VS.立ち食い蕎麦
PC復活しました!
……一番大変だったのはofficeのアカウントが分からなかった事でした。
春都という名前の大学生が一人、電車に揺られている。
酷く疲れている様子だ。一定間隔で続くゆりかごのごとき車両の揺れ動きに、頭を前後させて、目蓋が重たそうだ。
「――はッ!? 眠っていた、のか? とても恐ろしい悪夢を見ていた。まるで動かなくなったHDDの中に取り残されたような……。永遠に閉ざされた闇の中にいて、この話がお蔵入りしてしまうような……。末恐ろしい夢、だった……?」
コマンドプロンプトによるXCOPY様々である。
閑話休題。
眼鏡先輩という強力な助っ人の参戦により第二ヒーローチームから戦力外通告を受け、春都はただ一人、大学を去っている最中ではない。
第二ヒーローチームは今後、可能な限り固まって行動する方針が決まった。暫定的であるが大学を拠点にする。生活の基盤を眼鏡先輩の研究室に移すのだ。
そのためにも、春都は自分の賃貸マンションへと貴重品や衣類を取りに戻っている。いつまで続くか分からないヒーロー活動。長期化を既に覚悟していた。
「最後に飯を食べたのはいつだっけ。腹が減ったな」
最後の食事が、怪人レッド・ドラゴンと交戦する前に食べたのがコンビニ飯だった事さえも忘れている春都。電車を降りた彼は、漂ってくる蕎麦の匂いにより空腹を思い出していた。
匂いに誘われて歩いてみれば、立ち食い蕎麦屋が近場にあった。
春都の認識はそこでいったん途切れる。次の瞬間には、手に食券が握られていた。というか、カウンターで蕎麦を待っていた。想像以上の空腹だったらしく本能が認識を凌駕したのだろう。
「まずは蕎麦湯で胃を温めてからじゃないとな」
冬場でエンジンを温めてから車をスタートさせるように、セルフサービスの蕎麦湯を飲んで体に蕎麦を食べるぞ、と伝える。
飲み終えるのと、頼んだザル蕎麦が届くのはほぼ同時だった。
待ってましたと春都は割りばしを割り、蕎麦へと口をつけ――。
「――が、がんばって。がんばるのよ、私! 怪人としての第二の人生を、きちんと過ごすのよ、私!」
――ようとしたが、隣席にトレーが置かれた音に最初の一口を邪魔された。
隣席にいたのは、モコモコした帽子を被った長髪の女であった。年は春都と同じぐらい。つまりは女子大学生と思われる。似合っていなくはないものの、この季節に被る帽子にしては暑苦しそうだ。
最近は立ち食い蕎麦に女性が訪れる事も珍しくはない。春都は気にする事なく蕎麦を食べた。普通の味わいのはずだが、とても旨そうにズルズル音を立てた。
「でも、怪人らしく悪い事って何をすれば。そうだわ、食い逃げをすれば……っ、この店は食券での先払いじゃない!? 悪事ができない、良かった……じゃないでしょう。私!」
腹が減っている春都には隣席の独り言など聞こえない。日本で蕎麦を食う分にはヌードルハラスメントなど知った事ではないとズルズル食べる。
「悪事を働いて、人々を困らせる事件を起こして、怪人としての性能で突破してみせないと。また怒られちゃう。うーん、折檻は嫌だよぅ」
隣席の帽子女も、独り言を言いつつズルズルと蕎麦を食べている。目に涙を浮かべているのは蕎麦が美味しいからだろうか。
春都はあっという間にザル蕎麦を完食した。が、離席せずに蕎麦湯を追加して、ゆっくりと飲んでいる。店の回転率を悪くする駄目な客である。そんな悪事を働くなんて、もしかすると春都は怪人かもしれない。
「――決心なさい、私。悪事を、するわよっ」
春都がなかなか動かないため、後から食事を開始していたはずの帽子女が先に動いた。
席に置いてあるトレーを持たずに、そのまま店の外に出て行こうとしている。意図的な行為だとすると悪い客だ。そんな悪事を働くなんて、もしかすると帽子女は怪人かもしれない。
「食った。食った。美味かった」
女が店の外に出ようとしているタイミングで、春都は動いた。
自分の席のトレーと、隣席に置いてあったトレーを二つ持って、カウンターの隣にある返却口へと持っていく。
春都の行動に気付いた帽子女が唖然としながらも、どこか安心した表情を作っていた。
「う、うわーんっ!」
帽子女は自分が安心したと気付いた瞬間にまた涙を浮かべて、店外へと走り去った。
「……世は並べて事もなし」
春都は食事に満足したような表情だ。やはり、蕎麦の味は値段相応である。
――十分後、駅近くの路地――
「ちょーっと、ボランティアしてくれないかなぁ。電車乗るのに金がなくてさぁ」
世は世紀末並みに荒れているらしく、春都はチンピラに絡まれていた。平和ボケした顔をしていたため狙い易く思われてしまったらしい。
「電子マネーが普及している世の中で、その台詞に無理があると思いません?」
「うっせぇ! こっちが紳士的にお願いしていればつけ上がりやがって。早く金を出しやがれ」
怪人事件ばかりが目立つ大都会であるが、一般的な犯罪も普通に発生している。
いや、怪人や悪の秘密結社が蔓延っている所為で、一般犯罪の発生率も多少以上に増えているかもしれない。積極的にとはいえ怪人事件と数度遭遇している不運な男たる春都だ――大学での友人選びに失敗したのが春都最大の不運だ。チンピラに金品を要求されるような有りそうな事件の当事者となるぐらい、造作もない。
頼りのスケーリーフットは一般犯罪を無視するタイプのヒーローだったため、現状では当てにできない。
「ほーら、ジャンプしてみろ」
「だから電子マネー全盛期にそれって。しかも音のなる硬貨で喜ぶってお前等、フケて見えて中学生か?」
「あァ?! やっちまうぞ!」
前を二人、後ろを一人。ガラの悪い連中に囲まれて春都は弱っていた。
こういう時にこそ、いつも迷惑ばかりかけてくる友人を頼りにするべきなのかもしれない。が、春都はスマートフォンのコールボタンをプッシュしない。
どうにも襷に長いのだ。怪人が現れた訳でもないのに第二ヒーローを呼ぶのは無駄が過ぎる。
理論的に考えても、悪の秘密結社にマークされている第二ヒーローの登場は必要最小限に抑える必要がある。
何よりも、悪人の一種たるチンピラが相手であっても、第二ヒーローに人間を襲わせるのは違うだろうと考えていた。仮に対戦させた場合、第二ヒーローが嬉々としてチンピラを掃討する未来が容易に想像できてしまったのが溜息の原因だ。
「はぁぁぁ……」
「さっさと出せ!」
「分かりました。はぁ」
仕方がない、と項垂れながら春都は財布を開く。入っている現金はそう多くないので被害は最小で済むだろうと計算を完了させてから。
春都はたった一枚しかない札、千円札を取り出す。本当に現金をほとんど所持していないのか、この男。
当然、それでチンピラが納得する訳がない。
「舐めんじゃねえぇぞッ!! 二千円札ぐらい用意してやが――」
チンピラAは拳を振り上げて春都を殴打しようとした。
そして……チンピラAは視界外から登場した襲撃者の攻撃で、壁に激突する。
「ぐはァっ?!」
壁に体を張りつかせたピクトグラムっぽい恰好のまま落ちていく。そういった玩具みたいな挙動でチンピラAは倒れていく。完全に失神しているのか立ち上がろうとしない。
「おい、どこから攻撃が、かァ!」
「ひぃぃ、うげっ!?」
残るチンピラB、Cも流れ作業のように殴打されてノックダウンだ。二人を襲った何者かの気配は、姿を認識させる暇さえ与えず、跳躍によって位置移動を繰り返していた。
短時間で路地に立っている人間は春都だけとなる。チンピラを襲撃した謎の襲撃者の影は、地上を探してもどこにもいない。
当事者の一人でありながら春都には何が起きているのか分からない。
分からないが……、路地に自分以外の何者かがいると察知して周囲を探った。
「上かっ!」
春都がビルに挟まれた夜空を見上げると、そこには浮遊している赤い点が八つ。
春都の真上に、赤く光る眼のようなものが浮かんでいる。体の形は暗くて分からない。
スマートフォンを向けて撮影を試みる春都だったが、赤い点が高い敏捷性を活かして屋根の上へと去ってしまって失敗に終わる。チンピラを襲った素早さがあれば、簡単な動きだっただろう。
チンピラだけが襲われたのであれば幸運な出来事だったと言える。千円を奪われずに済んだ春都としては謎の赤い点に感謝しても、文句を言うシーンではない。
「人間離れした動き。――まさか怪人が、俺を助けた??」
赤い点の正体が分からないため、春都の想像は答えに結びつかない。
情けで救急車の手配だけ行い、春都は路地を立ち去った。
荷物を取りに家へと戻っていた春都は、次の日の朝に戻ってきた。これで大学の外を出歩いても無事でいられるという証明になったな。俺も一度帰宅しておくか。
「春都、何か事件はなかったか?」
かばん一つと紙袋を二つを研究室に運び込んだ春都は、横に首を振る。
「事件なんてそうそう起きないさ」




