VS.お帰りなさいませ、ご主人様
「お帰りなさいませ、ご主人様。お嬢様っ!」
入店と同時に、雇った覚えのないメイド三人が一斉に振り向き、挨拶してきた。
俺と一緒に入店した五十鈴響子も面食らって、その場で停止している。俺ももちろん、動きを止めている。知識としてそういう挨拶で出迎えられると知っていたものの、実際に自分がご主人様になってしまうと反応に困る。
「う、うむ。苦しゅうない。面をあげい」
「その反応は違うのでは、二郎さん」
外の駐車場で遭遇した五十鈴と、たった今、メイド喫茶に入店を果たした。
どうして、家業の豆腐配送中だった五十鈴が俺についてきたのか分からない。モエモエ・メイド喫茶に行くと伝えた途端に、何故か同行を強行してきたのである。
「まさか、二郎さんまでここの情報を入手していたなんて……」
正直に言うと五十鈴がいると仕事の邪魔なのだが。戦闘服はグローブやブーツを除き、服の下に装着済みなので戦えない事はないものの、できれば仮面を被って戦いたい。
壁に接するテーブルで五十鈴と対面する。
「五十鈴さんがそんなにメイド喫茶に行きたかったなんて」
「ちがっ――いません。そうです。メイド服に興味があって」
「ほう。それは高尚なご趣味をお持ちで」
五十鈴がメイド服に興味をね。それはぜひ協力しなければなるまい。
「分かりました。では、明日の朝はエッグベネディクトでお願いします」
「その願望に至った二郎さんの思考回路を疑いますが」
家が豆腐屋なら朝餉は冷奴付きの和食の方が好みだったのだろうか。うむ、それもまたよし。
と、五十鈴がメイド服で作る明日の朝食について考える前に、このメイド喫茶で食べる食事を考えなければならない。
アホ毛みたいな二本の線が伸びるカチューシャが特徴のメイドが一人、メニュー表を片手に現れた。
「ご主人様、お嬢様。お食事は何にいたしましょう?」
メニュー表に載っている食事はありふれている。オムライス、カレー、パスタ、ハンバーグ。可愛い見た目であるものの、春都が昨日作ったタンシチューの方がうまそうだ。
腹が膨らみ過ぎると戦闘に支障があるので、飲み物にするか。
「五十鈴さんは決めましたか?」
「お腹は空いていないので、飲み物で」
「分かりました。メイドさん、お勧めの飲み物があれば、それで」
「メイドのアゲハと申します、ご主人様。ご注文受けたまわりました。ドンペリの赤、ボトルで入りましたーっ!」
アゲハなるメイドがオーダーを取ると――実名とは思えないので源氏名なのだろう――、別のメイドが小皿にチョコやらキャビアの乗ったクラッカーやらが運ばれてきた。お通しにしては高級だな。
「メイドのキラビでーす。ご主人様、どうぞー」
縞々ニーソックスのキラビなるメイドに続いて、更に別のメイドが俺達に構ってくる。他にも客がいるというのに俺達ばかりに構うとは妙な感じだ。お勧めの飲み物だから、高くても二千円ぐらいだと思うのだが。
「メイドのヒメですわ。気前の良いご主人様。お嬢様。今日はこの、モエモエ・メイド喫茶にて俗世の疲れをお癒しください」
ヒメなるメイドはスカートの丈が長い、源流に近い形をしたメイド服を着こなしている。同じメイド服とはいえ、個性はあるものだ。
「……メイドに囲まれたぐらいで鼻を伸ばして。別にいいですけど」
メイド三人衆に囲まれた俺を見て、五十鈴が目付きに劣らぬキツめのコメントを呟く。
メニューと一緒に運ばれていた氷水にストローを突っ込み、クルクルと回していた。
「綺麗な女性に囲まれているのだから、鼻を伸ばすぐらい許して欲しいですね」
「石田ミカのようなアイドルならともかく、ただのメイドじゃないですか」
『ミカ:やっほー。誰か呼んだー?』
「いや、この店のメイド。なかなかレベルが高いですよ」
石田ミカを基準すると多くの人間が絶望してしまうが、アゲハ、キラビ、ヒメなるメイド達も印象は悪くない。道端でチラシを配っていたら、振り返って取りに行くぐらいではある。
「鼻を伸ばされない私が、どう思われているのか分かりました。……あの脅迫相手の幼馴染にせよ、二郎さんにせよ、私を鉄の塊か何かだとしか思っていないのですよね。はぁ……」
「五十鈴さんもチラシを配っていたら、もちろん振り返りますよ」
急に機嫌を悪くする五十鈴の隣に、メイド(アゲハ)が座り込む。
「もー、お嬢様。怒らない怒らない、スマイルですよ。ご主人様とお嬢様はお似合いですよ」
「いや、別に二郎さんと私が似合っているかの話ではなく」
「ここではお嬢様も特別です。現の常識を忘れるために、お嬢様には特別なおまじないをかけますね!」
ふと、メイド(アゲハ)が取り出したのはカチューシャ。デザインは彼女が付けているものと同じで、二本のアホ毛が頭を垂れている。それを五十鈴の頭に付けると……なるほど、悪くない。
それなりに見慣れた五十鈴であるが、メイドカチューシャは反則だ。
「ほら、おまじないで、ご主人様もお嬢様にメロメロですよ」
『幼馴染:……あ、この使用人、何言っちゃってんの?』
「ちょっと、二郎さんっ。どうして私をぼーっと見ているんですか!」
メイドの活躍で五十鈴の機嫌が直った。接客慣れしているメイドが三人もいるのだ。メイド喫茶初心者の俺達が太刀打ちできるはずがなく、気付かない内にペースをどんどん掴まれていく。
「はい、飲み物ですよー。ご主人様」
「美味しくなあれ。美味しくなあれ」
気恥ずかしい台詞を平然と述べてくるメイド達は、非現実的だ。春都の奴は文化が違うと言っていたが、現実ではない、という方が正しい。
なるほど。この独特の雰囲気は特別なものである。趣向があえばハマる人間が出てくるのも頷ける。
現実を忘れて、メイド達にもてはやされ続ける。偉くもない自分に精一杯尽くしてくれるメイドに、好感以外の何を覚えられるだろう。
……それはそうと。どうしてだろう。視界が妙に狭い。
「お嬢様―。カラオケを一曲リクエストしてくださいよー」
……耳に入ってくる音も遠ざかっている。店内に流れる曲は聞こえないのに、メイドの声だけが強く聞こえている。
「ご主人様。コップが空です。さあ、どうぞ」
手渡されるコップを言われるがままに掴み取る。
指の動作が緩慢で、コップを落としそうになってしまう。メイドが俺の手を包むように両手でカバーしてくれたので落とさずに済んだが……手と手が触れてしまった。
瞬間的に全身をビクりと硬直させる。意図的におさわり禁止のルールに抵触した訳ではないので、許して欲しい。
まあ、優しいメイド達が怒る訳がないのだが。俺はご主人様だ。
「美味しくなーれ」
「美味しくなーれ」
「美味しくなーれ」
奇妙な居心地の良さに、飲まれていく。
……いや、違う。俺自身がのめり込んでいく。対面席にいる五十鈴も俺と同じように、瞼を重そうにしていた。もうそろそろ、完全に眠るのだろう。
「美味しくなーれ、ご主人様。お嬢様。ふふふっ」
俺も心地よさに溺れていき、目を瞑った。体のバランスを崩し、テーブルの下へと倒れ込んでいく――。
男女二人組の客が寝入った事を確認して、メイド三人はゆっくりと椅子から立ち上がる。
「……チィ、たった二人を寝落とすまで一時間かよパピ。こんなので大都会を掌握できるかね?」
「私に聞くなってのビー。私だって面倒くせぇって思ってんだ」
「やーねぇ、二人共ルキ。まだ仕事中だってのに。気持ち悪い声で、ご主人様―っ、お嬢様―っ、って言ってなきゃ」
アゲハ、キラビ、ヒメのメイド達は、接客時とはかなり異なる地声と口調で喋っている。
雑に後頭部を掻いたり、首に手を当てながら回してボキボキ言わしたり、電子タバコを持ち出して吸い出したり、それぞれメイド中だった頃では考えられない事をし始めた。
「たく、俺達が女だからって、面倒な作戦に参加させられたぜパピ」
「文句を言っていないで、こいつら運ぶのを手伝えビー。私は女の方な」
「勝手に決めないでくれるルキ。私が軽い方の女だ」
メイド達は眠っている二郎と五十鈴を店の奥を通じ、外で待機させているトラックに運ぶつもりらしい。
もちろん、犯罪だ。誘拐事件である。
ただ、エヴォルン・コールに所属する者達であれば、誘拐事件の一つや二つで今更、抵抗感を覚える事はない。
キラビとヒメの二人は、荷物を扱うがごとく、五十鈴を運び出そうとしている。眠っている五十鈴が抵抗できるはずがないので、運ばれるがままだ。
「俺が男を運ぶのかよパピ。仕方がねぇなぁ……あれ、男はどこに消えた??」
よって、窮地にある五十鈴を救う者がいるとすれば、たった一人である。
「――そこまでだ、エヴォルン・コール!」
テーブルの下から顔を出した第二ヒーローだけである。




