【10】休日
リリア達侍女には約十日に一日、休みが与えられる。
休みの日には、リリアは街に出ることが多かった。
長閑な子爵領も好きだったが、雑多で賑やかな帝都の雰囲気もこれはこれで楽しくて刺激が多い。
侍女としてある程度の給料は貰えたし、子爵家への仕送りは不要だと言われている。しかも親切すぎる両親は、なにくれと必要なものを送ってくれるため、自力で購入しなければいけないものは特にない。
そんなわけで少しだけゆとりのある懐に楽しむ程度の小遣いを入れ、子爵領では見かけない不思議な商品が並ぶお店や怪しい骨董の食器を売る露店など、にぎやかで大きな帝都を歩いて回るのはよい息抜きになっていた。
特に今日は領地から義兄が来る日。リリアはこの日に合わせて休みをとっていた。
城門まで迎えに来ると言ってきかない義兄を抑え、待ち合わせとしたレストランに足を伸ばす。
そこにはすでに義兄アルーニが席に座り、満面の笑みでリリアを出迎えてくれた。
「お義兄さま!」
リリアも小走りで駆け寄った。
「お待たせしてしまいましたか?」
「何、楽しみ過ぎて早く来すぎてしまっただけだよ」
リリアを向かいの席に座るよう促してくれる。
「ここはリリアの好きなグラタンが有名だと聞いてね。是非食べさせてあげたいと思ったんだ。城ではちゃんと食べれてるかい?」
「お義兄さま。私、グラタンばかり食べているわけじゃありませんわよ」
子ども扱いされ、リリアは頬を染めて抗議する。
「でも、お城では私達侍女や文官の方々向けの食堂があって、その日のメニューから好きなものを選べるんです。グラタンがある日はそれを頼むことが多いので、結構食べているかも」
「楽しめているならよかった」
アルーニは安心した様に微笑んだ。
自由に育ててもらったと自負するリリアだが、アングラードでは王女らしく毒味係が存在していた。毒の有無を確認され冷めきった料理では、グラタンの良さは半減してしまう。
子爵家で初めて熱々のグラタンを食べた時、その美味しさにリリアはすっかり虜になってしまった。
ふうふうしながら一生懸命食べるリリアの様子にすっかり骨抜きになったこの優しい義兄が、ことあるごとにグラタンをふるまってくれたのも懐かしい記憶だった。
‥‥今でもふるまってくれているのだから、現在進行形なのだが。
席に着いたリリアはアルーニに額を寄せ、声を潜めて領地とアングラードの天気の予測を伝える。
手紙など証拠の残るものは渡さない。
休みの日に外出する時、リリアには監視がつけられているのに気づいていた。
城の中ではさすがに感じないが、やはり何かしら疑われているのだと思う。
だから行動は慎重に慎重を重ねた。
リリアには天気が読めるという能力しかない。天気を変えられるわけではないのだ。
アングラードは温暖で作物が育ちやすいが一部海にも面しているため天気が荒れることも多い。
リリアのおかげで大きな難は逃れているのだが、事前に予知できるのにそれを防ぐ力も何もないことに歯がゆい思いをしていた。
せめて被害を最小限にとどめるべく、対策を立てられるよう早め早めに情報を流していたのだ。
「アングラードにはやっぱり今年も嵐はくるのか。しかも時期が早いね。麦の刈り入れ間に合うかな」
アルーニが厳しい顔をする。
「刈り入れ後の麦も、厳重に管理が必要です。今年の嵐は大きいとお伝えください」
「わかった。反対にうちの領地はやや水不足、か‥‥」
「はい」
義兄のため息に、リリアは眉を下げた。
「アングラードの雨をペルトサーリ領に持っていけるといいのに」
「それはもはや神の領域だね。大丈夫。すでにリリアに言われた通り、この春の芋の作付けを二倍以上にしてあるから」
アルーニは安心させるように笑った。
「豆の植え付け量も多くできますか?」
「そんなに雨不足になるの?」
アルーニの驚きに、リリアはさらに声を落とした。
「まあ保険、も兼ねていますが…。それに余裕が出来れば、同じく不作になる周辺の領地に売ることもできるかと」
「確かに。豆なら休耕地でも作れるしな。種を与えて余力のある領民に奨励しようか」
「お願いします。秋植えの芋の種付け準備も多めに」
「わかった」
話が区切れたタイミングで料理が運ばれてきた。
熱々のグラタンと冷たい氷の入ったアイスティ。帝都ならではの贅沢な取り合わせだと悦に入る。
「さて、リリア。今日はここからが本題だ」
義兄が茶目っ気たっぷりにウィンクをする。
「‥‥?何かありました?」
首を傾げるリリアに、義兄は自慢げにふんぞり返った。
「なんと!クリスがお兄ちゃんになる!」
「まあ!!」
これにはリリアも声をあげて喜んだ。
「ようやく安定期に入ったからね、リリアにも伝えたくて」
「素敵。クリスも喜んでいるでしょうね」
「ああ。妹がいいってもう毎日大騒ぎだよ」
「ふふ。男の子でも女の子でも、元気に産まれてくれることが一番です」
二人とも微笑みが止まらない。
「本当に。父さんが早く僕に爵位を譲ってのんびり隠居したいって零してるけど、もう少し頑張ってもらわないとね」
「そうね。しっかりお義姉さまをサポートしてあげてくださいね」
美味しい料理に優しい義兄。リリアは久しぶりに心落ち着く幸せな時間を堪能した。
「商会の会頭と会う約束をしているからもう行かなきゃいけないけど」
食後の紅茶を飲み終えたころ、アルーニが名残惜しそうに立ち上がった。
「お忙しいのにお時間を取っていただいてありがとうございます」
「こちらこそ。会えて嬉しいよ。子供が生まれる頃、リリアも一度領地に帰ってこられるといいね」
「是非、赤ちゃんに会いに帰りますね。プレゼントは何がいいかしら。帝都で流行りのぬいぐるみとか、調べておかないと」
「リリアさえ元気で帰ってきてくれれば十分。楽しみに待ってるよ」
軽く手を振りながら馬車に乗る義兄を見送った後、リリアは幸せに胸を押さえて小さく息を吐いた。
まだ日は高く、時間はある。
ぶらぶらとウインドウショッピングをし、イルマに頼まれた便箋と髪を結ぶ可愛らしいリボン、それにハンカチを一枚購入して街の外れに足を延ばす。
リリアが向かったのは、街の中心から少しだけ外れた、小高い丘の公園だった。
恋人のデートスポットとしても有名なその公園からは帝都が一望できる。
夕暮れの街並みを見下ろしながら、木製の簡易なベンチに腰掛けた。
目を閉じ吹く風に身を委ねる。
この丘には、夕方、東からの風が吹いてくる。
遠く遠く離れた故郷、東の国アングラード。
その風がここまで届くとは思えないけれど、東からの風はリリアを心地よく包んだ。
それからおもむろに、義兄からもらった焼き菓子を取り出した。
クルミを入れ固めに焼き上げたこのクッキーは、ペルトサーリ領でよく食べられる伝統菓子。
義母も義姉も料理はほとんどしないが、これだけは上手に焼いてくれた。
懐かしい祖国を思いながら、二つ目の故郷の味を噛み締める。
本当はアングラードのお菓子であるシュガードーナッツを食べたいのだけれど、監視にアングラードと結びつく様子は見せたくなかった。
ポットのお茶と小さなクッキー。
それが今のリリアにとっての至福の時間だった。
***
ヴィルフレードはリリアの一日の行動について報告を受けていた。
「領地から出てきた兄と会っていたのか。何を話していた?」
影は跪いて伝える。
「一部は聞き取れませんでしたが、子爵令息に子供が出来たことや、子爵が爵位を譲りたがっているがまだ受ける気がないなどの会話が主なものでした」
「ふむ」
よくある家族の会話だなとヴィルフレードは切り捨てる。
「他には?」
「はい。子爵令息と別れた後は街をぶらついて、便箋とリボン、ハンカチを購入していました。それから最後に、東の丘の公園に足を伸ばしました」
ヴィルフレードの眉がぴくりと上がる。
「公園?そこで誰かと会っていたのか?」
「いえ。終始一人でした」
一人で。ヴィルフレードは考え込んだ。
「一人で何をしていたのだ」
「特に何も‥‥。ただベンチに座って子爵令息からもらった焼き菓子を食べていました」
ただベンチに座って一人で菓子を食べる?
「その行動になにか暗号や意味があると思うか?」
その問いかけに影は困ったように狼狽えた。
「いえ‥‥。ただ、景色のいい場所ではありますので、帝都の街並みを楽しんでいただけかと」
「そうか」
ヴィルフレードは黙り込み、そのまましばしの沈黙が流れた。
怪しい動きも警戒する部分も見当たらない。今回も特に収穫はなし、か。
ふうと小さく息を吐く。
「ご苦労であった。下がってよい。また次の休日には尾行してくれ」
「御意」
シュッと消えていく影を、ヴィルフレードは何の表情もなく見送った。
うわ。皇太子怖い。
こわーい。
この後、何か起こります。
‥‥多分。




