【5】侍女に!?
「‥‥リリア、お前を皇女殿下の侍女に迎えたいという話が来ている」
「は?」
令嬢らしからぬ呆けた声を出してしまったのは致し方ないと思う。
皇帝一家に謁見するという大仕事を終え、のどかな子爵領に戻って戸籍上の甥っ子にあたるクリスと戯れていたリリアの元に、これ以上ないほど真っ青な顔をした子爵が入ってきた。
ちなみに四歳になったばかりのこの愛くるしい甥っ子は、傷心のリリアを存分に癒してくれた恩人であり、天使だと思っている。
自分はよく「豊穣の天使」などと誉めそやされていたが、彼が産まれた瞬間、「本物の天使がここにいた!」と驚きの声をあげてしまったほどだ。
床に座り、クリスを膝に絵本を読み聞かせていたリリアはきょとんと顔をあげた。
子爵の手には皇室の封蠟がされた手紙が握り締められている。
「デビュタントでの所作の美しさが皇后の眼に留まったらしい。侍女ではあるが、王女殿下の作法の講師的な意味合いも含んでいるんだそうだ」
そういう子爵の声はやはり震えていた。
当たり前だ。
通常ならもろ手を挙げて喜ぶところだろうが、リリアにとっては敵の本丸に突っ込むようなものなのだ。万が一正体がバレたら、この子爵家もろとも消えてなくなる。
「それは‥‥」
「ああ。まず間違いなくお前の出自を疑って、監視下に置くためだろう」
「‥‥お断りするわけには?」
「いかないだろうな」
子爵は難しい顔で答えた。
「令嬢の場合、婚姻予定があれば断ることは可能だが、今現在婚約者もいないお前が皇室の打診を受けた直後に婚姻などと言えば、皇室への造反とも捉えられかねない」
リリアは不安げに見上げる。
「私が病弱なのを理由にすれば‥‥」
「それも最大限考慮すると言われてしまっている。第一デビュタントの際に、体調は完全に回復した旨伝えてしまっている以上、理由には使えない」
そんな。
リリアはやはり硬い表情の母上と顔を見合わせた。
「リリアねえたま、どこかにいっちゃうの?」
深刻そうな大人達の表情に、幼いクリスが不安そうにきょときょとと首を動かす。
「大丈夫よ。もしかしたらお仕事をいただいて、この家から出るかもしれないっていうだけ」
リリアは安心させるように、甥っ子の背中を撫でた。
子爵はふう、と大きく息を吐くと向かいのソファにドスンと腰を下ろした。
「‥‥一年でお前の婚約を整えて迎えに行く。それまでどうか、耐えてはくれないか」
リリアは新しい親であるこの優しい夫婦をじっと見つめた。
この五年間、リリアを実の娘として時に厳しく時に優しく、本当の親のように育ててきてくれた。実の娘の葬儀すら行わず、立派な墓を作ることも叶わず、それほどの代償を払ってまでも自分を守ると決めてくれた夫妻。
彼らの恩を無駄にすることはできない。
迷いは一瞬だった。
「城に、あがります」
「リリア!城に貴方の味方はいないのですよ!」
リリアの両手を握り締めたヘレナに、リリアは静かな笑みを浮かべた。
「大丈夫ですお義母さま。素性は必ず隠し通します。この家にご迷惑はかけません」
「そう言うことじゃないの!」
リリアは悠然と答える。
「よく考えてください。今の私をどう調べても、たとえ誰かが私のことをセリーヌだと主張しても、そんな証拠はどこにもないのですよ?立証しようがありません」
「しかしリリア。一旦城に上がってしまえばお前は完全に独りだ。不安分子だととらえられてしまえば、あれこれ理由をつけて秘密裏に始末してしまうなんてことも造作もないのだよ。真偽も証拠も必要ない。不穏な芽は摘んでしまう。それが国政の鉄則なんだから」
始末‥‥その言葉にリリアは一瞬怯んだ。だが同時にある疑念が湧きおこる。
「その可能性はないとは言えません。ですがお義父さま。本気で私を亡きものにしたかったら、今までいくらでもチャンスはあったと思いません?」
「まあそれは‥‥」
「いずれにしても、応じないという選択肢がないのでしょう?」
心配をかけないよう、精一杯微笑んで見せるリリアに、子爵は不承不承、納得しきれていない声を絞り出した。
「‥‥わかった。一年で必ず迎えに行く。なに、お前の婚姻を決めればいいだけだ。ほとんどの令嬢は婚姻と共に暇をもらうのだから。だからリリア、決して目立たず、無理はしないように」
「無理して欲しくないのはお父様の方ですよ。この秘密を持ったまま嫁ぐ方が難しいのはよくわかってらっしゃるでしょう?私はお嫁に行くことなんて望んでいないのですから」
子爵はぐっと言葉に詰まった。
「‥‥そうか、そうだな。これからはこんな話をする場も限られてくるかもしれない。だが私も今後は面倒がらずに帝都にも足を伸ばすから、その時には必ず会おう」
「帝都に来てくださるの?お父さま」
リリアは目を輝かせた。
「絶対ですよ?」
「ああ。アルーニにも伝えておこう。実際アルーニの方が帝都に行く機会は多いだろうからな」
「まあ。お義兄様も顔を出してくれるならますます心強いわ」
「そうと決まればリリア、侍女としての作法や心得を学ばないとね。忙しくなるわ」
ヘレナも努めて明るい声をあげた。
***
「というわけで、マーサ、今日から貴方が私の先生よ。いろいろ教えてね」
にこりと笑うリリアに侍女のマーサは顔を伏せて涙を流した。
「姫様が侍女に、だなんて‥‥!」
リリアはマーサの肩に優しく手を置く。
「もうマーサってば、その呼び方は使わないって何度言ったらわかるの?今の私は子爵家の娘。いつまでも元の地位にこだわっているのはマーサだけよ。しっかりして」
「しかし姫様、侍女として皇宮に上がるということは、私はついていけないではないですか」
マーサがハンカチで目元を拭う。
「当たり前じゃない!侍女が侍女を連れていくなんて聞いたことないわ」
「私はずっと、一生姫様にお仕えする覚悟でここに参りましたのに」
リリアはマーサの目を覗き込んだ。
「マーサ、私が父さま達を失いこの子爵領にたどり着いた時、貴方がここにいてくれてどれだけ心強かったか、安心したか。忘れることはないわ」
「姫様!」
「私がここに来るかどうかも分からなかったのに、何年も前からこちらに来て、迎え入れる準備を整えてくれていたなんて。感謝してもしきれないのよ」
「もったいないお言葉にございます」
「これからも貴方は私の一番の味方で、唯一の侍女よ。だからお願い。マーサはこの家で私を待っていてね。あ、でも、結婚してもいいのよ?」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑ると、リリアの親の年齢にも近いマーサは真っ赤になった。
「姫様、私が幾つだと思ってるんですか」
「あら。年齢なんて関係ないわよ。未来の事なんて誰にも分らないし。私にだって素敵な旦那様が突然現れるかもしれないもの」
「その時はどうか、私も一緒に連れて行ってくださいまし」
マーサは真剣な表情で訴えた。
「まあとにかく!今は侍女としての心得や技術をマーサから徹底的に教えてもらう時よ!お願いね」
リリアはポンっと手を打つ。
「承知しました。不肖ながら精一杯務めさせていただきます」
「よろしくね。来月にはもうお城に上がらなくてはいけないから、期間は三週間しかないの」
「たった三週間ですか!?」
目をむくマーサに、リリアはカラカラと楽しそうな声をあげる。
「大丈夫よ。基本的な礼儀と対人関係さえ教えてくれればいいの。後は向こうでも教えてもらえると思うわ」
忙しくなるわね。
リリアはマーサを元気づけるように、精一杯明るい声で返した。
おろ?
城に行くの?
一生に一度ではなかったの!?
ないんです。ストーリーがすすまないので!