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【9】友達



 城に上がって三か月。


 もはや最初の緊張はどこへやら。

 敵陣だとか仇だとかという意識はすっかり隅に追いやられ、気づけばリリアは普通に充実した日々を送っていた。


 いや。

 リリアだってわかっている。

 今自分が敵の本丸に一人乗り込む形になっているのだと。

 油断すれば足元を掬われる。一瞬のミスが命取りだと。


 けれど、人はずっと緊張し続けてはいられない。

 ましてや周囲がこれほど平和だと、気も緩むというものだ。


 それに、主となるアデリーナ殿下自身にはもともと憎しみもなにも抱いていなかったのだ。ただ愛らしい幼い主にお仕えするのは単純に楽しい。

 

 そして何より、初めてできた友達イルマの存在がリリアの心を明るくした。


 初対面のイメージ通り、イルマはとにかくよく喋る人、だった。


 侍女としてそばに仕えている時は私語が一切許されないため、奥に下がった瞬間その反動が炸裂する。

 だからほとんどの侍女が執務室や食堂、部屋に戻った時などはおしゃべりに花が咲くのだが。

 イルマはまさにその典型だった。

 けれどその会話に他人の批判や蔑みは全くない。ただただ続くくだらないおしゃべりはリリアの心を解きほぐしてくれた。


 夕食時、リリアは従事者用食堂に座って辺りを見回す。

 朝昼晩の食事だけでなくいつでも開いているこの食堂は、侍女や近衛騎士、文官達も利用する、主に高位の従事者向けの食堂で、夜の軽い飲みや簡単な事務仕事も出来るようになっていた。

 個室を持てるのは侍女頭や騎士団長などだけであり、一般の侍女達が使える執務スペースは限られる。

 食堂はそれを解消するための場所でもあった。

 奥の方で酒を酌み交わすグループもあれば、入り口付近では日誌をつけている騎士もいる。

 雑多で賑やかな雰囲気は意外にも心を落ち着かせてくれた。


 男女が同じ場所で食事をするということに当初驚いたのが遠い記憶だ。


 ちなみに離れの棟には掃除夫やメイドなどが利用する食堂もあるらしい。身分により使える食堂がわかれているのだ。


 と、イルマが早足で食堂に入ってくる。

 リリアは思わず身を乗り出して手を振った。

「イルマ!こっちこっち!」

 イルマは年上で先輩にもあたるのだが、当の本人に懇願されて最近は友達口調で話す様になっている。「様」付けも初日で消え去った。敬語を使うことも使われることもない初めての関係に、リリアはむず痒くも浮かれる気分になる。

 気の合う友人とはなったものの、同じ主君に仕える者同士が一緒の時間に食事を摂れるのは稀で、だからこそ楽しみが倍増するのだった。


「ごめんごめん、遅くなって。先に食べててよかったのに」

「ううん。せっかくだからイルマと一緒に食べたかったもの」

「うれしい。で、今日のメニューは何かしらっと」

 イルマもご機嫌で首を回す。

「わあ。アビル貝とパプリカのピラフ!好きなのよねぇ。せっかくだからワインもいっちゃう?」

「イルマも今日はもう上がりだものね。でも私はソーダにしておくわ」

「リリアはアルコール飲まないからね」


 カウンターから彼女はピラフを、リリアはチキンソテーをとり、席に戻る。

 グラスを軽く合わせ、ワインとソーダで小さく乾杯した。


 一口含んでふうっと息を吐き、頬を緩める。

 友人と気軽に話すこと、好きなメニューを選ぶこと。どれもリリアがこれまで経験したことのない、新鮮で楽しいことばかりだった。


「ちょっと、あれ。皇太子殿下付きの侍従とデメトリオ殿下付きの侍女じゃない?」

 イルマが入り口付近を横目で見ながら小声で囁く。

「ホントだ。え?あの二人、出来てるの?」

「そりゃ、二人っきりで食事してるんだから出来てるんじゃない?でも、それにしては微妙に距離が離れて‥‥」

「じゃあ、仲良くなりかけ‥‥ってこと?」

「ありかも」

 イルマがにやりと笑う。


 男女が同じ場所に集えば自然とそういう関係が出来上がる。

 政略結婚の必要もなければ親からの斡旋もない下級貴族の子息子女にとって、ここはある程度身分の保証された格好の出会いの場。

 なんならむしろそれ目的にこの場があるのではないかと思う程だった。


 適度に仕事の愚痴を漏らしつつ、その新米カップルを時々チラ見しては憶測に花を咲かせる。まだ緊張でぎこちない男性と、頬を染めながらそのエスコートに応じる女性。見ているだけでじれったく微笑ましい。

 人間観察が好きなリリアとうわさ話が好きなイルマは意外と気が合った。


 同年代が多く集まるこの場所は、リリアにとって遅ればせの青春のようなものだった。


「そう言えば皇太子殿下はどうして侍女をつけないの?男性ばかりよね」

 チキンをカットしながらリリアが尋ねる。

「あー、いくら眼力怖すぎ腹黒皇子でも、あれでも皇太子だからね。侍女たちの秋波がすごかったみたいよ。それで嫌になっちゃったみたい」

 腹黒って‥‥。イルマの不敬がひどすぎる。


「なるほど」

「少しでも色目を使った人を片っ端から解雇してたらほとんどいなくなって、めんどくさくなっちゃったんだって。もう自分の周りに女は置かん!って」

「うわ。想像できる。でも第二皇子殿下の方がよっぽど女性受けしそうでアタックされそうなのに、普通に侍女を置いてるわよね?」

「まあ皇子殿下はそう言うところ気にしないんじゃない?優しいし、女性には丁寧に接するって噂よ」

「兄弟でも性格違うのねぇ」


 リリアはチキンを口に入れ呟いた。

 仇である皇太子の話が出てもそれほど心乱されることなく、うわさ話の一つとして流せるようになった自分に驚く。忙しくも賑やかな日常は、穏やかな子爵領とはまた別の意味でリリアの心を癒してくれていた。


「でも私の周りにはそんな玉の輿狙いの人なんていなくてみんな真面目に仕事をする人ばかりでよかった」

 リリアの言葉に、イルマは肩をすくめた。

「当たり前じゃない。そう言う人はもう全員追い出されちゃったからね。だいたい玉の輿なんてそうそう狙えないわよ。それに、殿下達だって侍女からそんな目で見られたらくつろげないっつーの。だから皇太子殿下は女性を周りに置かないのよ」

 イルマは片眉だけ器用にあげるとピラフをほおばった。


 と、入り口に見慣れた男性の影を見つける。

「あれ?ゲオルグも今上がり?」

 アルコールのせいか少し赤らんだ頬を緩めてイルマが声をかける。入り口に顔を向けると、薄茶の髪をさらりと横に流した年若い青年が入ってきた。


 そばかすを散らした愛嬌のある顔をしたゲオルグは、皇女の護衛騎士の一人だった。

 まだ幼い皇女には主にベテランの従者が多く、若い側付きはリリアとイルマ、それにこのゲオルグぐらい。

 少々頼りなさげだが柔らかい物腰は皇女を安心させたのか、彼は初対面からアデリーナに懐かれ、護衛騎士に抜擢されていた。

 そして年の近いこの三人は必然的に打ち解け、気安く話せる友人となっていた。


 ‥‥まあ時々、彼の視線がイルマにだけ注がれていることに気づいてはいるのだが。

 初めてできた友人の恋模様をこっそり応援してあげようという親心で見守っている。

 

「いや、今日はこの後も護衛。その前に鍛錬日誌をつけようと思って」

 ゲオルグは小脇に紙の束を抱えていた。

 日々の鍛錬では相当しごかれているようだが、不器用ながらも実直な彼は必死でついていっている。

「お疲れ様。ここ空いてるわよ」

 リリアがさっと場所を開けると、

「ありがとう」

 彼は遠慮なく隣の席に腰かけた。

 これまで経験したことのなかった異性との近しいこの距離感にも、三か月で大分慣れた。


「今日は長丁場なのね。なのに書類仕事まで、大変ね」

 リリアのねぎらいにゲオルグは肩をすくめた。

「日誌なんてどの部署もつけてるでしょ。でもほんと、毎日毎日めんどくさいよね」

 そう言いながら白紙の紙を広げる。


「え?‥‥それに書いてるの?」

 思わず口にしたリリアに、ゲオルグは不思議そうに顔を向けた。

「そうだけど?」

「毎日書くのに、いちいち白紙の紙から書いてたら大変じゃない?」

「白紙じゃなかったら何に書くの?」

 何が言いたいのかわからない、というようにゲオルグは首を傾げた。

「様式を作っておくのよ!」

「は?様式って?」

 ゲオルグはやはりわからない、という顔をした。


「前もって枠を作って、いつも書き込む内容は丸を付ければいいようにあらかじめ記載しておくの。基本を作ったらあとはそれを何枚も転写して準備しておけばいいのよ」

 リリアは思わず立ち上がった。

「侍女の間ではもう常識になってるわよ。見せてあげる。持ってくるからちょっと待ってて」

 そういうと、急いで執務室に戻った。


 何枚かの紙を両手に持ち、せかせかと同じテーブルに戻る。


「見て。ほら。私達の場合、皇女様の一日を記録するでしょ?だから日にちや天気、お召しになった服、朝、昼、晩の食事の量、その他毎日記録する内容はこうやって最初にリストアップしておくの。そうすれば書き漏れもないでしょう?」

 すっと差し出したその用紙を、ゲオルグは目を開いてまじまじと見た。


 新人侍女の最初の仕事は、この奉仕記録を毎日つけることだった。

 先輩侍女がゲオルグと同様、白紙の紙に書いているのを見て驚いた。国中から知恵が結集されたこの皇宮でなんて原始的なやり方をしているんだと。


 アングラードでは皆がこの様式を採用していた。誰が始めたのかは分からない。

 あらかじめ様式を作る方法がアングラード独特のものだったら声をかけなかったが、この方法は子爵領でも当たり前に使用されていたため、おそらく広く採用されている手法であり、ここで伝えても問題ないだろうと考えてとっとと改善したのだ。


 以降数か月、今では皇帝陛下付きの侍女まで、全てがこの方法に変えている。

 もちろん仕える相手によって少しずつ内容も変えてあった。


「すごいね、これ。確かに鍛錬日誌にも応用できる」

 ゲオルグが感心したように覗き込んだ。

「でしょ?一緒に作ってみる?」

 リリアは急いで食事を終わらせると、ゲオルグの隣で線を引き始めた。

「ねえ、何を作ってるの?」

 そんな二人の様子に興味を持ったようで、若い文官も声をかけてきた。


「私達侍女の奉仕記録の様式を鍛錬日誌に応用しようって話をしてるのよ」

 様式を少し前に出して見せるように説明すると、若い文官も目を輝かせた。

「なにそれ、めっちゃいい」


 気づけば周りには四、五人の人達が集まってきた。

「え、これって定型的な訴状にも使えるんじゃない?」

「いいかも。あと、経費を支出する時もいつも同じパターンなんだから、応用できるかも」


 今やすっかりリリアを置いてきぼりで話がはずんでいる。

「だったらみんなで考えながら順番に作っていかない?」

「賛成!」


「え。待って待って。まずは鍛錬日誌からでいいんだよね。僕が一番最初に始めたんだから」

 慌ててゲオルグが口を挟む。

「そうね。今日は鍛錬日誌として、次はそれぞれ作りたいものを持ち寄ればどう?」

 リリアの提案に、皆うんうんと頷いていた。


「よっし決定。じゃあ次回は木曜の夜にする?」

「えー、俺その日は遅番」

 若い近衛騎士が残念そうに零す。


 ふむ。リリアは顎に手を当てて首を傾けた。

 毎日どこかしらが動いているこの大きなお城で、皆が揃うことの方が難しい。

「じゃあこうしたらどうかしら。みんなが揃う日なんて難しいから、毎週火曜と木曜の夜7時からここで勉強会を行うの。来れる人だけが来ればいいってことにすればいいんじゃない?」

「いいね。来週の火曜なら俺も来れる」

「僕は毎日時間通りの勤務だから、だいたい来られますね」

 得意そうに若い文官は笑った。


 こうして、侍女、近衛騎士団、文官、侍従の全てを巻き込んだ食堂での週二回の勉強会が始まった。


 一通り作りたいものが揃ったら自然消滅するかと思ったその勉強会は意外にも日によって人が変わりつつ、人が増えたり減ったりしながらも続いていった。リリアも時間が許す限り参加している。


 鍛錬日誌が出来たら次はローテーション表の基本形、文官は陳情の様式、購入品の経費要求の様式‥‥。

 一つ作り始めると後から後から作りたいものが出てくるらしい。

 その集まりは時に人を変え中身を変え、いつの間にか定着していった。



リリアは転生者ではありません。そういうお話ではありません。

でもめっちゃ賢いです。

理由はそのうち出てきます。基本、賢い子が好きなので‥‥。

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