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反出生主義と優生思想

作者: 無名

まず、前置きに。多岐に分類化できる反出生主義の中で、私は一国家、一社会、一家族に焦点を当て持論を投稿する。

反出生主義者の共通点は「生活的ストレス」「家族への不満」だろう。誰しもが反出生主義者になりうる。この考えの命題は明らかで、少子高齢化と因縁がある。当然ながら子供が産まれなければ、産まなければ人口は増えず、老人が増えていく。反出生主義の課題は生きている(生まれてしまった)自分に襲いかかるのだ。老後年金問題や労働課税問題は若年層が少ないほど発展し、難解になっていく。反出生主義は一見して矛盾を抱えている。しかし反出生主義者(以下彼ら)にはそれを凌駕する苦悩がある。

まず親類に「望まれない子供」という扱い、評価を受けた人間。彼らがこの思想に至るのは当然で、この世は地獄であるという怨嗟があるためだ。虐待や複雑な家庭環境におかれて「忌子」同一の扱いを受けた人間が人間社会に新たな命を産み落とすことを礼賛するワケがない。ここでこの問題に優生思想が絡む。

健康で文化的な最低限の生活品質は最終的には国が保証するのではなく、直接生活に関わる人々に保証してもらう。子供の生活品質の問題は児童相談所では扱いきれる範疇にない。親による隠蔽は子供が破るには困難であると素人の私でも理解できる。ゆえ、子供を最低限育てられる水準の家庭環境が必要であり、それを形成出来ない人間に子供を産む権利がないという思想は的を射ていると言える。

しかしこの論には抜け落ちている箇所がある。そもそも国家が社会によって恵まれない人々を作っているということ。優生思想を語るなら国家を是正しなければ弱者を虐めているにすぎないことになる。ただ、この格差社会において優生思想と反出生主義が生まれないハズはなく、この問題は資本主義の問題と言えるだろう。

子供を産むにはプロセスがある。保健体育で習うことゆえ省略するが、この段階性の中途でなるべく子供を産まないようにする道具(避妊具、避妊薬)はある。優生思想を語られる前に、まず自己と相手が人間を育てることができるか否かを深く考える必要がある。その場の感情で人間を産んでしまうのはあまりにも軽率である。この考えは私も彼らも同じではあるまいか。

しかし私見を言わせて貰えば、子供は望んで生まれるべきであるし、子供が絶望してしまう国家は是正すべきである。「産まなきゃよかった」「望んでない」などと抜かす親は人外だ。だが中には、経済的困窮を抱えているがどうしても子供を可愛がりたいと願う人もいるだろう。少子高齢化を叫ぶメディアと比例的に少子化を願う人々が生まれてしまうメカニズムは突き詰めれば政策(保証、サービス)にある。特に日本は生まれた子供の数が多い家庭へのサービスがほぼないに等しい。彼らの矛先は政治家へ向けられるのも時間の問題だろう。最も糾弾されるべきは財界人と政治家であるからだ。

子ガチャ、親ガチャというやや差別的用語を生んだのも反出生主義だ。子ガチャを主張する人間の言い分は全く理解できない暴論だが、親ガチャはあると考えている。生まれる前の記憶がないことを利用し、自らを正当化する子ガチャ論派とは違う。子供が生まれる場所を選ぶ・選ばない関係なく、暴君が一人残らず死滅すればガチャなどなくなる。当然暴君を生み出す政治も打破しなければならない。

望む生なくして発展なし。子供が「生まれてよかった」「産んでくれてありがとう」と言える国家でなければ、文化的発展・技術的向上はないだろう。

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