VS.怪人ミシェル・スパイダー
――数十分前、大学研究室――
「春都君っ!?」
上杉が名前を呼んでも、春都は答えられなかった。
研究室を強襲した怪人の手刀が体を貫通したのだろう。液体がポタポタと垂れ落ちる床へと、春都の体は倒れ込んでいく。
「……えっ!? あの。私は別に貫いてなんてミシェル。ちょっとアーミーアリさんに第二ヒーローの拠点を脅かして来いって言われたから、怖がらせるぐらいに留めようと」
怪人が動揺している間も、うつ伏せになった春都は一切動かない。電灯を落とした暗い室内に倒れている事実が、暗い想像を沸き起こす。
脈を図るために春都の腕を取った上杉は、動脈の上に指を当ててから首を左右に振った。
「…………僕は医師ではないから資格はないから断言できないけど。もう春都君の命は」
「ええっ、嘘でしょミシェル!?」
八つ目の怪人は慌てながら、春都の傍に膝をついた。
呼吸し易いように仰向けに体を動かしたものの、春都の胸は上下していない。脈だけではなく呼吸も停止しているようだ。心肺停止状態である。
頬をつついたぐらいでは、当然、目を覚まさない。怪人も脈を取ってみたり、胸に耳を当ててみたりしたものの、バイタルサインは感じられなかった。
「私、な、なんて事をミシェル! すぐに心肺蘇生しないとっ」
「駄目だよ。怪人の力で胸を抑え込めば、春都君が潰されたケチャップソースのようになってしまう」
「外出薬を使えば怪人の力を抑え込めます。飲んで数秒で効果が出ますからミシェル!」
「……ほう」
肩から伸びていない方の腕を使って、ポーチからピルケースを取り出す怪人。その動作は人を殺めた罪の意識からか震えている。
怪人の様子を透過度の低い眼鏡で観察する上杉は、どうしてか、自分で春都の蘇生を試みようとしない。怪人が仕出かした事の償いは、怪人にやらせるというスタンスなのだろう。
カプセル錠を口に含んだ怪人は喉を動かす。
薬はすぐに効果を発揮し始めて、肩から伸びていた凶悪な腕は萎んで消えていく。頭の八つの目も光を失い旧人類と同じ数だけが残った。
そこにいるのは身長がやや高いだけの普通の女だ。まだ被るには早い冬用のモコモコ帽子を頭に乗せただけの女である。
「エヴォルン・コールの新人類講習であった心肺蘇生の手順は確か、気道確保してからの人工呼吸二回と心臓マッサージ三十回でした」
「僕はAEDを探してくるから、春都君、頼んだよ」
春都に怪人を任せて、上杉は研究室の奥部屋へと急いだ。
心臓も肺も止まっている春都は微動だにせず、怪人の蘇生処置を待っている。
帽子女は、まず胸の中心のやや下に両手を添えた。怪人ではなくなった女の細腕には女性平均の筋力しか備わっていないものの、体重を乗せて両手を押し込めば深く下がる。
ポンプのごとく、人体の中にある心臓を外部からの圧力で動かすのだ。生きている人間に対して行えば拷問以外の何ものでもないが、心臓が止まって意識を失っている相手であれば遠慮はいらない。
必死な帽子女は間を開けず連続的に春都の心臓を押した。
「はぁ、はぁ、はぁっ。生き返って、お願いっ」
春都の顔は心肺停止状態だというのに、先ほどよりも酷く苦しそうである。
三十回の心臓マッサージの後は、肺に酸素を送り込むための人工呼吸だ。近年は感染症対策により、手元に専用の器具がなければスキップを推奨されている。が、蘇生確率が上がるのであればと帽子女は気にせず口を口へと近付ける。春都が待ちに待っていた瞬間だ。三十回の拷問に耐えられたのは、これがあったからである。
怪人とはいえ女の口と春都の口がゼロ距離で密着した。
唇同士の接触。
正しくは、空気を漏らさないように女の唇が春都の唇を覆っただけ。類似行為として人々が想像するものとは一切異なる。いかがわしさなど皆無である。
それでも、涙を流して喜ぶ心肺停止中の春都。
なお、その直後に……外部から一気に空気を流し込まれて強制的に肺を膨らまされた春都は、かつてない苦痛に涙を垂れ流した。
懸命な帽子女は特に感想を口にしなかったが、彼女の味覚はチーズ味を感じ取る。
より詳細に言い表せば、スナック菓子のピザ味であっただろう。
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“怪人技:疑死回生(遺言メモ)
怪人シッターの遺言書を所持した状態でピザを味わっている間、怪人シッターの怪人技を使用可能となる。
強烈な幻惑効果を持つ死んだふりが発動して、他人からは死んだとしか思われなくなる。見破るのは不可能”
“《追記》
気味の悪い使用条件を嫌って、第二ヒーローが放置していた遺言メモ。
勿体ないという事で、春都は長らく使用方法を考えていた”
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大学の研究室らしく、長机の上には開封されたスナック菓子が放置されている。その味はピザ味。
そして、春都の服のポケットの中には『――最後にピザ、食べたかったオポ、がくっ』と書かれたメモがある。
条件が揃い、今の春都は誰が見ても死亡状態だ。
けれども、春都は生きている。怪人シッターの怪人技で死を偽装しているだけ。床の液体は飲んでいた野菜ジュースをこぼしたものだ――緑色の野菜ジュースなので、照明をつければ血でない事は明らかとなってしまう。
春都は己の体を犠牲にして時間を稼いだのだ。決して邪な感情で人工呼吸を受けていた訳ではない。
「――怪人に居場所がバレているのは分かっていたんだ。僕達が何も用意なく、この研究室を使い続けていたはずがない!」
奥部屋に消えていた上杉が戻ってきた。
第二ヒーローが着る戦闘服の予備を着て、更に、戦闘服の繊維を材料に作成した捕獲ネットを投擲しながら。
突然の漁獲に帽子女は反応できない。外出薬で旧人類に擬態している所為で脱出もできない。
「よし、捕えた。春都君、一緒に押さえ込んで!」
「分かりました、先輩!」
「ひぃ、いきなり起き上がった。ゾンビ!?」
捕獲ネットにではなく、いきなり蘇った春都に身を竦ませて、帽子女は拘束されてしまう。
春都の迫真の死んだふりにより、二人は怪人の生け捕りに成功したのだった。
生け捕った怪人に尋問して、怪人マヨイガの狙いが第二ヒーローであった事を二人は知る。
「ありがたいけれども、随分と素直に話をしてくれるね」
「今頃はもう第二ヒーローはmtHと化しています。私が知っている程度の情報に価値なんてもう」
「それでも素直に話すという事は、怪人マヨイガの手段に納得していないんじゃないのか、帽子女?」
「……あのぅ、私にもいちおう名前が。怪人ミシェル・スパイダーか安田と呼んでくれると」
大人しく正座をしている怪人ミシェル・スパイダーに、お手製のコーヒーを手渡した春都。流れでそのまま彼女と視線を合わせる。
「安田ミシェル。お前は大都会ディスイズニーランドでもそうだった。本心ではエヴォルン・コールに賛同していないんじゃないのか?」
「……あのう、安田ミシェルはちょっと恥ずかしいので止めていただけると」
「実はもう薬の効果が切れていて、怪人に変身できるんじゃないのか? それでも俺達と話をしてくれている。人間を繭玉に保存する怪人マヨイガの作戦は、命こそ奪わないが、それだけだ。決して正しい行いではない」
「買いかぶり過ぎです。私は怪人で、旧人類の事なんて何とも思っていません」
「死んだふりをしていた俺を救命しようとした奴が、何を言っても遅いな」
春都は確信を持って安田を説き伏せる。
奇縁により時々エンカウントしていた春都と安田は、種族の差を気にせず本音で語り合えていた。
「安田ミシェル。俺達に、第二ヒーローチームに協力してくれないか? 第二ヒーローのピンチを救うために手を借りたい」
怪人とヒーローが手を組むなどありえない。
そう、第二ヒーロー本人がここにいたなら反対しただろうが、ここにいるのは穏健な春都と上杉の二人だけだ。仮に第二ヒーローがいたとしても、多数決で勝利できる。
それでも、と頑固に否定してくるようであれば、安田の怪人としての特性が彼女の身を証明してくれるだろう。
安田はクモの怪人であり、より細かく言うならハエトリグモの怪人だ。
家の中に入ってくるタイプのクモなので嫌われる事もあるが、人間に危害を加えない。むしろ、不快な害虫をムシャムシャと退治してくれる益虫だ。ハエトリクモがいるだけで、カサカサと動く平べったい奴がいなくなってくれる。彼女が有益な存在であるという証明としてはこれ以上な――、
「私、頭文字Gなんて食べたりしないからっ?!」
安田の説得と勧誘に成功した事で、第二ヒーローチームは三名となって出陣する。
怪人マヨイガの本拠地は大都会議事堂である、と安田から情報は得られていた。第二ヒーローが捕まったとすれば大都会議事堂に運ばれると踏んで行動する。
三人は移動手段であるAIタクシーを呼ぶために大学正門を出る。
ただ、スマートフォンのアプリで送迎依頼するより早く、ある車が正面に停車してきた。
『――第二ヒーローの皆様。大都会議事堂まで送迎いたします。お乗りください』
荷台を有する豆腐屋の自家用車がドアを開く。
明らかに不審な車種に不審な呼びかけだ。誰も従いはしなかったものの、社内から伸びるアーム付きタブレットに映る人物を見て、上杉は表情を変えた。
「っ! 五十鈴修教授……」
『若人に名を知ってもらえていたとは、煩わしい名声も時には役に立つ』
タブレットには、医療用ベッドに横たわる老人の顔が映っている。喉に複数のチューブが通っており発音できる状態ではないので、声は合成されたものだろう。
上杉だけは老人の顔と名前を知っているのか、酷く恐縮している様子だ。
「誰ですか、あの人」
「僕達の大学で教授をしていた人だよ。色々な分野に貢献した生きた偉人さ」
『不躾となるが、君達には協力を要請したい』
顔を知られていたから話は早いが、仮に知られていなかったとしても気にせず老人は話を進めただろう。年を重ねれば人間は人格者を装えるかもしれないが、更に年を重ねると外聞を気にしなくなって自分本位になっていく。
『戦場までの送迎、および、怪人が使用するmtHの解体方法を伝授しよう。代わりに君達は私の孫を助けたまえ』
――現在、大都会議事堂近辺路上――
戦場に到着した豆腐屋の自家用車からは、予備の戦闘服と仮面を装備した春都と、指先から糸を伸ばす安田が出て行く。上杉は社内に残って、第二ヒーローを内包するmtHに対してハッキングを開始した。
第二ヒーローチームの残存戦力すべてを投入した総力戦である。
しかし、怪人マヨイガは、強い。地球で誕生したどの生命よりも強くなっている。
本来は後方部隊である春都まで出撃させての抵抗など、簡単に潰されてしまうのだ。
「第二.五ヒーロー、出撃する!」
「何が第二.五ヒーローかマヨ。ただ仮面と戦闘服を揃えただけの偽物が、ヒーローさえも超越した怪人マヨイガに挑んだ愚行を悔いなさいな!」
強靭なるスケーリーフットさえも圧倒した怪人マヨイガの腕が振るわれた。
今一時のみであるが、怪人マヨイガは踏みつけるはずだったスケーリーフットから目を離して春都を見ている。その隙に、安田の糸がスケーリーフットを危険地帯から救出したものの、その程度で怪人マヨイガは驚かない。
それよりも、ヒーローの偽物の類似品を潰す方が先決だった。
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▼第二.五ヒーロー
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“戦闘力:1.9”
“怪人技:
疑死回生(遺言メモ)”
“大都会ディスイズニーランドでの戦いでボロボロとなった戦闘服を、春都が夜なべをして縫い直した。性能はかなり低下している。仮面は3Dプリンターで出力し直した張りぼて”
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戦闘力が百分の一もない輩など、たった一撃で跡形もない。
「――よし、解体作業と並行して、一時的にmtHの機能をハッキングできた。接続先はmtHとなった二郎君と縁深く、距離も近い相手。つまり……第二.五ヒーローだ!」
電子戦担当の上杉が、すべてを覆してしまったが。
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▼第二.五ヒーロー
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“戦闘力:1.9 → 351.9 (mtH1、第二ヒーローと接続中)”
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▼怪人マヨイガ
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“戦闘力:800 → 450(mtH1、第二ヒーローと接続中)”
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mtHで増加した戦闘力の五割を奪われた怪人マヨイガの拳は極端に軽くなった。
正反対に、mtHから流れ込む力でパワーアップした春都の拳は極端に重くなる。ゴミをプチりと潰すぐらいでしかなかった怪人の腕を払いのけて、体の中心にストレートパンチを叩き込む。
すると……道路に太い破壊痕を残しつつ、盛大に吹き飛んでビルの一階に埋まった怪人マヨイガ。
スケーリーフットの全力攻撃でさえ傷らしき傷がつかなかったというのに、怪人マヨイガは今、額から血を流している。
「……お、俺すげぇ」
「……な、なな、ななななっ?! 何が起きてマヨ??」
類似品の拳に、怪人も本人も驚いた。




