後編
「……そもそも兄さんもあの女の被害者みたいなものだったしね。簡単に黒魔術にかかったのは迂闊で、一国の王子――――それも、次代の王の第一候補としては間違いなく失格だったけど、罪そのものはそれほど重くなかったんだよ。まあ、僕の迷惑料や彼女の精神的苦痛とそれに伴う公爵家の怒りを鎮めるために、あえて重罪にしたんだけど。……それでも北の砦での強制労働十年が精一杯。これ以上刑期を延ばしたら、法治国家としての基盤が揺らいでしまうからね」
――――それは……そうなのだろうか?
感情的には違うと言いたいが、冷静に考えればそうなのかもしれないと思えてくる。
「……そんな話聞いてない」
呆然と呟く元婚約者に、国王は「そうだった?」と首を捻った。
「きっと誰も、兄さんが北の砦で十年も生き延びるとは思っていなかったんじゃないかな? 言っても言わなくても同じだと思ったんだよ。……まあ、兄さんだって、下手に十年頑張れば解放されるなんて希望を持たされても、辛いだけだったかもしれないし……親切心で言わなかった可能性も、ワンチャンあるかな?」
ワンチャンとはなんだろう?
「釈放おめでとう」と言って笑う国王の笑顔は、言っている内容に比べあまりにも軽い。
「もう兄さんが北の砦に行っても居場所なんてないんだからね。あ、もちろん王宮に帰ってこようとしてもダメだよ。国王の兄なんていう政争の具にしかなりえない存在を受け入れられるほど、僕は寛大な王じゃないから。……兄さんが身を寄せられるような場所なんて、ここぐらいじゃないのかな? そもそも、他のどこに行ったとしても、僕が気に入らないから断固阻止するし」
――――やはり、腹黒な暴君である。
「陛下っ――――」
たまらず抗議の声を上げようとした私だが、国王から思いも寄らぬ真剣な目を向けられて、口を閉じた。
「…………君も、そろそろ自分を許してあげてもいいんじゃないのかな?」
「え?」
彼は、いったいなにを言おうとしているのだろう。
「もう十年だよ。……君はとっくに兄さんを許している。君が怒って許せないのは、兄さんじゃなくて君自身だ。――――みすみすあの女を兄さんに近づけて、兄さんを守れずに、でも兄さんの罪を許せないで罰してしまった――――そんな君自身に、君は腹を立てている。……違うかな?」
「違うわ!」
私は間髪を容れずに、国王の言葉を否定した。
そんなことは、あり得ない!
私は、そんな殊勝な女じゃない!
「そう? だったらまあ、それでもいいよ。どうであれ僕の対応は変わらないからね」
そう言うと、国王はスッと気配を変えた。思わず背を正してしまうような威厳を纏う。
「――――侯爵、国王として君に命じる。刑期を終えた我が兄が、恙なく王族として復帰できるように全力で支援せよ。具体的には、衣食住の提供と現在の政治情勢の情報供与。特に貴族の勢力図については念入りに伝えて欲しい。外交関係も抜かりなく。……将来的には、兄さんには僕の宰相になってほしいからね」
威圧を乗せて命令してくるのは、反則だ。
普段おちゃらけているくせに、こんなときの国王には、思わずひれ伏してしまうような威厳がある。
「宰相なんて……私には無理だ!」
萎縮し声も出せない私と違い、元婚約者は真っ向から国王に反論した。
この事実だけでも、彼が王に成り得る人物だったのだと実感してしまう。
国王は、嬉しそうに笑った。
「無理じゃないよ。兄さんは王になるための努力をしてきた人なんだから。……控えだった僕が国王なんてやっているんだ。いくら十年のブランクがあっても宰相くらい余裕だよ。……まあ、いろいろうるさい外野を全部黙らせてからになるけどね」
「しかし――――」
「反論は聞かないよ。まさか僕の命令に背くつもりじゃないよね? ……侯爵も?」
国王に睨まれて、私は慌てて首を横に振る。
「背くつもりはありません。でも――――」
「彼女に、迷惑をかけるわけにはいかない!」
私の言葉を遮ったのは、元婚約者だった。
国王は、鼻で笑う。
「迷惑だなんて、兄さんは彼女の優秀さを知らないのかな? この程度のこと、彼女には朝飯前だよ」
能力を買ってくれるのは嬉しいが、今ばかりは不要だ。
「彼女が素晴らしい人だということくらい、よく知っている。ただ、私は彼女を裏切った最低最悪の男なんだ。こんな私のために、彼女の貴重な時間を使ってほしくない!」
元婚約者は大きな声でそう叫んだ。
まさか、彼が私をそんな風に思っていたなんて知らなかった。
今まで一度たりとも『素晴らしい』なんて、言われたことはないのに。
むしろ――――。
「十年前は『頭でっかちで可愛げのない女』と、よく言われていたような……」
思わず声が漏れた。
私の声を聞いた元婚約者は、顔色を青ざめさせる。
「そ、それは、違うんだ! ……いや、たしかにそんなことを言ってしまった記憶はあるのだが……すまない! あの時の私は、私じゃなくて! ……その、聖女に会った後からの私は、普通に物事が考えられなくて――――」
おろおろと言い訳する姿は……情けない!
まあ、急に私への態度が変わった原因が聖女の黒魔術だったことは、その後の調査でわかってはいるのだが。
「はぁ~、やっぱり兄さんは彼女に接足作礼するべきだよ」
心底呆れたといったふうに肩を竦めたのは、国王だった。
「黒魔術の魅了は、術にかかった相手に好きな人がいた場合、その人を愛していれば愛しているほど、反発するようになるそうだけど……それにしたって、その台詞はあり得ない。兄さんは、彼女の靴を舐めるぐらいの覚悟で誠心誠意謝らなきゃダメだ。命令には絶対服従で、無償奉仕すること。……彼女から許してもらえないうちは、傍を離れないように」
こんこんと言い聞かせる国王。
しかし、私はそんなこと望んでいない!
「ちょっと待っ――――」
慌てて止めようとした言葉は途中で遮られた。
「君も! ……いい機会なんだから、この際兄さんへの不平不満を思いっきりぶつけたらいいんじゃないかな? 文句でも恨み言でも思う存分怒鳴り散らして、奴隷みたいに扱き使ってやればいい。……まずは、うんと高いハイヒールの踵で、グリグリと足を踏みにじるのはどうかな? あ、もちろん兄さんの靴は脱がせてからね。……僕の一番のお薦めだよ」
いい笑顔でなにを言っているのだろうか?
(だいたいお薦めってなに? ひょっとしてやったことがあるの? ……まさか、自分でハイヒールを履いて)
想像したら怖くなったので、途中で止めた。
「あ、もちろん同時進行で兄さんへの教育も抜かりなくやってね。君ならできるって信じているよ」
なんだかんだ言いつつ、国王は自分の命令を押しつけるつもりだ。
「陛下っ!」
「国王命令だよ? ……逆らうんなら、それ相応の覚悟を持ってね」
ニッコリと言い渡してくる姿が、不穏すぎる。
勝てる気がまったくしないのは、どうしてだろう。
――――結局、国王は一方的な命令を言い置いて帰って行った。
もちろん元婚約者を残したままで。
最後の最後で「跡継ぎもよろしく!」などと言っていたが、聞こえなかったことにしよう。
「すまない! 私は今すぐ出て行くから心配しないでくれ。……陛下は、私が責任持って説得する。君にはどんな咎も及ばないようにするよ」
元婚約者は、頭を深々と下げると出て行こうとした。
「どうやって? あなたが陛下に言うことを聞かせられるのですか?」
しかし、私の質問を聞いてギクリと固まる。
今の彼と国王の力関係を考えれば、どうやったって不可能だ。
「それは、なんとかする…………私の命をかけてでも」
「あなたの命に、そんな価値はありません」
ズバッと指摘してやれば、元婚約者は項垂れた。
「そ、それはそうなのだが――――」
私は、深いため息をつく。
「……もういいです。部屋を用意するので、あなたはそこに滞在してください。今後の生活に必要と思われるものは、こちらですべて揃えます。不足があれば、申し出ていただければ検討しましょう。生活や教育のスケジュールは、落ち着いてからの相談でいいですね?」
「いや、君にそんな迷惑をかけるわけには――――」
「陛下のご命令です。私は臣下として従うだけです」
冷たく告げれば、元婚約者は、黙り込んだ。なにかを言いたそうに口を開くのだが、声に出せずに口を閉じるを繰り返す。
私は、クルリと背を向けた。
「部屋の手配をしてきます」
これ以上話をしても無駄だろう。
数歩歩いたところで、背中から声がかかった。
「――――君は、それでいいのかい?」
いいも悪いも国王命令だと言っているのに、わからない人である。
ただ、彼が聞きたいのがそんなことではないのは、わかっていた。だから、そのまま進んで扉に手を掛けてから振り返った。
「愚痴と恨み言には、つき合ってもらいますから」
彼は、虚を衝かれたように目を見開く。
次いで、大きく頷いた。
「……っ、あ、ああ、もちろん」
「教育は、スパルタでいきますから、覚悟してください。あと、私は時々ヒステリーを起こして物を投げつけるかもしれません」
「……わかった。できるだけ避けないようにするし、踏まれても蹴られても文句は言わない。……ただ、ハイヒールは、少し低めにしてもらえると嬉しいかな」
「踏みませんよ!」
「…………そ、そうか」
人をなんだと思っているのだ。
あと、微妙に残念そうなのは、どうしてだ?
(まさか、北の砦で虐げられている間に被虐趣味になっていたりしないわよね?)
なんだか不安になってきた。
ともあれ、どうあっても国王の命令には逆らえないのだ。であれば、少しでも自分の心が晴れるようにした方がいいに決まっている。
十年間、たまりにたまった鬱憤を、思う存分ぶつけてやろう。
(……まだ、そんなにスッパリと意識を切り替えられないけれど)
元婚約者への恨みは消えていない。
思い出せば、胸は苦しくなるし、涙もこみ上げる。
なにより、私はまだ彼を愛しているのだ。複雑怪奇に捻れた心が、そんなに簡単にほどけるはずもなかった。
――――それでも、今日からの日々は、昨日までのものとは少しずつ変わっていくはずで。
そんな風に思っていれば、私の視線の先で、元婚約者が泣きそうな顔で笑っていた。
「……なにを笑っているの?」
「ごめん。……ただ、君が私の前にいるのが嬉しくて。不快な思いをさせているのに、私は……幸せだなと思って」
頬がカッと熱くなる。
急いで部屋を出た。
やっぱり、追い出そうかと思う。
――――この夜、私の夢はいつもと違った。
「誓います!」
大きく叫んだ自分の声で夢から覚めた私は、その後朝までベッドの上で悶えることになった。
叶わぬ結婚を夢見るお話を書きたくなり、発作的にできたお話です。
叶わぬ夢→ハッピーエンドにしたかった!
…………まあ、まだハッピーエンドかは未定でしょうか?
この後、紆余曲折ありそうなふたりです。
あと、余計な情報ですが、弟くんは北の砦でお兄ちゃんが死なないようにいろいろ暗躍していた模様。
一番腹黒なのは、間違いなく弟くんです。
おつき合いいただき、ありがとうございました!