【31】昼食
トリスタンと入れ替わるようにノックが聞こえ、侍従が入ってきた。
「殿下、昼食の用意が整いました」
最初の仕事だ。リリアは素早く顔をあげる。
彼は、うん大丈夫。侍従のゼノール様だ。
リリアはその男性の顔を確認すると、しっかりと頷いた。
ゼノールもその仕事ぶりに納得したように頷き返す。
「彼女の分も用意してくれ」
ヴィルフレードが顔も上げずに指示を出した。
え?私もここで食べるの?
「かしこまりました」
驚くリリアを尻目に、手慣れた様子で殿下と同じチキンのサンドイッチがリリアの机にも用意された。
チラリと伺い見れば、ヴィルフレードは書類から目を離すことなくすでにサンドイッチを口に入れている。
この状況で、食べないわけには‥‥。いかないわよねぇ。
だけどこのサンドイッチ。
‥‥チキンが大きすぎるんですけど?
どうやって食べればいいの!?
分厚過ぎて食べづらいそのサンドイッチにとりあえず齧り付く。
しかし日頃大口を開けて食べる習慣のないリリアにはかなり難儀な作業だった。
しかも、量が多い。
必死で齧りながら盗み見れば、彼は平然とそれを食べていた。
ふっと彼と目が合う。
「なんだ。食べづらいのか?」
まごつくリリアの様子を察した彼は席を立つと、小さなナイフを取り出した。
食べやすく切ってくれようとしているのかしら。意外と気が付くタイプなのね。
なんて見ていたら。
彼は真っ二つに切ると、満足げに微笑んだ。
「ほら、これで食べられるだろう」
リリアは呆然と見つめる。
いや。縦に半分にされても厚みは全く変わりませんが!?
さっきの感動を返して欲しい。
入口近くで控えていたゼノールが耐えかねたように笑いだし、すっと歩み寄ってきてくれた。
「殿下。それでは女性の口では食べづらいままですよ。こうすれば」
ゼノールは器用にチキンを薄くスライスし、分厚いサンドイッチを二つのオープンサンドのように切り分けてくれる。
「おー!」
リリアは思わず感嘆の声をあげ、小さく拍手をした。
素晴らしい!自分もいつか侍女に戻ったらこれぐらい使える人間になりたい。
「食べやすそうです!」
満面の笑みで礼を言うと、ゼノールは照れたようにはにかんだ。
「いえ。明日からはもう少し小さなものを準備しますね」
「ありがとうございます」
再度礼を言ってオープンサンドとなったそれに手を伸ばす。
「女と言うものは不便なんだな」
その声に顔をあげると、目の前の真っ赤な瞳がなんだか拗ねたように窄められていた。
いや、あの切り方はないでしょう。
そう思うけれど。
その方向違いの心遣いが彼の不器用さを現しているようで。
戸惑いつつも何故だか心が温かくなって、頬を緩めながらサンドイッチを口に入れた。
うん。
‥‥肉肉しい。
その表情を読み取ったかのようにゼノールが声をかけた。
「殿下は鶏肉が大きければ大きいほど喜ばれるので自然とこのサイズになってしまいまして」
大きければ大きいほど‥‥。
その単純さに呆れて殿下を見れば、やはりまたふいっと視線を逸らされてしまう。
「明日は野菜サンドなども準備しますね」
心遣いはありがたいが、自分の為だけに手を煩わせるのは忍びない。
「お手を煩わせるほどのことはございません。食堂で食べることもできますので」
「それは時間の無駄だな」
またもやヴィルフレードに遮られてしまった。
「明日は彼女にはもう少し小さなものを用意するように」
どうやら食堂でのランチの日々はもう戻ってこないらしい。
遠い目をしながら無心に頬張るが、案の定というか、半分もしないうちにお腹いっぱいになってしまった。そもそも多すぎるのだ。諦めて白旗をあげ、ふう、と静かに紅茶をすする。
‥‥生き返る。
「‥‥どこか、具合でも悪いのか?」
え?
ヴィルフレードに声をかけられ、驚いたように顔をあげた。
「いえ、体調には全く問題ありませんが?」
ヴィルフレードはわかりやすく眉をよせた。
「ずいぶん残しているようだが」
そりゃこんなに食べられないでしょう!
「‥‥申し訳ありません。かなり量が多かったので」
「そうか。明日から量も減らすとしよう」
「助かります」
‥‥これから毎日これなのか。
やっぱりきついかも。
やばい。胃痛がしてきた。
昼食を終えるとリリアは気持ちを切り替えるように席を立った。
「仮眠室の書類を整理してきます。中に入りますね」
一応皇太子殿下のプライベートスペースでもあるので一声かけてから奥の部屋に入る。
と、後ろから声がかかった。
「ああ、そこの角に積んである釣書、全部燃やしておいてくれ」
「は?」
思わず間の抜けた声をあげてしまう。
部屋の一区画に最も雑に置かれたその山は、令嬢達からの釣り書きだった。
「‥‥あの。開封した様子もありませんが?」
「時間の無駄だからな」
「全部捨ててしまってよろしいのでしょうか。必要なものがあれば」
「いらん」
あまりにもデメトリオ殿下と同じ言動に、リリアは笑いそうになってしまった。それを何と勘違いしたのか、ヴィルフレードが更に続ける。
「そんなクソみたいな縁談、害になるだけだからな」
やっぱり同じだ。
「‥‥なんだ?」
にやけ顔が止まらないリリアに、ヴィルフレードが訝しげに尋ねる。
「いえ、兄弟だなぁと思って」
思わず口に出してしまった。
「は?」
「本当に、お二人はよく似ていらっしゃる」
うっかり微笑んでしまう。
「‥‥誰と?」
「誰って、デメトリオ殿下に決まっているじゃないですか。他に御兄弟がいらっしゃるんですか?」
昼食時の会話から幾分か気を許してしまったのかもしれない。リリアは気安く返してしまった。
「‥‥似てるなど、言われたことはないな」
黒髪の隙間から燃えるような瞳が睨みつけてきた。
あ。怒らせてしまったかもしれない。
「申し訳ありません」
リリアはとっさに謝った。
「この髪を見て、何故そのようなことを思うのか。疑問だ」
「髪、ですか」
リリアはまじまじと見つめた。ヴィルフレードは忌まわしそうに漆黒の髪をつまみ上げる。
「あの。髪が、なにか?」
思わず疑問形になってしまった。だってリリアが言いたかったのは容姿とかそんなことではない。二人の言動が全く同じなのだ。
‥‥今更そんな話が出来る雰囲気ではないが。
「だから、似てないと言っているだろう」
そっくりな言動をしながら何故か似てないと言い張るヴィルフレードがだんだん可愛く見えてきてしまった。
笑いまでこみ上げてきて堪えきれない。
ダメだ。ここで笑ったりしたらどれだけ怒られるか。
笑ってはいけない、のに‥‥。
リリアは口元を必死で抑えたが、肩が微妙に震えてしまった。
‥‥どうしても。笑いが止まらない。
「‥‥何がおかしい」
あ、まずい。バレてしまった。
あれ?でもいいんじゃない?
それでこの部屋を追い出されたら、万々歳かもしれない。
リリアは開き直って微笑んだ。
「いえ。確かに髪の色は違いましたね」
「は?」
「髪と眼の色だけですけどね」
「‥‥だけ、ですむ話ではないだろう」
ヴィルフレードがぼそりと呟いた。
「其方も怖れを抱いているのではないか。この髪と眼の色に」
髪と眼の色‥‥。
そう言われ、リリアは改めてヴィルフレードをまじまじと見た。
日頃、存在自体が恐怖ということもあり、それほど注意してみたことはなかった。
しかしなるほど。この国ではほとんどお目にかからない黒髪に赤い眼。特に黒髪は、王妃の不貞を疑われることすらないほど周囲にも見かけない色だった。
遠い昔、王族でちらほら発現した髪色だと聞く。
強く恐ろしいイメージをもたらす色なのだとは知っている。
「殿下はご自分の色がお嫌いなのですか?」
ずいぶん気安く話してしまった。
「嫌いでは、ない。ただ皆が怖がっていることには気づいている」
ふーむ。リリアはどう答えるべきか思案した。
髪の色で悩むと言ったらリリアの方が数倍は悩む。なんせこの髪色のおかげで王女であることを隠すのがとても大変だったのだから。そんなこと口が裂けても言えないが。
「まあ私も、珍しくて冷たいイメージのある銀の髪や青紫の瞳じゃなく、優しい榛色の髪やヘーゼルの瞳に憧れたこともありましたが」
ヴィルフレードの目が僅かに見開いた。
「好みは人それぞれ、ですから。少なくとも私は、その髪が恐ろしいと思ったことはありません」
だって存在自体が恐ろしいですからね、と心の中で付け足す。
「‥‥つまらぬことを言った」
どうやらこの話題はここで打ち切りらしい。
ホッと胸を撫でおろし、リリアは空気を変えるべく、敢えて元気な声を出した。
「とにかく、これ全部燃やしちゃっていいんですね!そうと決まれば、ぱあっとやっちゃいましょう!」
そうすれば少なくともこの一角だけでもすっきりする。
リリアは勇んでその束を抱え上げた。
ヴィルフレードは半ば呆れたように微笑んだ。
「楽しそうだな」
「こういう、思い切りのいいことは好きなんです。じゃ、早速運びますね」
「あ、私も手伝います」
ゼノールに手伝ってもらい、リリアは意気揚々と部屋を出た。
***
似てる、だと?
この俺とデメトリオが?
ヴィルフレードは混乱していた。
この髪色が恐れられ忌み嫌われているのは知っている。このルビーのような瞳だって、皇帝と一緒だから誰も何も言わないが、畏怖の対象となっているのは明らかだ。
母上でさえ、明らかに俺から距離を取っている。
似ているなど言われたことはない。
なのに。
‥‥理解できない。
けれど何故か、彼女の無邪気な笑顔が頭から離れなかった。
早くも気安くなってきました。
リリアちゃんの人たらしたる所以です。




