩している。
バスなど小魚なのは確かだ。
ジェットスキーにも襲いかかり、サップも転覆させるのは当たり前だ。
だが、この一見、古来から日本に生息する巨大魚は、知能があって、魚に襲われた、などという証言はさせない。
人は食わないし、元々芦ノ湖にいる魚や貝も見逃し、とことん雷魚やバス、カミツキガメなどを駆除するだけだ。
ペンギンは襲われかけたが、千鳥に変化したら攻撃は止まった。
固有種は絶対襲わないのだ。
サップ屋は廃業し、釣りに来る者は、厳しい取り締まりを受け、フナやヒメマスでも釣っていようものなら逮捕された。
それでも別荘を持っているイカれた金持ちがジェットスキーを走らせたら、四メートルのイトウに横腹を突かれて、時速八十キロで水面を跳ね転がった。
ほぼ即死だったが、救急搬送当時、巨大魚を見た、とうわ言を言ったのだが、なぜか救命隊員は岩礁が見えなかった、と記録を付けた。
数億の温泉付き別荘は差し押さえられ、執拗な税務調査の結果、彼の会社は数億円の脱税で潰れた。
夜、釣りに来た人間は、必ず捕まり、駐禁を切られた。
ロープウェイから芦ノ湖スカイラインの辺りは、凄い速度で江戸時代の店舗に変わっていた。
民俗文化村の宣伝や、古く美しい建築物が多くなり、ロープウェイも古い形に改められた。
それらは、井口が調査に入った数週間の間の出来事だった。
普通なら地上げ屋なり、きな臭い手口が使われそうな話だが、土産物屋本人が、補助金を得て、江戸の建物に改築しており、しかも取り憑かれたように民俗文化村を礼賛している。
前に会った釣屋に行ってみると、いつの間にか古風な佇まいの川魚料理屋になっており、しかも店主は河口湖への移転を考えていた釣屋の主人だった。
「あー、講習を受けてね、川魚料理を始めたんだが、これが並ぶほど繁盛するんだよ。
新しい料理も出すよ。
ザリガニのフライだ。
ミソのソースで食べると旨いんだぜ」
誠は久々に内調に帰ってきた。
「誠ぉ、お前、ちょっとUが入ってるぞ!」
と、カブトが歓迎のハグをする。
「どうするの。
芸能活動も再開するの?」
小百合も聞く。
「kiil♡もいるんで、急に辞めるわけにもいかないんですが、今までみたいにあっちに流されるわけにもいかないんで……」
幸いミュージシャンは新曲販売やライブのとき以外は休みもとれる。
とは言えkiil♡は、休みなく職人のように曲を作り続けていた。
誠はその夜、久々にヘトヘトになるまでアクトレスの特訓を受けた。
教官の前では、丹田に入るのはやめた。
必ず気がつくからで、気がつけば、より過激な訓練になるだろうからだ。
それでも、誠の動きは格段に良くなっていた。
アクトレスの間合いを外し、蹴りを入れる。
簡単に手で受け止められるが、透過して顔に蹴りを入れた、と思うが、仰け反ってアクトレスは避け、瞬間、誠の軸足にローを撃ち込んだ。
透過で交わすが、裏拳が入ってくる。
これを屈んで避けると、真上からチョップのように、頭頂部に手の甲が落ちてくる。
透過で交わし、アクトレスの懐に飛び込んだ。
が、読まれていたか膝が誠の鳩尾に刺さってくる。
影の中に入って、アクトレスの背後に回ったが、肘を顔面に入れられた。
「背後を取ったと、油断をするな。
目の前から消えれば、おおよそ、お前の位置は読める!」
鼻に当たったが、即座に治療をする。
アクトレスは回転しながら膝を誠の顔に打ち込んでくる。
鼻の治療中に透過は難しい。
誠の治療とは、いわば自分の体の部分透過と髪の毛より細い影での傷の縫合だからだ。
誠はジャンプした。
反発の力を使えば、ニメートルぐらいの跳躍は何でも無い。
アクトレスの膝を交わして、鼻の治療も手際よく終わったが、右膝を浮かせたまま、アクトレスは左で真上を蹴り上げた。
クンフーの技であり、ブルース・リーも天井照明を壊すのに使っていた。
誠は不意に白い霧になり、アクトレスの前で実体化した。
水分り神にもらった力だ。
アクトレスは、その誠の顔面にパンチを放ったが、不意に鼻先数センチでパンチを止めた。
「驚いたね。
その力、見たことがある」
誠も、確か弟さんの影能力が影の霧だったのを聞いていた。
だから、あえて見せたのだ。
どう反応するのかは、判らなかったが……。
「山で修行をしたというのは本当らしいね。
まさか、それを見せられるとは思わなかったけどね……」
アクトレスは改めて誠を眺め、
「そう仕上がったのなら、こっちも対応して教え方を変えなきゃならないね。
今までは、ただ、苦手な殴り合いをこなせるように鍛えてただけだ。
けど、これからは、あんたは、とにかく先に相手に傷を負わせなきゃならない。
そうすれば霧が使えるからね。
逃げる技ではなく、攻める技を覚えるんだ。
なに、まったく別の事をするわけじゃ無い。
ディフェンスとオフェンスは紙一重だ。
今も、相手から逃げるのではなく、むしろ懐に入っていたね。
それが大事だ。
そうすれば、すべてが生きてくる」
どう出るか、判らなかったが、アクトレスは気に入ったようだ。
予定より二時間、訓練は続いた。
シャワーで汗を流し、丹田に入って肉体を修復させて、誠が重い足取りで着替えをしていたとき、デバイスに八千代さんから電話があった。
「久しぶり、U。
新しいシングルを出すわよ。
そして、バンドにドラムスを入れるわ」
「明日から練習、ですか。
わかりました」
事務所には八千代と共に、奥のデスクにはオールバックの男、真木が薄く笑っていた。
「U君は、我々が気がついていることに、まだ気が付かないだろうね」
八千代は華やかに笑い、
「もちろんですわ、社長。
これから、本格的なショータイムが始まります」
小田切誠暗殺というショーが、始まろうとしていた。




