17新しい罠
その日、葉山は見違えるプレイを練習で見せ、怪我の克服をアピールした。
監督は首位との難しい試合に、葉山を投入し、葉山はハットトリックの活躍を見せた。
実際、最盛期より、むしろ頭脳派の動きができる分、葉山は良くなっていた。
膝の違和感は全く無い。
体は十代の様に軽く、当たり負けしない体幹は二十代を越えていた。
帰ってきたスター選手にサポーターは沸いた。
守りは堅実だがスター選手のいないチームに、一度は消えかけたエースストライカーが帰ってきたのだ。
レーサーの三浦雪輝が死んだのはゴールデンウィークに行われたオートレースの事だった。
その日、三浦の遺体は消え、内調は大いに慌てた。
「例の奴の新しい殺しなのか?」
アクトレスは唸るが、ネット配信の画像では流石に限界があった。
ただし、三浦雪輝の事故は、確かに不自然にカーブでバイクが跳ね上がり、天地が逆さになって、三浦雪輝は頭から地面に落ちた。
即死だった。
カメラマンの守口はパソコンの前で頭を抱えた。
ピントが狂っている……。
三十ぐらいまでは無かった失敗だ。
無論、現代のカメラにはオートフォーカスもあるし、プロ仕様の画像加工ソフトなら、多少の修正は可能だ。
とは言え……。
ピントは写真の顔、そのものだ。
オートフォーカスや加工ソフトの写真なら、その辺の素人でも撮れる、というものだ。
一瞬の瞬間、最高のフォーカスで切り取るからこそ、写真がアートの域に達するのだ。
それでなければ、ゾロゾロ並んで、物だけ高級なレンズでイキんでいる鉄オタと何も変わらない。
風景写真やゆっくり時間のかけられるスタジオ撮影のカメラマンなら、守口の目は全く問題ないのだが、一瞬を切り取るスポーツカメラマンとしては限界に来ていた。
「お疲れ様ー」
守口のデスクの横を、子供が通り過ぎ、デスクに栄養ドリンクを置いていった。
ん、新しいアルバイトか?
しかし、ずいぶん若いな?
守口も高卒で師匠の門を叩き、運転手、荷物持ちからの叩き上げだが、どうも中卒ぐらいにしか見えない。
まあ、目に関しては羨ましい限りだ。
他のどんな技術で勝っていても、カメラはピントが狂ったら終わりなのだから。
騙し騙し、機械に頼って続けるにしても、見る者が見れば、補正や、オートフォーカスは判る。
結婚式場のカメラマンにでもなるか……。
暗澹たる気分で、守口はスタミナドリンクを口にした。
誠は、風魔小太郎と会っていた。
「内調でも蓬莱山の洋館は見張っていますが、あの地下の穴や、蓬莱山全域の細かい部分までは手が回りません。
山が得意な地元の皆さんに、身の危険のない範囲で調べてもらいたいんです」
「可能な限りはやるよ。
とは言え、あの辺にはどんな怪物が出るか分からないからな」
そこが問題だった。
誠が駆けつけるにしても、東京に戻ったら数分はかかる。
その間に風魔がやられてしまっては、情報も得られないし、風魔なら良いポレホレの実になるはずだった。
「ならば有効な技がある」
いつから、そこにいたのか、疾風が当たり前のように話しだした。
「どのような技です?」
小太郎の応対も丁寧だ。
「儂は蓬莱山であればすぐに駆けつける。
そして、小田切誠は東京から儂と入れ替わるのだ」
「えっと、テレポート的なものですか?」
「いずれは、近い事も可能かもしれんが、今は儂と誠にだけ、できる事だ」
しかし、いついかなる時に入れ替わるのか、流石に誠も不安だった。
誠は嫌だった修行着をTシャツに改め、民俗文化村に潜入中の美鳥と、井口に会っていた。
「元はなかった川が、芦ノ湖から蓬莱山の地下に流れ、そこに桃源郷があるというのか?」
井口は驚いていた。
「重機も使わずに彼らは、あの山の中に桃源郷を既に作っているらしいんです」
「で、なんなの桃源郷って?」
美鳥の問いに誠は、
「なんでも、冥界と生命の樹がある、と言う事でした。
入口から百メートルほど入ってみると、天井と壁には一面の光苔が輝き、内部はペナンガランが、川にはカッパが、大量に守っていました」
「俺たちじゃ、ちょっと入るのは大事だな」
「そこは風魔が見張ってくれます。
まずは民俗文化村のカラクリを解き明かさないと、隣の蓬莱山だけ潰しても、おそらくなんにもなりません」
「何処かに居住区があるはずなんだけど、巧みに隠されているのよ」
美鳥は、目下の仕事を語った。
「俺は芦ノ湖から若者を追い払って何をする気か、もう少し調べるぜ」
三人は森で話し、別れた。
修行は終わったので、ゴールデンウィークは数日残っていたが誠は東京へ帰ることになった。
飛んで行きたかったが、風魔がロマンスカーを手配してくれた。
箱根湯本から列車に乗り、三分で誠は熟睡した。
寺での生活は、誠にしても気疲れのするものだった。
その、あられもなく窓に寄りかかって寝入った誠に、一人の女が近づいた。
女は、指定席のはずの誠の隣に座ると、にぃと笑い、誠の片腕を持ち上げた。
半袖のTシャツから誠の脇の下を覗き込む。
流石に、とんだ痴女である。
本来ならゴールデンウィーク中の混んだ車内でそんな事をすれば、目立つはずだが、誰も見咎めない。
女は、長さ二十センチはある長い針を己のかばんから取り出し、誠の脇の下に突き立てた。
本来、肺に穴が空き、人知れず死亡するはずの暗殺であり、思春期の少年のツルスベの脇の下に微かな穴が空いていても、それが死因とは、よほど死後解剖でもしなければ解らない。
が、誠は丹田に入っていた。
より安全に過ごせる手立てがあって、それを怠るほど誠は気丈では無かった。
(誠っちゃん。
誠っちゃん!)
偽警官に呼ばれて、へ、と誠は目を覚まし、女の異様な行為を見て、ひっ、と悲鳴を上げた。
女は、ソバージュのロングヘアの、かなり美人なグラマーだった。
その真っ赤な唇から、ピンクの舌先が覗く。
「あなた、可愛いわね」
人の脇の下に針を突き刺した人間の言葉ではないが、
「なんとなく、U君に似てるんじゃない?」
修行に入ったときは眉毛を全剃りしていたが、修行の結果、自由に生えさせられるようになり、今は自然なままの誠の眉毛になっていた。
ただし真子が強権を振るい、二重にした上で、睫毛も地でUの付け睫毛状態と同じにしていたので、どことなく今の誠は、誠とUのハイブリットのようになっている。
「あ、ああ、たまに言われます……」
「あたし、好きだわ」
と、誠の量販店のハーパンを引き下ろした。
「あっ……。」
影繰りとしては、かなりの力量の誠だったが、男としての戦力はゼロに近い。
ボクサーパンツの中の物を触られ、あっけなく膨らませてしまう。
「や、やめてください……!」
普通なら役得に近いが、誠は普通に生活している自閉症的な精神の持ち主だ。
本当に恐怖を感じていた。
まあ、肺に達する針を刺されているのは現実だが……。
「あら、こんな硬くなってるのに辞めて欲しいの?」
見かねた真子が、影の手を女の頭に入れた。
「あなたはアジアンマフィアの一味?」
「そ……そうよ」
「僕にハニートラップは効かない、と報告しろ」
本当は最大の弱点だったが、しかし中村や真子がいる限り、変な女に誠を落とさせるわけにはいかない。
女はスゴスゴと帰っていき、誠はピンチを脱した。
(俺、メチャクチャ興奮したぜ!)
助けないと思ったら、颯太は大喜びだった。
「もうちょっと立てなかったのか?」
颯太は真子に文句をつける。
(待てないよ!)
パンツを汚してしまったら、自分にハニトラは通用しない、という嘘がバレバレになってしまう。
そうなったら、誠はいくら強くてもただの思春期なのは明白になってしまうのだ。
ただ、颯太や裕次たちは、寸止めに終わったハニトラの興奮に、陶酔していた。
(男は馬鹿ね!)
真子は切り捨てるが、誠はハーパンの中の物の処置に困っていた。
桃源郷とは、狭くは仙人の住む中華的な理想郷であり、広くはユートピアをさす言葉として使われる。
誠はハニトラを忘れるために、必死にググって敵の謎を考えた。
例えば今までのラオスマフィアのパターンで言うと、桃太郎は本来は桃源郷から流れて来た桃だから、人間として生まれたし、人知を越えた力を持っていた。
これは神仙思想であり、スキタイの樹などと言われる、樹から生物が実る伝説とも結びついている。
生命の樹は、キリスト教や北欧神話の永遠の生命をもたらす果実の実る木であり、またカバラと言われるユダヤの考えでは、神に至る段階を示すランクのようなもののようだ。
そうでなければ世界樹、北欧神話のユグドラシルを始め、世界各地で、いわば天国と人間界と冥府をつなぐ木として言い伝えられるものも無関係ではないかも知れない。
だが生命の樹と冥界がある、という言葉を理屈が立つように解釈するなら、死人の世界と永遠の命をもたらす木がある、というのは、少し矛盾がある。
生と死、真逆の観念だからだ。
世界樹ならば、例えば地下には冥府があり、また上に登れば天界があってもおかしくないかも知れない。
本当に、そういう木が生えているのではなく、言ってみれば天国の入り口と地獄の入り口が、あの山の洞窟の中に川を経由して存在している、と言うわけだ。
地獄というと、冥府とはやや意味が違うので、死者の世界の入り口、ないしは出口がそこにある、と考えればいいだろうか。
(誠、お前いつまで我慢しているんだ?
漏らしちゃうぞ)
幽霊には人としての誠の秘密にしたいことは、全てバレてしまう。
とは言え、誠は水分り神に体をコントロールする能力をもらったたので、下半身を正常な状態に戻したいなら、やればできるのだ。
ただ、誠も修行期間、禁欲も続けていて、正直、少しそれを楽しんでいた。
だが、確かにうっかり漏らしてしまったら、家に帰るのも苦労しそうなので、トイレに向かった。




