VS.怪人ニーマルラット 2
「――とうっ! 極悪非道なる怪人共! 街の平和は乱させないぞ」
通りに面したガラス張りの壁を突き破る大きな音。
ガラスが割れる特有の高周波に驚き、意識を取り戻した。いつ気絶していたのかも分からない状態で、重い頭で思考を開始する。
黄色いカラーリングに、重厚なガントレットが特徴のパワードスーツ系ヒーローが店内に侵入したようだ。あんなに大きなガラスを破ってしまうなんて、賠償金が高いぞ。
「来たか、スケーリーフット! 遅かったではないかチュー」
「非道な怪人め。こんな街中にまで現れて悪事を働くとは、ここから出て行け!」
上京初日に目撃したヒーロー・スケーリーフットが店内で怪人と睨み合っている。
登場と同時に戦闘員を一人倒したらしく、装甲に覆われた足で踏みつけていた。ただの戦闘員であっても市民では太刀打ちできない戦闘力を持つというのに、ヒーローの力はどこまで非常識なのだろう。
「今日がお前の最後の日だチュー。スケーリーフット!」
「悪の怪人などに私は負けない」
ヒーロー・スケーリーフットは実に頼もしい。だが、ここにいるネズミの怪人も、ヒーローに負けず恐るべき能力を所持している。
ニーマルラットの分裂増殖する怪人技。それを伝えなければ、ヒーローとて足元を掬われかねない。
「ヒ、ヒーロー。きを……気を付――」
「喋るなチュー」
椅子に座らされてぐったりしている俺。何の意味があるのか不明だが、ヘルメットの上から猿轡をされてしまっている。
抵抗できない状態だというのに、ニーマルラットに体をどつかれた。
「――うッ、腕の骨が折れた」
「嘘言うなでチュー。そんなに強く叩いてないでチュー」
「痛い、痛い……な、まったく、ネズミの兄ちゃんよ。ちょっと路地裏まで来てもらおうか」
「う。お金はそんなに持ってないでチュー……チュ? 無駄話をするなでチュー! お前は人質だチュー」
ニーマルラットが傍にいるため、スケーリーフットに怪人技を伝える隙がない。
ヘルメットのバイザー越しに周囲を探る。怪人能力で分裂したニーマルラットの二体目、ニーマルラットBの姿を探す。意外と簡単に発見、調理場の中に潜んでいた。スケーリーフットからは死角の位置に隠れているらしい。
背後からスケーリーフットを襲うつもりか、あるいは、次の二十分が訪れるまで潜むつもりか。どちらであってもヒーローの不利には違いない。
「動くなでチュー! お前のお仲間がどうなっても良いのか!」
いや、俺という人質がいる時点で、ヒーローは大きなハンディキャップを背負ってしまっているのだ。クソ、俺という善良な市民の所為で正義の味方が負けてしまう。
「人質、だと!?」
スケーリーフットは縛られた俺を見ていた。彼の目はきっと、逡巡により揺らいでいる。
「…………お前達は、仲間同士で一体何をしているというのだ??」
「チュ?」
「スケーリーフット。俺に構わず怪人を……あれぇ?」
ぽつりと呟かれた素朴な言葉に、店内にいる全員が停止してしまう。
俺の今現在の格好は戦闘員から拝借した黒の密着スーツ。顔は覆面ではなく黒いヘルメットなので通常の戦闘員とは異なるが、逆に言えばその程度の相違しかない。
「怪人が部下の戦闘員を痛めつけるなど、悪党同士でも見るに耐えんな」
「何を、言っているでチュー。こいつはお前が送り込んできたスパイでチュー。今はこうして椅子に針金で捕らえている。武装解除して降伏したらどうだ?」
「……いや、私は正義の味方だ。スパイなどという姑息な手段を必要としていない。そこのヘルメットは初対面だ」
「馬鹿を言うなでチュー。ヒーローが仲間を見捨てるつもりか!?」
つい先程、店内に踏み込んだばかりのスケーリーフットの視点では、俺は他戦闘員と同一、見分けが付かない。
一方、怪人側は、俺をヒーローの一味だと誤解している。ニーマルラットにはヒーローのスパイと言い放ったが、もちろん、口から出まかせだ。俺はヒーローの仲間などではない。
「ふはは、ヒーロー。俺がボコられて椅子に括り付けられている憐れな人質に見えたのなら、それは目の錯覚だ。俺はお前を倒すために強化された強化戦闘員!」
「チュ?」
「む?」
ならば、この状況を存分に活用さえてもらう。
「この椅子にしか見えない椅子は、巧妙にカモフラージュされた強化外骨格だ。お前のパワードスーツを写真撮影してCADで再設計した。これでお前は終わりだ!」
「チュチュ?」
「……確かに特殊な戦闘員だ。怪人でもないのに普通に喋っている」
「殴り過ぎてコイツ、おかしくなったでチューっ!?」
スケーリーフットが俺を戦闘員と勘違いしている状況では、俺に人質としての価値はない。そう、俺は無価値な人間だ。
ニーマルラットの計算は既に崩れた。
「さあ、ニーマルラット様。一緒にヒーローを倒しましょう!」
「ええい、お前はヒーローのスパイのはずだ。店にいた他の人質を逃した張本人が、さっきから何を言っている?!」
「強化戦闘員である優秀な俺の手を借りたくないのは分かります。怪人の面子が丸潰れですものね!」
「だからお前は違うでチュー」
「嫉妬ですね、分かります。この椅子みたいな強化外骨格で、ただの戦闘員が怪人並の戦闘力を発揮するからって」
「こいつと話していると混乱するでチュー!!」
俺の口を封じるだけでなく、人質として利用しようと欲をかいたのがニーマルラットの敗因だ。
「もちろん、ニーマルラット様の怪人技“二〇分ネズミ”で体を分裂させれば、負けはないでしょうが」
俺はヒーローの前で堂々と、ニーマルラットの作戦を明かす。
「前に分裂してから十七分。次の分裂で四体に増えるつもりですね! ネズミの怪人だからネズミ算が怪人技のモチーフになっているとは、最強です!」
「お前、何ネタバレしてくれているでチューッ!?」
「残り三分。スケーリーフットっ! 俺達を倒すなら三分以内だ!」
こう叫んだ時にはスケーリーフットは動き出していた。
左右の戦闘員を二本の腕で同時に吹き飛ばす。ニーマルラットへ回転蹴りを放つ。重厚な足が通り過ぎて行く風圧をヘルメットの表面に受ける。
「ぐふぇ。こんな馬鹿の所為で作戦がチュ――」
「チューチューうるさい怪人め。ネズミが飲食店に現れるな!」
まともに鉄脚を受けたニーマルラットが壁へと衝突した。
スケーリーフットは容赦なく追撃。怪人の尻尾を掴んで軽く遠投する。自分が突入してきたガラス窓からニーマルラットを外へと投げ飛ばす。
「チューーッ」
アスファルトでバウンドしたニーマルラットは、次の着地を待たずに生体爆発する。爆風は大した事がなかった反面、閃光が店内を埋め尽くした。
「よくもオレ様をチューッ」
「スケーリーフットっ、後ろだ!」
「ッ! 怪人、覚悟!!」
閃光に紛れながら、ニーマルラットBが隠れていた厨房から現れた。
スケーリーフットは慌てずに死角からの攻撃を受け流し、カウンターで鉄拳を繰り出す。
ニーマルラットBは自慢の前歯を折られて転倒した。傍にいた俺も巻き込まれて床へと倒れていく。
戦闘服のお陰で倒れたぐらいでは衝撃をほとんど感じない。それでも、暴行の痛みが鋭く神経を伝わってくる。奥歯を噛んで、どうにか我慢する。
「スケーリーフットは……店外に出たのか」
倒れた時に体を拘束している針金が少し緩んだ。イモ虫のように体を動かせば脱出できそうである。
外の戦闘の行方は気になったが、俺にできる事はもうないだろう。傷だらけになるぐらいに十分に働いた。
今は一刻も早く、この場から退避する。ここに残ったままだと怪人を倒したヒーローが戻ってきた時にトドメを刺されてしまう。
床を這って拘束から脱出する。
息が苦しいためヘルメットを脱ぎ捨てて立ち上がる。
俺が本来いるべき場所。それは手洗い場。合コン中に怪人が出現してしまい、怖くて手洗い場から出られなくなった大学生を演じるため、痛む足を引きずって歩き出した。
体の傷は、用を足してきた戦闘員に暴行された事にしよう。警察や救急隊が現れる前に、気絶している春都とも話を合わせておかなければなるまい。
「あのスパイさえいなければ、オレ様がヒーローを倒したんだチューーッ。え、エヴォルン・コールに、栄光あれェェッ!!」
手洗い場へと逃げ込む。と、怪人の断末魔が聞こえていた。
飲食店を騒然とさせた怪人襲撃は、いつも通りヒーロー・スケーリーフットにより解決した。
襲われた飲食店も怪人保険に入っていたお陰で補償金が支払われるらしい。しばらく営業はできないかもしれないが、大都会ではよくある事のようで店長は割り切っていた。
ただ、あの日行われた合コンには一切の補償がない。都会人がいくら怪人に慣れているからといっても人質にされていたのだ。悪い経験を思い出したくないから、同じメンバーが集まる事も二度とないだろう。
酷く残念だ。
俺だってもう少しがんばれば彼女持ちになれたというのに。
『幼馴染:アァっ?』
いえ、何でもないです。
「誰に謝っているんだ、お前。そもそも、合コンでは芋しか食べていなかったくせに。ほら、差し入れ」
「春都はもう退院か」
「二郎と比べれば軽症みたいなものだ。いちおう、CTは受けたけどな」
全身を殴打された俺は全治二週間、二日の入院が言い渡されていた。大学の講義に出られず、単位が不安になってくる。
『幼馴染:それはそうと、大都会の暮らしに慣れた訳?』
「幼馴染の奴、まめだなぁ」
『幼馴染:そっちはもう少し私に連絡してきたら?』
先に退院する春都が病室から去っていく。家族には何も伝えていないので、一人暮らしの俺にはもう見舞いは現れないだろう。
誰も来ないのであれば、それはそれで気楽なものだ。カーテンを閉めて、知らない天井ごっこを楽しむためにベッドを倒して寝転がる。
「……二郎さんの病室で間違いありませんか?」
ふと、カーテンの向こう側から声をかけられて酷く驚く。
女性の声だったような。誰かのシルエットがカーテンに映っている。
「はい、自分は二郎で間違いありませんが。どちら様でしょうか?」
一体誰なのだろうか。
看護師。いや、まさか悪の結社、エヴォルン・コールが俺の入院先を特定して刺客を送りつけてきたのか。
「お店で一緒に食事した……五十鈴、五十鈴響子です。入院されたと聞いてお見舞いに」
……うん、違った。
――某所――
「ニーマルラットは与えたスペックを満足に発揮できず倒れたか」
カチカチ、と金属同士がかち合う音が暗い密閉空間で木霊する。
「所詮は実験動物の因子を埋め込んだ怪人でしかなかった。失敗作め」
金属音とは別に、老人の低い声質が響く。
「まあ、よい。次の怪人に期待しよう」
カチ、と最後に大きく音が鳴った。耳障りな金属音が停止する。
金属音の正体は、老人の義手だ。骨がむき出しになったかのような金属の義手。指を合わせて音を鳴らしていたのである。
義手の色は成金趣味のごとき金色だった。背を曲げた老人に似合っているとは思えない。
「進化計画の実行まで、多少以上に時間がかかる。計画実行まで実験は継続だ」
――更に某所――
「あの戦闘員は一体? エヴォルン・コールに内部分裂が起きている??」
コキコキ、と一仕事終えて凝った肩を鳴らすのは、オフタイムのヒーローである。
「いや、改造手術の副作用で精神異常を起しただけだ。戦闘員がヒーローの真似なんて、ありえない」
一般戦闘員も脳をいじられている。怪人ほどに姿形が変わっていなくても、中身は人間ではなくなっているのだ。たった一人が異常行動を起したからといって、意識し過ぎる事はない。
戦闘後にいなくなってしまい、結局、正体を調べられなかったのが気掛かりであるが、ドローン等を用いて捜索は続けられている。
「ん、連絡が。警戒ドローンからではない。……なんだ、モモから、何だろ??」




