VS.石田ミカ
五十鈴響子からの強いお誘いにより、アイドル石田ミカの握手会に行く事になった俺。
第二ヒーローとしてそれでいいのか、とチームメイトの春都や眼鏡先輩にお伺いしたが「え、第二ヒーローってそれぐらい緩いヒーローだろ」「リフレッシュしてくるといいよ」と温かく送り出されてしまった。
まあ、エヴォルン・コールの奴等は沈黙を保っている。研究室の片隅でビクビク震えながら奴等の襲撃を待つのもシャクなので、堂々と握手会に出かけてやろう。
「……はっ、約束した時間の一時間も前に到着してしまった」
駅前に午前九時集合と五十鈴と約束したのだが、スマートフォンに表示される現在時刻は午前八時。
俺とした事が、都会の交通の便の良さにまだ慣れておらず、移動時間を確保し過ぎてしまったようだ。大都会に来て既に四か月経過しているが。
アイドルとの握手が楽しみ過ぎて、目が早く覚めたからでは決してないので悪しからず。
「五十鈴さんも石田ミカのファンだったとは意外……でもないのか。それだけ人気のあるアイドルだ」
思えば、異性と二人っきりで出かけるのは人生初体験だ――こう思うと左手が勝手に動いて俺を殺しにかかるのだが、幼馴染の奴は異性というよりも異星人な思考の持ち主だったので。大事なアイツの形見のスマートフォンは、大事なので今日はタコ糸でグルグル巻きにしている。たまには幼馴染にもオフ日が欲しいのさ。悔しかったら、枕元に立ってみろ。
「五十鈴さん、か。何だかんだと縁の続く人だな」
目力が強く、意志も強そうな五十鈴。
ただ強いだけではなく、案外、面倒見が悪くない五十鈴。
そんな五十鈴と一日中行動すると思うと、アイドルの握手会とは異なる緊張感がある。普通に美人な女性なので、可能であれば距離を縮めておきたいものだ。
「とりあえず、カフェで時間を潰すか」
約束の時間までまだ長い。コーヒーでも飲みながらゆっくりと待つ事にしよう。
……そう思って周囲の店を物色していると、ふと、背中に誰かがぶつかってきた。幼馴染に背中から包丁で刺される感触やエヴォルン・コールの放った暗殺者の気配はしなかったので、単純に、通行人と接触してしまっただけだろう。
「ごめんなさいっ」
「いえ、こちらこそ。お怪我はありませんか」
接触してきた通行人は女性である。
帽子を深々と被り、サングラスをかけた不審者スタイル。夏の紫外線を気にしているだけというのがオチだと思われる。小顔のためか、最初からサイズが合っていないのか、サングラスが妙に大きく感じられる。
互いに転倒していない僅かな接触だった。お辞儀をして礼を尽くせば、後は離れるのみ。
「――っ、あ、あの。どこかで会った事はありませんか?」
そう思っていたのだが、女性に呼び止められて足を止めてしまう。
ナンパ以外で使う機会のなさそうな台詞を女性は言う。本当に会った事のある人間なら足を止めるし、本当に会っていなくても相手に興味があればやはり足を止める。ここで立ち去るケースは、呼び止めた相手に一切の興味がない場合だけだろう。
「その顔は、きっと、たぶん」
「えーと……?」
俺は……残念ながら女性の事は思い出せない。
いや、だが、待って欲しい。もう少し慎重に行動しようではないか。
自分の記憶を百パーセント正しいと信じている人間程に、信じられない人間はいない。そういう人間ほど、スマートフォンを無くしたと騒いだ後でカバンの中から発見するのである。
今は思い出せないかもしれないが、一緒にコーヒーを飲めば思い出せる可能性もゼロではない。
……うんっ、ちょっと待てよ。女性の事を思い出す前に、今日のスケジュールを思い出そう。
二兎追う者は一兎も得ず、と言うではないか。五十鈴と一緒に石田ミカの握手会に向かう。それだけでも二兎追っている気がしないでもないが、更に一兎追加してどうする。
「無念ですが、自分には覚えがありません」
「でも、貴方で間違いありません。貴方も、私の顔を見ればきっと思い出せるはず」
女性がサングラスの柄を持って下にズラし、顔を見せてくる。
色白で小顔。
クリっと大きく愛らしい目。
男女かかわらず憧れる美麗なる顔立ち。
同じ人間ではなく、美しい他種族ではないかと錯覚したくなる女性の名前は――、
「――石田ミカっ?!」
「しぃーッ。変装しているんですから、名前を言わないでください」
おかしい。握手会はミニライブの後なので午後一時からのはずである。まだ受付も始まっていない午前八時に、どうして、アイドル石田ミカが目前に立っているのだろうか。
握手会のルールでは手以外を握ってはならない。が、石田ミカは俺の口を手のひらで覆っている。
更に、手首を掴まれて連行される俺。明らかなルール違反であるが、抵抗できるはずがない。
「あっちのカフェに。今日は握手会があるので時間はないのですが、短時間だけでも」
「知っています」
「ぜひ、あの時のお礼をさせてください!」
カフェで時間を潰すのは予定通りなのだが、対面席にいる相手はアイドルの石田ミカ。
前世でどんな善行を積めば、アイドルとお茶できるのだろう。よくやった、前世の俺。
「あの時は本当にありがとうございました」
「来世の参考にするので、ぜひ、前世の俺が何をしたのか教えてくれませんか?」
「前世? そこまで過去の事ではなく。去年の春に、大都会駅で」
去年の春。
大都会駅。
忘れたくても忘れられない。白いパワードスーツ姿がフラッシュバックして、テーブルの下で左手を握り締めてしまう。
「あの、大丈夫ですか。顔が青いですが」
「すいません。大都会駅にはトラウマが」
「まさかっ、あの直後に起きた事故に……。ごめんなさい。私ばかりが喜んでしまって、すいません」
せっかくアイドルとお茶しているのに、暗い気分になってしまうのは損だ。ホワイト・ナイトの事は忘れて、努めて明るい表情を作る。
「石田ミカさんはテレビで常々観ていますが。本当に自分と石田ミカさんが以前に?」
「ほんの数分の出来事でしたので。でも、あの時、貴方が警告してくれたおかげで私は命が救われたんです!」
あの石田ミカが俺だけに微笑んでくれている。命の恩人と接しているのならばありえる表情なのだが、俺の方には一切の覚えがない。
そもそも、大都会駅に到着して一時間後には事件に巻き込まれている。アイドルの命を救うようなイベントをこなしていられる時間的余裕はない。
更に言うと、俺は幼馴染と一緒に行動していたのだ。アイツが隣にいたというのに、他の女――しかも幼馴染よりもスペックが上――に構ったとすれば、命にかかわ……あっ。
――一年前、春――
「すごいな。これだけ人がいれば、一人は芸能人がいてもおかしくはないぞ」
「馬鹿言っていないで。離れると迷子になるわよ」
初めての大都会駅。祭りのごとく人々が行き交うターミナルが新鮮で、ただただ圧倒されてしまう。
「ほら、あそこの店の中にいる人。石田ミカに似ていないか?」
「……石田、ミカ? 今、女の名前を口走った? 何? 私が隣にいるのに別の女? ハハ、笑う」
「はっ!? マズッ」
本当に圧倒されていたのは、隣の女にだったが。大都会到着早々、悪魔の尻尾を捻るように踏んでしまった。
隣で膨れ上がる殺気の鎌首が石田ミカ似の女性を指向していると察した俺は、即座に人込みの中へと突入する。
駅構内で軽食を取っているだけだったはずの女性に命の危機を伝えるべく、サラリーマンや観光客の迷惑を考えず、最速で駆け抜けた。
「君、ここにいたら危険だッ。いますぐ離れるんだ!!」
「えっ、いきなり何を??」
アボカドサラダを注文し、食べる直前だった石田ミカ似の女性の手を掴む。
無銭飲食をさせないために、テーブルの上に千円札を叩きつけ――、
「お客様、千円では足りません!?」
――二千円札を叩きつけて、女性を無理やり店外へと脱出させた。
「ちょっと、離してください!」
「信じられないと思う。けれども、信じて欲しいッ! 君は危険なんだ。このままここにいると、君は確実に死ぬ!!」
過去の人生で繰り返された幼馴染の凶行を思い出しながらだったので、俺の目にはリアルな真剣さが浮かび上がっている。突然、男に逃げろと言われて混乱しているはずの女性であっても感じ取れる程だったに違いない。
「……分かりました。今日は、帰ります」
「ありがとう。信じてくれて」
サングラスと帽子をした女性は、俺を全面的に信じた訳ではなかったはずだが、それでもこの場から離れてくれた。お陰で女性の命は助かった。混雑が止まない通路の向こう側に女性の姿が消えてくれた。
「ジ、ロ、オぉぉぉ?」
なお、俺の命は風前の灯火である。
「……ユヅルハ。暴力系ヒロインなんて絶滅危惧種でいるから、高校時代に俺と恋人関係になっていないって自覚はあるのか。まったく、やれやれな女だぜ。幼馴染の時点で負けヒロイン確定の癖に、もう少し成長しろよ」
「…………ふふふ、安心して。私は呪怨系だから」
「おい、硬直させた笑顔で近づいてどうした。俺の手を今すぐに離すんだ。地下鉄のホームに移動しようとして何を……ッ、電車が、来ているぞッ! 止めろ、離っ、ひぃ。う、ぎゃああァッ!!」




