【4】五年後
一気に五年飛びました。
話がどんどん進んでいきます。
―― 五年後 ――
十七歳となったセリーヌは皇室主催の舞踏会に立っていた。
帝国の辺境に小さな領地を持つペルトサーリ子爵家の直系の息女、リリア・ペルトサーリとして。
歴史を感じる荘厳なシャンデリアの下、贅を尽くした料理が並べられ、着飾った貴婦人が笑いあう。
その横で紳士たちも思い思いに社交を楽しんでいた。
「これはこれは、ペルトサーリ子爵ではないですか。帝都に来られるのは珍しいですなぁ」
人の好さそうな貴族が横腹をさすりながら、セリーヌの、もといリリアの義父の元にやってきた。
「ソルート伯爵。お久しぶりです。今日は娘のデビュタントなのですよ」
「おお、それで!」
ソルート伯爵の笑顔が更に大きくなる。
「リリア・ペルトサーリにございます」
満面の笑みで返す義父の横でリリアも丁寧に礼をとった。この五年で子爵令嬢としての知識、帝国の貴族や交友関係は十分身に着けた。
「あの療養していたという娘さん、ですか。お父上によく似ておりますなあ」
「そう言われるのが一番嬉しいのですよ」
義父も相好を崩す。
「それにすっかり元気になられたようで、なによりです」
「おかげさまで病も完治し体力も戻って、なんとかデビュタントに間に合ってホッとしています。ずっと療養しておりましたので、マナーなども付け焼き刃で覚束ないこともあるかと思いますがお目こぼしいただければ」
謙虚な姿勢をとる義父の背中をボンと叩いた。
「何を言いますか!初見でもわかるほど完璧な所作ですよ。さすが教育に力を入れているペルトサーリ家だけのことはある。しかし、デビュタントですか。いいですなぁ。うちにも近い年齢の息子がいれば是非にも縁を結びたかったのですが‥‥」
その目には社交辞令にはない本気の色が滲んでいる。
ここ近年、リリアが天候を読み領地が潤ったことで、今のペルトサーリ子爵家は小さいながらも有望な家柄だと認められつつある。
「もったいないお言葉ありがとうございます。ですが娘もようやく人並みの生活を送れるようになったばかり。縁談は慌てなくても、と思ってしまうのは親バカなのでしょうか」
「うはは。これだけ美しいご令嬢なら手放したくない父親の気持ちはわかりますよ。その素晴らしい首飾りからも、いかに大切にされているかわかるというものです」
伯爵は目を細めた。
視線の先にはリリアの首にかけられたサファイヤのネックレス。あれからずっと肌身離さずつけている母の形見。
リリアは胸元にそっと触れた。
子爵令嬢が身に着けるには高価すぎる、大きな石。
だが、近年業績のいい子爵家の、大切に大切に育てられた令嬢であれば不自然ではないだろうと、着けてくることを子爵がなんとか了承してくれた。
「まあ何事にも適齢期と言うものがありましょう。もし良き縁があればお声がけしても良いかな?」
「お心遣い感謝します。そのようなお話があれば、是非」
義父が頭を下げたところでソルート伯爵は笑顔で立ち去った。
それを見送った義父が小さく息を吐く。
また彼に余計な気づかいを負わせてしまった。うまく立ち振る舞わなければ。
リリアはぎゅっと気を引き締めた。
厳かなファンファーレと共に、騒めいていた広間が一気に静まり返った。
リリアも皆に倣い、両親と共に頭を垂れて待つ。
壇上奥の大きなドアが開いて、皇帝一家が登場した音が聞こえた。
頭を下げたまま全神経を壇上に集中する。
「皆の者、顔をあげよ」
頭上から低く威厳のある声が聞こえた。
すっと姿勢を正すと、玉座には威圧感を醸し出す皇帝陛下が腰をおろしていた。短く刈り整えた銀髪と真っ赤な瞳が印象的だ。
右隣に穏やかな笑顔を湛える皇后陛下が、更に右には無邪気に微笑む皇女殿下が並んでおり、いずれも輝くような金の髪がきらめいている。
左の端に立つ第二皇子の髪も皇帝陛下と同じ銀色。輝くような色彩を放つ一家において、皇帝の左隣に立つ皇太子、ヴィルフレードの黒髪だけが異彩を放っていた。
ニコニコと皆を見下ろす第二皇子殿下とは対照的に、無表情に佇むヴィルフレード皇太子。
貴族どころか平民でもめったにいないという黒髪に、血のような赤い目が周囲を睨みつける。第二皇子よりも一回り背が高く、皇太子なのにやたら筋肉質な体も威圧感を放っていた。
皇帝と同じ真っ赤な瞳が直系であることを示してはいるが、皇帝一家が並び立つと明らかに異質な存在であることは明白だった。
それだけに余計に畏怖を感じるのだろう。並びいる人々も、皇帝よりもむしろ皇太子に怯えているように感じる。
だが事実、二十歳そこそこの若輩ながらアングラード王国を攻め落とし、東のガンドル教国の脅威からこの国を救った英雄でもあることは事実。
そしてリリアにとってはこの男こそが最も憎むべき相手であった。
皇帝の声掛けが終わると、デビュタントを迎えた子息女達が親と共に並び始めた。順に皇帝一家に挨拶をしていくのだ。
子爵程度であれば一生に一度の皇帝への謁見。
敗戦国の王女を匿うなどと言うとんでもないリスクを負ってまで育ててくれた子爵夫妻を守るためにも、王女であることは絶対に悟られてはいけない。もちろん復讐などの行動を起こす気などさらさらなかった。
それでも。
それでも今日の日を待ち望んでいた。
おそらく最初で最後の、皇帝一家の顔を拝む日なのだから。
今後は遠くから顔を見ることはあっても、直接声を交わす機会はない。
あれからアングラードの情報を必死になってかき集めた。
義父達も帝都に行くたびに様々な情報や新聞、タブロイド紙などを持ち帰ってくれた。幼いリリアにはまだ少し難しいそれらを、隅から隅まで何度も読み返した。
そして両親と兄の死を、彼らを取り巻く様々な人の死を、あの無残な戦争が起こってしまった背景を理解し、現実のものとして受け入れた。
‥‥長い、長い時間をかけて。
アングラード王国に侵攻し、王族であるコンテスティ家を滅ぼした皇太子だが、民衆に対し残虐な殺戮が行われることはなかった。お父様達も民衆の前で斬首刑にされることもなく尊厳をもって執行され埋葬されたと聞いている。
さらに言えばあの戦争だって、帝国が好んで起こしたわけではない。ガンドル教国の脅威に晒されていたトルメルン帝国は、挟み撃ちを避けるために隣のアングラード王国を吸収するしかなかった。ガンドル教国に付け込む隙を与えてはならなかったのだ。
‥‥‥‥だから何だというのだ。
この国が、私の祖国を滅ぼした。
この人達が、私の家族や世話になった人達を殺したのだ。
どれだけ新聞記事を読んでも、城が落とされた後家族がどこに幽閉されたのかはまではわからない。だが最後は、皇太子自らが毒杯を与え、尊厳死を見届けたと報じられていた。
せめてもの誠意を尽くした、と。
何が誠意だ。
尊厳死だ。
ただ、確実に死を見届けたかっただけではないか。
周囲を信用しない冷酷な彼らしいやり方だ。
リリアは相も変わらず無表情なその憎むべき男の顔を、遠目から見つめ続けた。
面積が帝国の三分の一ほどのアングラード王国の小麦の収穫量は、帝国の半分近くあったという。
帝国は民衆の食糧確保のためにもアングラードが必要だった。
戦後、アングラードの収穫は帝国にかなり持っていかれてしまった。民衆が飢えるほどには取り上げられなかったとはいえ、以前より厳しい生活を強いられているという。
リリアはぎゅっと唇を噛み締めた。
高位の貴族から順に挨拶を行い、子爵は後の方になる。とはいえデビュタントの人数はさほど多くはなく、リリアたちの番は意外なほど早く回ってきた。
両親に付き添われ、すっと前列に歩み出る。ドレスをつまみ、膝を折って頭を下げた。
「エサイアス・ペルトサーリが娘、リリア・ペルトサーリにございます」
「面をあげよ」
皇帝の声に合わせ、三人揃って顔をあげる。
「ペルトサーリか。小麦の供給、大儀であった。おかげで多くの民が救われた」
他の貴族の時には後ろに控える付き人が小声で貴族の情報を伝えていたのに、子爵の時にはその仕草は見られなかった。皇帝の覚えがめでたいということは他の貴族への牽制にもなる。
「もったいなきお言葉にございます」
義父も神妙に言葉を返した。
セリーヌが「リリア」となったその年、帝国は戦争による人手不足に干ばつが加わり深刻な小麦不足に陥った。アングラード王国侵攻の原因の一つにこの食糧不足がある。
とはいえアングラードの収穫だけでは補うことは到底叶わず、困った皇室は小さな領地しかないペルトサーリ子爵家にすら備蓄小麦の提供を打診してきたのだ。
もちろん子爵家もある程度の放出は覚悟していた。
しかし要請は、備蓄分全て、だったのだ。それら全てを放出してしまえば、翌年に少しでも不作だと自領の民が困窮する。
困った子爵を助けたのはリリアだった。
曰く、来季は雨にも日光にも適度に恵まれ、小麦も豆も豊作になる。今備蓄を放出しても領民が飢えることはないし、帝国に恩を売れる。それなら今高額で買い取ってもらうほうがよいと。
‥‥決して皇室への忠誠などではない。大切なこの子爵領を守るためのアドバイスだった。
その言葉を頼りに備蓄を全て放出した結果、子爵家には十分な金銭が入り、皇室からは感謝の言葉が届けられたのだ。そしてその後も皇族とは良好な関係が続いている。
先ほどソルート伯爵が声をかけてきたのも、子爵家ながら皇室からの信頼を得、それなりの財を築いていると他貴族に認識されているからだった。
「そちの忠誠心、しかと汲み取った。以後も励めよ」
これは、皇帝としての最大の賛辞と言える。三人はまた深くお辞儀した。
「リリア、と言ったな」
突然皇太子が言葉を発した。これまで一言もしゃべらなかった男の動きに、周囲の注目が集まる。
ゆっくりと顔をあげると、そこには射殺すような視線でリリアを凝視する皇太子がいた。
アングラード王国がトルメルン帝国に吸収されて五年。この男は未だにセリーヌ王女を探し続けていると聞く。当たり前だがリリアはセリーヌ王女と年齢が近く同じ色の髪と眼を持つ。疑うなと言うほうが無理だろう。
さらに言えばリリアは彼と一度だけ会っている。覚えられている可能性だって否定できない。
射すくめられるような視線に、リリアは思わず胸元のネックレスに触れた。
母の形見。たった一つの縁。
不安な時、自分に喝を入れたい時、無意識にこの石に触れるのが癖になっていた。
だがリリアの隣には、髪も眼もリリアと同じ色をした義父と、同じく優しい雰囲気を持つ義母がいる。
三人並ぶと実の親子にしか見えない。しかもリリアは今、十七年前に帝国に出生届が出された、まごうことなき子爵家の息女となっているのだ。
大丈夫。大丈夫。
怯えることはない。
「帝国の若き太陽にご挨拶いたします」
心を整えると、リリアは完璧なカテーシーで礼をとった。のびのびと育てられたという認識はあるが、身についた王女として所作は消えることはない。
「其方はずっと領地にいたのか?」
厳しい視線のまま、皇太子が更に質問を重ねた。
「はい。幼き頃は身体が弱かった故、療養には行っておりましたが、少し良くなってからはずっと領地で過ごしておりました」
「そうか‥‥‥‥」
皇太子はその後一言も発しなかった。
気まずい沈黙が流れる。
周囲の貴族達も戸惑っているようだ。
公務以外で女性に声をかけることなどほとんどない皇太子。それがいきなり声をかけるとは。
皇太子が未だに亡きアングラード王国の王女を探していることは誰もが知っている。表向きは保護するためだと言われているが、その実は妃に迎えるためだとも、保護したと見せかけて秘密裏に葬り去るためだとも噂されている。
どっちもお断りよ。
リリアは心の中で吐き捨てた。
亡き王国の王女と風貌がそっくりの、似たような年齢の女性。
否が応でも興味を引くのだろう。
しかし彼女は隣に立つ実の両親によく似た、紛れもない実子。
皇太子は王女に似た代理でもいいということなのだろうか、はたまた‥‥。
「ヴィルフレード、そんなに睨んだらお嬢さんが震えあがってしまうわよ。それにしても、リリア、とおっしゃったかしら、貴方は本当に子爵にそっくりなのね」
穏やかな口調で凍り付いた雰囲気を溶かしてくれたのは皇后陛下だった。
「髪と眼は父親譲りのようだね。でもお顔はどちらかと言うと母親似かな」
第二皇子も優しくフォローしてくれる。
「ありがとうございます。大好きな両親ですので、両方に似ていると言われると私も嬉しく思います」
ふんわりと微笑むと、改めて礼をとった。
「まあ!綺麗ね!お姫様みたい!」
アデリーナ皇女、本当のお姫様は横で無邪気に笑う。
「恐れ多いことにございます」
謙遜するリリアに対し、第二皇子がまた声をかけた。
「ペルトサーリ子爵令嬢、一生に一度のデビュタントだ。せっかくの機会だから是非楽しんでいってくれ」
「ありがとうございます」
改めて礼を返すと次の者に場所を譲った。
微笑みあう皇帝一家の姿はお互いが思いやり尊重しているようで、幸せな一家そのものに見える。
‥‥昔の我が家と同じ、に。
五年。
経っていてよかった。
あの直後ならこんな風に平然とはいられなかった。
子爵家で人の優しさ暖かさに触れ、穏やかな時間を過ごすことが出来て、胸の痛みや悲しみを少しずつ癒してきた。今だから平気な顔をして立っていられるのだ。
そうして生涯一度であろう挨拶はつつがなく終了した。
もう二度と会うことはないだろう。
リリアは最後にちらりと壇上を伺い見た。
‥‥と、皇太子と視線がぶつかった。
その指すような視線にぞくりと背中が粟立ち、硬い表情で視線を戻す。
「ペルトサーリ子爵令嬢、よろしければ私と一曲踊っていただけませんか?」
子爵にエスコートされてダンスを終えると、同じくデビュタントを迎えた若い伯爵令息がすました顔で手を差し出してきた。
帝都ではこうやって恋が芽生えることもあるらしい。
‥‥自分には縁のない話だが。
「喜んで」
リリアは余所行きの笑みで彼の手を取った。
***
「ふうん。彼女があれが兄さんが気にしてる娘か。確かに、セリーナ王女の風貌とやらによく似てるね」
デメトリオ第二皇子は鉄壁の笑みを崩さないまま声に出した。
「で。会ってみてどうだったの?やっぱり王女だった?」
「‥‥わからない。遠めに一度見たきりだし、まだ子供だったしな」
若い男と踊るリリアを射抜くように凝視しながら、ヴィルフレードが答える。
「だけどあの子爵もそこまで危険なことするかなあ?出生届の偽装なんて、子爵家の破滅だけじゃ済まないよ?」
「出生届は偽造のものではない。十七年前に出された正式なものだった」
「は?」
デメトリオが目を見開く。
「だったらどうやっても彼女は王女じゃないじゃん。しかもあんなに両親にそっくりなんだし。兄さんはどうしてそこまでこだわるの?」
ヴィルフレードは相変わらず仮面のように冷たい表情で続けた。
「あの令嬢は幼き頃、アングラード王国で療養していたことがあるそうだ」
「うーん。子爵がアングラードと何かしらの縁があったことは間違いないね。きな臭いけど、万一王女と子爵令嬢が入れ替わったとして、本物のリリア嬢は今どこにいるの?」
「‥‥‥‥」
「さすがに彼女がセリーヌ王女って考えるのは無理がない?」
「‥‥美人は特徴が少ないんだそうだ」
「は!?」
ヴィルフレードの呟きに、デメトリオは再び目を見開いた。
「母親に似ていると言われれば確かにそうだが、貴族によくある顔立ちと言われればそれまでだろう?」
「‥‥兄さん、憶測がすぎる…」
デメトリオが呆然と呟く。
「わかっている。だが、どうしても違和感が拭えないのだ」
デメトリオは小さくため息をついた。
「でも証拠はないんでしょ?」
「まあな」
と、突然、ヴィルフレードは不敵な笑みを浮かべた。
「だが証拠など、必要ない」
「ははっ。確かに」
デメトリオの含み笑いが響いた。
「もしもこちらにとって不都合な存在なら、消すだけだ」
「相変わらず発想が怖いねぇ。どうせ秘密裏に葬るんなら証拠なんてなくてもいいってか」
そして続ける。
「でもだったら今までにも十分チャンスはあったんじゃない?どうして手を下さなかったの?」
「今はまだその必要はない。それに」
ん?とデメトリオが顔をあげる。
「ただ殺すには、惜しい」
ニヤリと笑って発せられるその台詞に、デメトリオはわざとらしく腕をさすった。
「おー、こわ。じゃあこれまで見逃してきたってことは殺すよりも利用価値があるってわけか。だから生かしてる」
「‥‥‥さあな」
「ま、僕としては彼女が王女じゃないことを祈っているよ。あんなに無垢で優しそうな女の子が兄さんの手にかかるなんて、想像したくないからね」
白々しい台詞に、ヴィルフレードの目が僅かに見開く。
「ほう、ずいぶん優しいんだな」
「兄さんと違って、一応は人目を気にするから」
ヴィルフレードはふんと鼻で笑った。
「バカバカしい。形だけだろう」
「形が大事なんだよ。でも。ペルトサーリ子爵令嬢‥‥か。いいねぇ。利用価値、高そう。手の内に入れておきますか」
デメトリオが眼下で踊るリリアを見ながら口端をあげた。
「‥‥お前の方がよっぽど悪辣だな」
「善人じゃ国は守れないからね」
「全くだ」
ヴィルフレードはまた視線を彼女に戻した。
うわあ、怖い。皇太子、怖い。第二皇子、怖い。
大丈夫かな?大丈夫かな?
‥‥大丈夫です!