VS.凍りついた空気
「おい、大丈夫か! 春都っ!」
「あぁ……二郎。戦闘員は?」
「泡になって消えた。もう大丈夫だ」
気絶して倒れていた春都の頬を叩く。意識は取り戻したが、落下時に片足を痛めたらしく顔をしかめている。
「戦闘員は何人倒しても補充される。怪人をどうにかしないと、この店はお終いだ。合コンも当然、終わってしまう」
「喋るな、春都! 捻挫が体にさわる。寿命が縮むぞ」
「クソ、こんな足でなければっ。アプリで通報したが、怪人を倒せるのはヒーロー・スケーリーフットだけだ!」
春都はここで脱落しなければならない己が悔しくて仕方がなさそうだ。悔しさや無念を、俺のズボンを掴みながら訴えてくる。目には涙さえ浮かべていた。
「頼む。二郎! ヒーローが現れるまででいいから、お前が怪人をどうにかしてくれ!」
……無念なのは分かるが、無茶を言うなよ。
店を占拠した怪人、ニーマルラットは合コン席へと戻ってきた。
席を立っていた理由はドリンクバーで皆のウーロン茶を注いでいたからではない。店の前に現れた警察のパトカーを破壊しに行っていたからである。
「給料でしか治安を守れぬ公僕が、志の高さで上回る怪人に勝てる訳がないのだ。チューチュ!」
店のトイレに隠れる市民からの通報により警察は急行したものの、重機並みの腕力を誇る怪人に勝てるはずがなかった。
白黒カラーの車両は横転させられ、道路にはフロントガラスの破片が散らばっている。拳銃で応戦しようとした警部補は大きく跳ね飛ばされて負傷。後からやってきた救急車に搬送されていった。
面目を物理的に潰された警察であるが、店内には人質として店員や客が残っている。強硬手段を取れず遠くから店を包囲するしかない。
「それにしても、いつもならもうスケーリーフットがやってくるはずでチュー。奴め、今日は定休日か? このニーマルラット様が倒してやったものを」
悪の組織エヴォルン・コールは強大だった。
数多く現れる戦闘員でさえ、人類の平均値を大きく上回る戦闘力を有する。そして、その戦闘員の上に立つ怪人は更に異常だ。象と比肩する腕力だけでも脅威だというのに、常識的には理解し難い怪人技さえも有している。警察組織で対抗するのは無理があった。
エヴォルン・コールの唯一の天敵は、怪人と同等以上の身体能力を持つヒーローである。
しかし……いつもはすぐに現れるヒーロー・スケーリーフットが、怪人出現から三十分経過しても到着しなかった。怪人と同じぐらいに謎の存在であるヒーローの連絡先は誰も知らないため、理由を訊ねる事さえできない。
ヒーローが怪人を倒してくれるという甘い日常に助けられていた人質達の間に、動揺が走り始めていた。
「チューチュ! こんなに狭い場所で俺様とスケーリーフットが戦えば、店の廃業確定だがな! チューチュ!」
必死に泣きつく店長を足蹴にして、ニーマルラットは着席する。
合コン席には合計七人。通路側の椅子が一つ空席のままだ。
「チュー? まだ戦闘員二〇〇一号は戻ってきていないのか? 遅いな」
部下想いなニーマルラットは中腰となる。トイレに消えた戦闘員が急病で倒れていないか確かめようと立ち上が――、
「い、ぃー」
――タイミング良く、戦闘員がトイレから戻ってきた。
体に密着する黒い密着スーツで全身を覆った個性的な姿であるが、だからこそ着る者の個性が薄れてしまう戦闘員。外から分かるのは身長ぐらいなものだ。
「よし、戻った……お前、その頭は何だ? どうしてヘルメットを被っている??」
ただ、トイレから帰還した戦闘員は、何故かオートバイ用の黒いフルフェイスヘルメットを装備していた。
ヘルメットの入手元は店内だろう。店長の趣味らしく、トロフィーと一緒に飾られていた展示物を拝借したらしい。
高かったと泣きついてくる店長をニーマルラットが踏み付ける。
「盗むとは何て悪い戦闘員なのだ。将来が末恐ろしい」
「い、ぃーっ」
「なに、覆面が伸びてしまって代用?? 何故、トイレに行って覆面が?? お前の用足しは独特が過ぎる。改造のし過ぎではないか」
「いぃ?」
「良いも悪いも、戦闘員は簡易身体改造の代償で酸素の毒性に耐えられない。入社研修で習っただろうに。ともかく、伸びた覆面を密着させるためなら仕方あるまい」
「いぃー!」
ヘルメットの戦闘員はニーマルラットの隣に座った。これでようやく合コンを再開できる。
戦闘員はテーブルにあるフライドポテトに手を伸ばそうとして……真正面からの強い眼力により指を停止させてしまう。
対面席にいる合コン相手、大学一年の五十鈴響子だ。彼女が、人を呪い殺しそうな据わった目で戦闘員を睨んでいた。
ただの一般市民、それも女性に怖気付いて戦闘員はフライドポテトの皿を五十鈴に近づける。
「……別に欲しい訳ではないわよ」
戦闘員はケチャップを小皿に出してから、フライドポテトと共に改めて五十鈴へと提供する。
「いらないって言っているでしょ! そもそも、ヘルメットを被ったまま、貴方はどうやって食べるつもりだったのよっ」
席の端で行われる戦闘員と五十鈴の言い合いで、合コンの空気は最悪だった。
いや、もう合コンどころではなかったのだ。参加者は誰も口を開かずに足元ばかりを見続けている。怪人が現れた当初は、怪人の気分を損なわないように場を繕っていた眼鏡の大学生でさえ、明るい話題を見つけられず黙り込んでいた。
怪人に支配されて、ヒーローは助けに現れない。
この精神的重圧にとうとう耐え切れず、ニーマルラットの対面席にいた大学一年の女子、百井直美がヒステリックに叫ぶ。
「私ッ、怪人と一緒なんてもう耐え切れないッ!!」
空気が悪くなっていた店内であるが、今ほどに凍り付いてはいなかった。
身の安全を考えれば百井の発言は何としても止めるべきであったが、口から出た言葉はもう体内へと戻せない。
「どうしてヒーローは助けに現れてくれないの!? ネズミって細菌だらけで汚いのよ! こんなネズミの姿をした汚い怪人、さっさと始末してよ!」
ただ、今からでも百井の口を塞ぐべきだったのだろう。
誰も口を塞ごうとしないから、百井に侮蔑されたニーマルラット本人が手を伸ばしてしまう。
怪人の筋力はパトカーを横転させる程に高い。掴んだ鉄板が指の形に凹むぐらいに握力が高い。うるさい大学生の口を掴めば、顎の骨ごと粉砕してしまうのは間違いなかった。
「誰が汚らしいネズミだチュー?」
「ひぃっ」
誰もがこの後に起きる悲劇を予想したが、怪人の手を止める事はできなかった。
百井は発言を後悔して目を瞑る。
隣の五十鈴は奥歯をガリっと鳴らす程に噛み締める。
他の合コン参加者達は目を背けた。
そして、ニーマルラットの手は――、
「いぃー」
――戦闘員の手に掴まれて、百井に届く前に停止してしまう。
「何の真似だチュー、戦闘員二〇〇一号?」
「……こういう事だ、ネズミ野郎!」
ニーマルラットの疑問に対して、戦闘員は拳で答える。




