3
何かを覚悟しているような、頑ななものを感じた。だが、樫山が電車にはねられた時刻に、田川は新宿駅のホームに居たと明言し、疑われて然るべき発言をしている。これはどういうことだ。目撃者がいないことや防犯カメラに映っていないという、確固たる理由に基づくものなのだろうか……。寿子のことも訊こうと思ったが、それを訊けば用心して寿子と接触しなくなる。もう少し泳がせることにした。
佳須美は父親に内緒で寿子の家を訪れた。捜査の進行状況を聞いていた佳須美は、田川との接点を探るため、本格的な潜入捜査を試みたのだ。
「佳須美ちゃんに教えてもらって、あれから、幾つか詠んでみたのよ」
「わぁ、ぜひ聴かせてください」
ハーブティーを口に含むと、期待を込めた目を向けた。
「なんだか、恥ずかしいけど……。“凛とせし矢車菊や隅にをり”」
「……スゴい。私の句なんかより全然上手」
佳須美が感心した。
「そんなこと……。でも俳句って、佳須美ちゃんがおっしゃるとおり、17文字の中にドラマがあるのね」
「でしょ?だって、寿子さんが詠んだ今の句にだって、ドラマを感じるもの。矢車菊を擬人化し、芯の強い女性を詠んだんでしょ?感服しちゃった」
「ありがとう。で、佳須美ちゃんの最近の句は?」
ソファから背中を離して訊いた。
「駄目。最近全然イメージが湧かなくて……。わくわくするような恋をしてないからかな」
佳須美が冴えない顔をした。
「あら、佳須美ちゃん可愛いからモテるでしょ?」
「全然。……好きな人にはすでに彼女がいるし、誘ってくれるのはタイプじゃない人ばかり」
「そんなものかも。相思相愛なんて滅多にないわ」
「寿子さんは?好きな人とかいます?」
「いえ、いないわ。亡くなった主人が最後の恋かも」
「勿体ない。そんなにきれいなのに」
「あら、ありがとう。佳須美ちゃんに若い男性を紹介してもらおうかしら」
「了解です。今度連れてきます」
「ふふふ。私の好みは難しいわよ」
「いえ、一人います。寿子さんのタイプが」
「え?ほんとに」
「私には目もくれないけど、寿子さんにならたぶん惹かれるかも」
「あら、どんな人かしら」
「次回のお楽しみ。うふっ」
樋口が田川を訪ねてから数日後に変化があった。田川が工事現場で働き始めたのだ。それからはスーパーの前で寿子と田川がすれ違うことはなくなった。だが、スーパーを出た寿子はいつものように、携帯で喋っていた。
樋口は、寿子と田川には必ず接点があると確信していた。
……直接、寿子から話を訊くか。
ドアを開けた寿子は、見覚えのある樋口の顔を明確に思い出そうとしていた。
「――あー。警察で一度お会いした」
「ええ。ご主人が亡くなられた時に」
「その節はお世話になりました。さあ、どうぞ」
そう言って、い草のスリッパを揃えた。
「ところで、新宿のMデパートには行かれますか?」
「ええ。最近は行ってませんが、以前はよく行きました」
湯呑みに急須を傾けた。
「最後に行ったのはいつ?」
「いつだったかしら……。4月頃じゃないかしら」
樋口の前に湯呑みを置いた。
「そこで、万引き犯に間違えられたとか、ゆすられたようなことはありませんでしたか」
「いいえ、ありませんわ」
淡いピンクのグロスを塗った唇をティーカップに付けた。
「そうですか。……ところで、ご主人を亡くされて、お一人じゃ寂しいでしょ」
「ええ。主人を亡くしてからは、通いのお手伝いさんにも辞めていただいて。でも、大学生のお友達がいるんですよ」
「おっほん。ほう」
樋口は咳払いとも痰の絡みとも区別がつかない返事をした。
「佳須美ちゃんていう、とてもチャーミングなお嬢さんなの」
「おっほん。ほう、そうですか」
(さて、田川の名前を出すべきか?)
結局、田川の名前は出さず、単独で二人の接点を探ることにした。――だが、田川が働き始めてからは二人が接触することは一度もなかった。
樋口の見解はこうだ。寿子がスーパーから出て、携帯で自宅に電話をするついでに、すれ違った田川に何か伝言をしていたのではないか。例えば、次に会う場所と時間とか、金の置き場所とか……。そうなると、店内の寿子も見張れば良かったと、後悔した。刑事が関わった以上、更に用心するだろう。二人が接触する可能性は皆無になった。
それから間もなくして、「階段を駆け下りてきた若い男とぶつかって、その弾みで線路に落ちた」という目撃証言により、樫山は自殺でも他殺でもなく、事故死という結論に至った。