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中編

 そんな私に予期せぬ訪問者が現れたのは、その日の午後のこと。


「やあ、久しぶり。元気かい?」


 訪問者はふたり。ひとりは、いまや国王となった第二王子で、もうひとりは見覚えのない痩身の騎士だ。国王の護衛としては質素な身なりをしている。


 国王の訪問など、嫌な予感しかしない。


「……陛下のご来臨の栄に浴し、光栄に存じます」


「ああ、そういうのいいから。もっと砕けた感じで話して。……今日は、お願いがあってきたからさ」


 頭を下げた私を、片手でひらひらと止めた国王は、人好きのする笑みを浮かべた。

 悪寒が背中を駆け上がる。


「お願いですか?」


「うん。――――実は、君に彼の子どもを産んでほしくてね」


 一切笑みを崩さずに、国王はそう(のたま)った。書類仕事しかしない白く長い王の指が、『彼』と言って背後に立つ騎士を指している。


 あまりの台詞に、私は一瞬言葉を失った。


「……………その方の、子どもですか?」


「そうだよ。かまわないだろう? だって、君は彼を好きだったし」


 ――――私が、この騎士を?

 いったいなにを言っているのだろう。好きもなにも、騎士とは初対面だ。


(…………………初対面よね?)


 居心地悪そうな騎士を、私はジッと見る。


 眉間にしわを寄せ国王を恨めしげに睨む彼の瞳は、青だ。髪は短く刈り上げられているが、おそらく金髪。陽にさらされたのか、かなり痛んで白茶けている。

 背は高い。痩せてはいるが、肩も腕もしっかりと筋肉がついていて、彼が実戦で鍛え上げられた騎士であることがよくわかる。




「私に、こんな立派な騎士さまの知り合いはいませんが?」


「そうかな? ……よく見て」


 私に立派と言われた騎士は、動揺したように身じろぎした。

 国王は、上機嫌で笑う。


 仕方なく、私はもう一度騎士に目を向けた。


 彼の顔は……整っている。唇はガサガサだし、皮膚も荒れているが、鼻筋がスッと通っていて、左右対称なのは評価が高いところだ。緊張しているのか強ばっている表情がもしも緩んだら、かなり甘いマスクになるだろう。短すぎる髪を伸ばせばなおさらのこと。


 その姿を想像して…………私は、ヒッ! と声を呑む。


 だって、おかしい。私の知っている青い瞳は、こんなに鋭くなかった。肌は白く透きとおって滑らかで、唇だっていつも潤っていたものだ。豪華な金髪を腰まで伸ばし、背中で三つ編みにした姿は、非の打ち所の無い貴公子で、間違ってもこんなたたき上げの戦士みたいな雰囲気なんて持ってない。



 なのに……それなのに…………。


「まさか……あなたなの?」


「…………久しぶりです」


 騎士は、十年前に私が見ていた笑顔とは似ても似つかないぎこちない表情で、そう言った。


 とても信じられないのに、わかる。……わかってしまう。

 この男は、私を裏切った元婚約者だ。

 言葉もなく目を瞠る私を気にかける様子もなく、国王は話を続けた。


「――――実は、最近国内に世継ぎの誕生を望む声が大きくなってきてね。国政が安定したせいだと思うけど、まったく嫌になっちゃうよ。君も知っての通り僕は女性を愛するつもりはないからね。適当に王家の血筋から優秀な子を養子に迎えるつもりだったんだけど……これがなかなか難しいんだ。あちらを立てればこちらが立たず。まったく貴族って奴は、やれこれまでの慣習だの派閥の均衡だの、うるさいったらないよね。ほとほと困って、みんなまとめて失脚させてやろうかとも思ったんだけど……そういえば、兄さんがまだ生きていたなって思い出したんだ」


 以前、私にお飾り王妃にならないかと言ってきた国王には、現在正妃と二人の側妃がいる。三人とも妃業務をこなすだけのビジネスライクの妻で、当然国王とは性的な接触は欠片もないそうだ。


「君がお飾り王妃になってくれれば、三人も妃を持つ必要はなかったんだけどね。……まったく三人がかりで君ひとり分の仕事しかできないんだから、困ったもんだよ」


 心底呆れたというように、三人の妃を蔑んだ目で見ていた国王が、たとえ国のためであっても彼女らを抱くとは思えない。


 ちなみに王の愛人の座には、かつての騎士団長の息子が座っている。『推し』といるときの国王は、傍目にも機嫌がよいことが丸わかりだ。周囲が平穏なので、どうかそのまま末永くふたりでいてほしい。――――閑話休題。


 騎士の正体に衝撃を受けた私が、話についていけず思考を飛ばしている間にも、国王は喋り続けていた。


「兄さんの子どもなら、僕の養子にするのに不足ないだろう? 親に罪はあっても子に罪はないからね。だから早速兄さんに、適当な女性と子作りしてって頼んだのさ。なのに、兄さんったら君以外の女性を愛するつもりはないとか言いだしちゃって。……まったく図々しいったらないよね。でも、背に腹はかえられない。君には悪いけど、兄さんの子を産んでくれないかな?」


 軽い口調の言葉は、悪いなんて欠片も思っていなさそう。

 衝撃から立ち直れない私に代わり、国王を諫めたのは……当の元婚約者だった。


「――――陛下、その言葉は誤解を招きます。私は、彼女にそんなことをしてもらおうなどと思っておりません。……ただ、私は彼女に謝罪がしたくてここに来たんです」


 かつては第一王子だった元婚約者も、今ではただの騎士。弟である国王に頭を下げて敬語を使う。


「…………謝罪?」


 今さら? なんのために?

 私の心は、急速に冷えていく。


 表情が強ばったのだろう。元婚約者は、困ったような顔をした。


「――――ああ、違います。……ここで飾っても仕方ないな――――謝罪というのは、間違いです。私は、あなたに謝っても謝りきれない罪を犯しました。謝罪して許してもらおうなどと願うのは、罪を重ねるようなもの。…………私があなたにお会いしたかったのは、謝罪が理由ではありません」


 元婚約者は、私にも敬語を使う。それに苛立ちながら、私は彼を睨みつけた。


「では、何故ここに来たのです?」


 なんで、あなたがそこに立っているの?

 私を裏切り、私が裏切ったあなたが!

 顔も見たくないのに、毎夜夢に現れて、私を悩ますあなたが!


 心はぐちゃぐちゃで、甲高い声で泣き喚きたい衝動を抑えるので精一杯。

 握り締めた拳が、ブルブルと震える。


 元婚約者はフッと口元を緩めた。厳しい年月に変化した顔が、一瞬だけ十年前の王子の顔と重なる。


「……会いたかった、から。……ただ、君の顔を見たかったんだ。生きている君の顔を、私が生きているうちに。……ごめん。自分勝手な理由で。……ああ、でもこれで私は、この先も戦っていけるよ。地獄に落ちるまでの僅かな時間でも、きっと精一杯生き足掻ける。北の地で、命の続く限り君の住まうこの国を守ってみせる」


 力強く言い切る彼の言葉は語尾が震え、青い瞳に涙が溢れこぼれ落ちていった。

 彼はそれを拭おうともしない。



 ――――ずるい、ずるい、ずるい!


「……なによ、それ」


 それでは、まるで彼が私を好きみたいだ。


「ごめん――――いや、申し訳ございません。侯爵閣下」


 一介の兵士に戻った元婚約者は、深々と頭を下げる。


 止めて!

 そんなもの求めていない!


 声を出せずにいる私を余所に、国王は軽い調子で口を挟んできた。


「ちょっと、止めてよね兄さん。なに勝手に自己完結しているんだよ。僕には兄さんの子どもが必要なんだって言っただろう。それとも、これでもう踏ん切りがついて、適当な女性と子作りしてくれる気になったの?」


 空気が読めないにも程のある発言だ。おかげで、爆発寸前にまで高められていた私の怒りの炎も、僅かに冷える。


 国王に冷たい目を向ける私とは反対に、元婚約者は真面目に答えた。


「いや。それは出来ない」


「だったらもうちょっと粘ろうよ。そこまで彼女を愛しているんだから、もっとみっともなく縋ったり、哀れっぽく同情を誘ってみたりしたらどうなの? ……どうせ兄さんのイメージなんて、あの性悪ヒロインに黒魔術で魅了された段階で、これ以上落ちようがないくらい最低最悪になっているんだから、今さら格好つけたって仕方ないよ。土下座でも平伏でも五体投地でも、なんでもやるべきだ。……それに、兄さんはもう北の砦での強制労働は終わっているんだからね。今さらあそこに戻っても、住む場所も仕事もないよ」



「…………え?」


 元婚約者は、呆けたような顔をした。

 私もちょっと話についていけない。


「強制労働が終わった?」


「兄さんの刑罰は十年間だっただろ。刑期満了で釈放さ」


 至極あっさりと、国王はそう告げた。

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