第1話 人は自らの手で世界を変えられるかもしれないという信念があるから夢を見ることが出来る。ただしその無益さに気づいてしまった者は、いつかの終わりを夢に見て退屈を紛らわすだけの人生を送る。
七月も後半を突き進み、蝉の鳴き声がより一層風物詩としての存在感を強めだした。けれど、クーラーの効いた部屋の中から思う事と言えば、ヨーチューブの音量を少し上げるかとか、寝返り打ってみるかとか、まぁなんかそんな感じのおおよそ夏を夏として消費していない者の自堕落な考えばかりだった。
部屋から出ると、昼前のもわっとした熱気にそれだけで気力がそがれる。ゴロゴロし過ぎて逆に痛くなってきた肩を回しながら階段をふらふらと降りていく。
ガチャ……
「さっむこのへや」
腕で体を抱き、つっけっぱなしのテレビの音に気を取られながらも、犯人であろうソファーの上で寝そべる妹に視線を向ける。
「死ね!!死ね!!死ねよ!!もう死ね!!」
タンクトップとホットパンツというラフな格好で、スマホをいじる手を忙しなく動かしている。可愛らしい少女の声ではあまり聞きたくない類のチクチク言葉だ。
「悪口って、自分が言われているように脳が錯覚して余計イライラするらしいよ」
ウォーターサーバーから自分のコップに水を注ぎながら言う。
……
「……おそよう」
返事が来たのは飲み干した冷水がじわりじわりと全身に浸透している最中だった。
「おはよう」
素っ気なく返す。妹は対戦ゲームに夢中の様子だ。
ぼふっ!
暫くするとソファーにスマホが投げ捨てられた。そのまま顔を突っ伏している。どうやら負けたらしい。
「生きてようが死んでようがどっちでもいい。どうせ今日みたいに暇をつぶすだけの人生じゃんこれからも」
「あー」
甘いヨーグルトを食いながら、どさっと妹の寝そべるソファーに座る。つけっぱなしのテレビでは、やれ今年の夏は最高気温がどうたらとか、やれ感染症がどうたらとか、やれ野球がどうたらとか、何の刺激にもならない映像と音声ばかりが流されていた。
「ほどほどに進学して、ほどほどに就職して、ほどほどに生きてやればいいんじゃないの?夢とか努力とか、めんどくさいし」
「やだよ!おもんないじゃん!死んだほうがまし!」
妹は「はぁー」と分かりやすく大きなため息をつくと、
「そもそもさ、面白き事なき世の中すぎんのよ今!記録的な大流行とかで誰も外出てこないし!ゲーム廃人強すぎてキモいし!アニメも動画も焼き増しばっかり!」
「つまんないよねー……今何考えてるか当ててみ?」
「え?……かまちょ?」
「急にテレビが切り替わって、緊急警報!超大型隕石が地球に急接近!全人類明日死亡!みたいなニュース流れないかなーって考えてた」
生きてくモチベーションは特にないけど、かと言って自殺する程親不孝者ではないし、じゃあ仕方なく生きるかみたいな気持ちで生き続けるのもしんどいだけだし、だったらもういっそ全人類同時に滅んじゃえばいい。
「なんそれ……ちょっとおもろいね。ふふっいいじゃんそれ、採用!」
思いのほかウケた……ちょっと嬉しい。
「お兄ちゃんはさ、アニメとか映画で一番面白いシーンってどこだと思う?」
「あーやっぱクライマックス?いやなんか違うな」
「うんクライマックスは伏線とか対比とかがあってお膳立てされてのもんじゃん。確かに面白いけど、一番じゃない」
妹は、千紗は、俺の顔を覗き込みながら人差し指をピーンと立てて得意げに、
「一番は日常がぶっ壊れるシーンだよね!物語の導入!うだつの上がらない日々に美少女が現れたり、宇宙人が襲来したり、巨人に壁を壊されたり!」
「あーそっか、確かに、そうだ」
「でしょ!?そんなことは起こらないだろって常識がド派手に裏切られるほど面白いでしょ!?それに作者の頭がぶっ飛んでるほど面白い!」
「そうそう!いきなり喰種になったりデビルハンターになったりね!」
多少擦れているというかやさぐれているというかそう言う所はあるけど、やはり千紗とは話が合う。俺が新しい交友関係を積極的に築こうとしないのは、結局のところ一番身近に家族であり親友であるこいつの存在があるからだろう。
「そっか何も起こらないなら自分からやっちゃえばいいのか……」
千紗はそう独り言を零すと、ごろりと仰向けになり、肩の長さで整えられた黒のショートヘアが重力に引かれる。部屋の照明に照らされて赤みがかった大きな瞳が綺麗に煌めき、中学生の膨らみかけの小柄な身体が強調される。そして、薄くリップの引かれた桜色の唇が動いた。
「今からセックスしてみようよ」
【余談】
きっともう壊れてる。