KIDNAP ~キミの為に出来るコト~
プロローグ
「夕闇が支配を始める前には帰っておいで。人さらいが出るよ。」
そんなの嘘に決まってる。人さらいだって、さらう子供は選ぶ筈。ボクみたいな孤児院にいる子供なんか、さらうわけないじゃん。
だから、茜色に染まる空の下でも、ボクは大きな楡の木のある草原で絵を描いていた。早く孤児院に帰ったっていい事なんか一つもない。一番年上のジョンが偉ぶってて、ボク達をいいように使うんだ。朝出た白パンだって、あいつに取られた。でも、先生達は見ないふり。ジョンはすぐ暴力をふるうからさ、下手に注意して自分達が被害者になりたくないんだ。だったら、ボク達を見捨てればいいだけ。孤児のボク達に味方なんていないんだ。
その時、ふいに声をかけられた。
「やぁ。素敵な絵だね。」
びっくりして見上げたら、ハットを目深にかぶった男がいたんだ。
「でも、色味が少ないね。もっと絵の具の種類があった方がいい。」
「お金が無いから、買えないんだよっ!」
頭にきたからそう言って、道具をまとめて帰ろうとしたら、ハットの男が言った。
「じゃあ、沢山の絵の具を使える家の子になるかい?」
……もしかして、この男が人さらい?
僕の心臓は早鐘を打った。どうしよう…。辺りを見回す。僕と男以外いなかった。
「帰って、ミートローフを食べないか?」
ミートローフ!ボクが好きなメニューだ。どうしよう…。とりあえず、着いて行ってご飯だけ食べて逃げ出す?どうせ、孤児院に帰ったって、ジョンに夕ご飯もとられる事は目に見えている。だったら…、一度でいい。お腹いっぱいミートローフを食べてみたい!
「それって…おかわりしてもいいの?」
「勿論さ。君は少し、痩せすぎている。もう少し、栄養をとった方がいい。」
優しい声で言われたから、ボクはハットの男に着いて行く事にした。男は少し歩いた先に止めてある車にボクを促した。それから、「少しの間辛抱してくれ」と言って、ボクに目隠しをした。それから、目隠しを取らないように、とボクを後ろ手で縛った。この時初めてボクは後悔した。殺されるかもしれない!
びくびくしながら、結構な時間、車に揺られていた。
車が止まった。バタン!と音がして、ドアが開いた。風を感じた。
「ちょっと失礼するよ。」
そう言われて、ボクは目隠しされたままの状態で担ぎ上げられた。そのままどこかに連れて行かれた。怖かった…。「助けて!」って叫びたくても、喉がカラカラで息をするのもやっと。何かの建物に入って階段を上がっているのは分かった。それから、扉が開く音がした。
「お待たせ。不自由な思いをさせてすまなかったね。」
そう言って、床に下ろされた。縄を解いてくれる。目隠しも取られる。ボクはぎゅっと目を瞑った。目を開けて、目の前にギロチンとかがあったら…どうしよう!!
そぉっと開けたら、整った室内だった。色んな本が並んでる。
「とりあえず、ご飯の前に着替えるといい。」
そう言って、クローゼットを開けてボクに見せてくる。すごく光沢のある生地で出来た服がずらりと並んでいた。
「こ、こんなの着ていいの?」
「勿論だ。このシャツに、このズボンを合わせるといい。」
そう言って渡される。ドキドキしながら着替えた。サイズはピッタリだった。しかも、すっごく肌触りがいい。びっくりした。
着替え終わったら、食堂に連れて行かれた。女中さんがいて、ボクにミートローフとライ麦パン、シチューに果物まで出してくれた。夢中で食べた。初めてお腹いっぱいになった。ここは天国かな?
食べ終えると、男は大きなバスのある浴室や綺麗で清潔なトイレに案内してくれた。それから、ボクをさっきの部屋に連れて行った。
「ほら、ここに絵の具も画用紙もある。好きなだけ描くといい。君には今日からここで生活してもらう。名前はリトだ。とりあえず、今日はもう湯あみをして寝るがいい。明日からはしっかりと勉強もしてもらう。あぁ、学校には行かなくていいよ。家庭教師が来るからね。」
男は言った。
そうして、その日からボクはリトになった。
Ⅰ
リトとして暮らすようになってからのボクは毎日快適だ。朝、女中さんがふかふかのベッドに寝てるボクを起こしに来てくれる。洗顔や着替えを終えて食堂に行けば、朝から焼きたてのパンに暖かいミルク。フルーツもある。
それから、家庭教師について勉強。今まではちんぷんかんぷんだった勉強だけど、こうしてつきっきりで教えてもらうと今まで分からなかった算数が分かって面白い!単語を知る事によって、本も読めるようになった。つまらない道徳の授業で読まされていた訓話と違って、部屋にあったのは冒険譚だ。竜にさらわれたお姫様を救いに行く王子様の話で、すっごく面白い!夢中で読んだ。
さらわれてからのボクは、漸く人間になれた気がしていた。こんなに素敵な暮らしが待っているのなら、もっと早くにさらわれておけば良かった。男にも「君は覚えが早くて助かるよ」と褒められた。
ある程度、勉強が出来るようになってから、今度はマナーの講師も来る事になった。挨拶から歩き方、食事の作法、色々教わった。自分が貴族の子息にでもなった気がして気分が良かった。だから、それらもすぐに覚えた。
「よろしい。リト、完璧です。」
そう言われて、綺麗な瓶に入ったキャンディーをご褒美に貰った。今までは欲しくても手に入れられなかった高級な味がした。ボクは、リトである事に満足していた。
そんなある日、男が言った。
「明日、ここにお客様がいらしゃいます。貴方はリトとして、最近勉強した事などをお話下さい。」
「勉強した事でいいの?」
「えぇ。後は読んだ本の事とかですね。」
「分かりました。」
そうして、翌日。中年の夫婦が訪ねて来た。
「まぁ!リト!大きくなって!最近の調子はどぅお?」
「少し前に体調を崩して入院したと聞いて心配していたが、元気そうだね?」
「…えぇ。その節は御心配をおかけしました…。」
「最近は何をしているの?」
「家庭教師についてもらって、勉強をしています。今、算数が面白くなってきたところです。あと、部屋にある本を片っ端から読んでいるのですが、どれを読んでも心が躍ります。」
そんな事を先日教わったお茶会のマナーを守りつつ、話した。中年夫婦は帰っていった。
「リト様。お疲れさまでした。今日はゆっくり休んで下さい。」
そう言われたけど、ボクは気になった。
「ねぇ。本当のリトは病院にいるの?ボクはリトが帰ってくるまでの替え玉なの?」
不安が胸をよぎったんだ。本物のリトが帰ってきたら、もうボクは用済み。またあの汚い孤児院に帰るのか、って…。そんなのイヤだ!ふかふかのベッドに慣れてしまったら、あそこの硬いマットでの雑魚寝なんて耐えられない。朝の冷たいオートミールも食べたくない!
男は、ボクを見て言った。
「いいえ。もう、貴方がリト様ですよ。但し、貴方がリト様でいる為には、勉学に励まなくてはなりません。出来ますね?」
こんないい暮らしをする条件が勉学をする事だなんて!ボクにとっては得しか無かった。だから、しっかり頷いた。部屋にはピアノだってあるんだ。「弾いてみたい」って言ったら、そっちも講師を付けてくれた。少しずつ出来る事が増えるのは楽しい。楽しくて、もっとやりたくなる。バラ色の人生だった。
Ⅱ
ある時、ボクは気が付いた。クローゼットの奥に扉がある事に。気になって仕方なかったけど、誰にも聞けなったので、皆が寝静まった月の明るい夜にそっとノックをしてみた。
「だあれ?」
少年の声がした。
「ボクはリト。キミは?」
「あぁ、君がリトなんだ。僕もリトだよ。」って返事がした。本物!?
「ねぇ…。会えたりする?」
おそるおそる聞いてみた。
「うん!僕も君に一度会ってみたかったんだ。待ってて。今、鍵を開けるからね。」
カチャリ、と音がした。ドアノブが回った。
「いらっしゃい。僕を見ても驚かないでね…。」
クローゼットの奥に向かって開いたドアから、不安げな声がする。ドキドキしながらも、ボクは扉の向こうへ足を踏み入れた。
そこはボクの部屋より小さかった。月明かりに照らされて室内が良く見える。本棚には沢山の本が並んでいた。後はベッドと小さな机があるだけだった。ボクは、リトと名乗ったマントの少年の顔を見た。ボクそっくりだった。
「すごい…。鏡を見てるみたいだ…。」
「うん。僕も吃驚してる。こんなに似ている人がいるなんて…。神に感謝しないといけないね。」
「そうだ!記念の握手をしよう!」
そう言ってボクが差し出した手は拒まれた。
「ごめん…。無理だよ…。きっと君が気味悪がる…。」
「そんな事無い!こんなに似てるんだ!ボク達、兄弟かもしれないじゃないか!」
「僕の体を見ても君は驚かない?僕を化け物って言ったりしない?」
震える声が返ってくる。一体、なんだろう…。不安になりながらも頷いた。少年はそっとマントの下から、手を出した。一目見て、思わず「ヒッ…!」と声を上げてしまった。慌てて口を押える。
「ごめん…。やっぱり気持ち悪いよね…。」
少年は俯いた。瘤だらけの腕を隠した。
「ご、ご、ごめん…。ちょっとびっくりして…。で、でも、大丈夫。びょ、病気…?」
そう訊くと少年は悲しい目をした。
「そう…。あ、でも、君に感染るような病気じゃないから大丈夫だよ。ある時、いきなり発症したんだ。手と足に物凄い数の瘤がある。自分でも気分が悪くなる…。医者に診てもらったけど遺伝子の異常が引き起こす病気って事までしか分かってない。今の所、治療法はないんだ…。僕の体はこうやって少しずつ蝕まれていって、やがて死ぬ…。でも、君がいてくれて良かった。この屋敷を見たら分かるだろうけど、僕の家は爵位を持っていてね。ちょっとした貴族の端くれなんだ。両親は二年前に死んだけど、僕にこの屋敷を遺してくれた。でも、去年海外貿易で失敗した叔父さん夫婦が狙ってる。あんなハイエナみたいな奴等にこの屋敷を好き勝手されたくないんだ!だから、ヨーゼフに僕の身代わりを探してもらうように頼んだんだ。そして、君を見付けた。驚く程、僕に似ている君!神は僕をまだ見捨ててなかった!感謝してるよ。君は孤児院にいたそうだけど、その魂は高貴な物だと感じる。勉学に励んでくれているようだね。ありがたいよ…。お願いだ、リト。この屋敷を守ってくれ。僕はやがて、病魔に侵され死ぬだろう。君がリトとして生きて、この屋敷を守ってくれ。秋になったら、庭に一面の薔薇が咲くんだ。とっても綺麗だよ、両親と整えたんだ…。君にも見せてあげたい。叔父さん夫婦に心を許しちゃ駄目だよ。彼らは銭ゲバだ。この屋敷をのっとろうとしてるんだ。だから、守って。お願い!君が勉学に長け、聡明であると分かれば手を出してこない筈。やがては経済学等を勉強して、貿易関係の仕事をするといいよ。両親は海外に顔が利いたんだ。だから、家名を言えば、少しは融通も利くだろう…。お願いだよ…。」
そう言う横顔があまりにも悲し気だったから、ボクは言ったんだ。
「友達になろうよ。」
「え…?」
「昼間は会えないかもしれないけど、今みたいに夜、こうやって沢山話そうよ!キミがボクにリトとして生きて、って言うのなら、キミはボクに両親との思い出話も教えてくれなくちゃ!奴らに聞かれた時に対抗できないじゃん!」
「僕の事、気味悪くないの…?」
「う…。さっきは驚いたけど、好きでそんな病気になった訳じゃないじゃん!それに…、言いづらいけど、キミがその病気になったおかげで、ボクはゴミ溜めみたいな所から解放されて今みたいないい生活をさせてもらっているんだ。感謝してるんだ!あと…。家庭教師が来て色々教えてもらうのは楽しいけれど…。やっぱりボク、同年代の子ともお喋りしたりしたいんだよ…。ダメかな?」
「ううん!僕も嬉しい!沢山読んだ本の話をヨーゼフやハンナ以外にもしたいと思っていたんだ!」
その日から、ボク達は秘密の共有者になった。消灯時間を過ぎてから、こっそりとクローゼットの扉を叩いて友達に会う。
リトが教えてくれる両親と行った旅行の話。動物園での思い出。ボクが話す孤児院での生活。真逆すぎておとぎ話のようだった。そんな風に少しずつ思い出を共有して、僕達は一人のリトになっていった。
Ⅲ
流石に一年もそんな生活をしていると、ボクをここに連れて来たヨーゼフも女中のハンナもボクとリトが会っている事に気付く。
「ありがとうございます、リト様。おかげさまで健やかに過ごせます。」
本物のリトはもう表に出られないけれど、ボクがリトでいる事で色々な物が守られる。
それから、学校に通う事になった。ヨーゼフが送り迎えをしてくれる。ボクはしばらく病気療養をしていた事になっていた。
「リト!久しぶり!病気はもういいのかい?」
「あぁ。心配をかけて悪かったね。」
「リトがいない間に、飼育小屋に兎が増えたんだよ。」
そんな話を級友達と交わす。ここには、ジョンみたいにすぐ暴力をふるう奴はいないみたいだ。平和だなぁ…。長閑に過ぎる学園生活。ボクは毎日、学校であった事をリトに報告した。
「そうなんだ。兎、増えたんだぁ。黄色い耳の子が可愛いんだよ。今度、見てみて。僕のお気に入り。こっそり、リリーって名前をつけてた。」
リトが微笑んで言う。病気を治す事は出来ないけど、進行はゆっくりみたいで安心してた。
ある時、扉を開けたら部屋が暗かった。見ると、窓が全部塞がれていた。室内を照らすのは小さなランプのみ。
「どうしたの?」
ボクはびっくりして聞いた。
「瘤が…遂に顔にも出来たんだ…。吃驚して…怖くって…。鏡に映る自分も、硝子に映る自分も見たくない!だから…、ヨーゼフに頼んで塞いでもらった。自分の姿が写らないように…。ねぇ、リト。君も…僕が怖い?」
震える声で聞いてくる。ランプの光でうっすら見えるリトの顔には、瞼の上に大きな瘤が出来ていた。顎にも小さな瘤がいくつも見える。正直、怖かったけど、ボクは左手で自分の太ももをつねって言った。
「大丈夫だよ、リト。怖くない…。ボクはキミで、キミがボクなんだ。ボク達は、二人でリトでしょう?」
そう伝えると、リトは泣き崩れた。
「ありがとう、リト…。君が…リトで良かった…。」
一人、体を丸めて震えて泣くリトが不憫で、ボクはそっとリトを抱きしめた。リトはびっくりしてた。
「こんな瘤だらけの体、気持ち悪いでしょう?触らなくていいよ!」
「大丈夫。感染る病気じゃない、って昔言ってたじゃん。ボクがこうしたいんだから、させてよ。ボク達は二人で一人でしょう?キミを一人で泣かせたりはしないよ。」
「ありがとう…、リト…。大好きだよ…。」
病魔に侵されながらも綺麗な涙を流すリトを抱きしめた。そうして、ボクは決心したんだ。ボクは、リトの病気を治してあげたい!
それから、冒険譚は読まなくなった。生物や病理学の本を読み始めた。最初は何が書いてあるのか、ちんぷんかんぷんだった。その時、たまたま授業でメンデルの法則をやった。AA、aa、Aa。あぁ、そうか…。人体も同じようなものなんだ。だから、分かるまで何回も読み返した。繰り返し読むと分かってくる。人体の仕組み。遺伝子。DNA、XX、XY…。
リトの体を蝕むのは、たった一本の遺伝子異常。だけど、そのたった一本がリトをこれ程までに苦しめる。きっと同じように苦しんでいる人もいるのだろう。
ボクはリトに告げる。
「ねぇ、リト。キミは昔、ボクに経済学をやればいい、って言ったでしょう?でも、それはやめにするね。ボクは医者になりたいんだ。」
「医者に…?」
「うん。病理学を学びたい。ボクの進路はそっちにする。キミの病気を治してあげたいんだ。」
「…リト!」
それからは、二人で医学書を読む日々だった。何か…リトの病気を治すための糸口が見つかれば…。そう思いながら、学ぶ日々だった。
Ⅳ
やがてボクは医大生になった。他人が眉をひそめる遺体の検体にも積極的に行った。人体について知りたかったんだ。
ある時、知った顔を遺体に見付けた。ジャンだった…。何でも、銀行強盗に入って射殺されたらしい。ボクは震えた。孤児院は学校卒業と共にでなければならない。身寄りもなく、大した教養も無いジャンは、結局はいい仕事につけなかったんだろう…。ボクも一歩違えばこうなっていたに違いない…。
そこからもっと研究に没頭した。どんなに遅くなっても、ボクは必ず屋敷に帰った。リトに、その日の出来事を報告する為に。過去の記憶も現在の研究成果も全て共有しておきたかった。リト、キミがボクで、ボクがキミだ。キミはボクに感謝しているって言うけど、ボクだってキミに感謝してるよ!キミが病気になったから、ボクは救われた。
だから、だから…。キミを救いたい。日々、醜く腫瘍まみれになっていくリトをボクは抱きしめる。
「大丈夫。きっとキミを治してみせる。」
「…ありがとう、リト。君を見ているだけでも僕の精神は安定するんだ。僕達はそっくりだったから、こうして君が目の前に立ってくれると、僕の今の姿はこうなんだ、って錯覚出来る。君がいてくれて良かった…。君がリトで、こうして僕と会ってくれてなかったら、僕はもうとっくに精神が崩壊していたかもしれない…。」
そっくりだった、と過去形で話すキミが悲しい…。利発なリト。キミがキミのままであったなら、きっと違う未来もあった筈。今頃は貿易商になって七つの海を旅していたかもしれないのに…。病が、憎かった…。
けれど、その病を治す手立てがなかった。十七番目の染色体の遺伝子異常だとまでは分かっているのに!異常な細胞増殖に歯止めをかける術が見つけられない!ボクは焦った。リトは近頃、痙攣を起こす。病は確実に悪化している…。
ボクは焦った。リトを…救いたかった。リトが治ったら、ボクはもう用済みかもしれない。昔はそれが怖かった。でも、今は…自分が用済みになってもいいから、リトを日の当たる場所に戻してあげたかった。両親と整えた庭園の薔薇すら細い月明かりの夜にしか見る事の出来ないリトをお日様の下で笑わせてあげたかったんだ。
そんなボクの願いは叶わなかった。ある晩、リトはボクの腕の中で静かに息を引き取った。
「君に出会えて良かった…。」
最期にそう言った。遺体はひっそりと埋蔵された。
その日から、ボクだけがリトになった 。
エピローグ
あれから、ボクは医者になった。大学病院で働きながら、リトの病の研究を続けている。
今日は久しぶりの休日だった。ふと昔を思い出して、育った孤児院がある町へと足を伸ばした。リトの屋敷がある瀟洒な街とは違って、薄汚れて騒々しいごみ溜めのような町。感傷に浸って歩いていると、向こうから子供達の喧騒が聞こえた。
「あっち行け!化け物!」
「こっちに来んな!」
「呪われてるぜ、お前~!」
何だろうと思って行ったら、一人の子が多勢に石を投げられ、蹲っていた。
「こら!君達、寄ってたかって何をしているんだ!」
そう声をかけたら、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。後には、蹲る子だけが残った。
「君、大丈夫かい?怪我は?」
赤い血が見えたので、止血してあげようとハンカチを取り出したボクが見たのは、腫瘍の出来た顔だった。
「た、助けてくれてありがとうございます…。で、でも、僕はこんなだから…。」
涙目でそう言って、走り去ろうとした子をボクは引き止める。
「大丈夫。ボクは君を化け物なんて言わないよ。キミのそれは、レックリングハウゼン病っていう病なんだ。残念ながら、治療法はまだ無い。でも、ボクはその病の治療法を探してる。だから…、もし良かったら、この町を捨ててボクと一緒に来るかい?」
「び、病気…?呪いじゃないの…?」
「あぁ。呪いなんかじゃないよ。染色体の遺伝子異常によって、腫瘍を作り出す細胞が異常増殖する難病なんだ…。ボクの大事な友達もね、その病気だったんだ…。」
「友達も…?こんな醜い姿になってるのは、僕だけじゃないの?」
「違うよ。他にもいて、みんな苦しんでる。ボクはね、そんな人達を救いたいんだ。」
「そう…なんだ…。僕ね、あそこの孤児院に住んでるんだけど、皆に「化け物」って呼ばれて毎日苛められて…。もう生きているのが嫌になっちゃってたんだ。だから…、小父さんが一緒に来てもいい、って言うのなら、僕、一緒に着いて行くよ!」
「そう…。じゃ、夕暮れになったら、向こうに大きな楡の木のある草原で落ち合おう。ここの通りでは人目があるからね。」
「分かった。小父さん、ありがとう…。じゃ、後でね…。」
少年はそう言うと、渡したハンカチで止血しながらどこかへ消えた。ボクは、ゆっくりと町を一周してから、楡の木のある草原へと向かう。
空はもうじき、夕闇が支配を始める時刻。
今度はボクが、少年の手を取ろう。
<終>