VS.エヴォルン・コールの固有名詞
大都会を大きく一回りして大学へと戻ってきたのは翌日の朝。
途中、自動運転にしていたものの、半日以上ドライビングしてくれた眼鏡先輩には感謝し切れない。逃走の疲労は、戦闘の疲労に勝るものがある。
眼鏡先輩も春都も俺も、一週間冷蔵庫に放置されたレタスのような相貌だったため、研究室のベッドに倒れて休む。次に目覚めた時には、もう空は暗かった。
顔を洗い、春都の淹れたコーヒーを飲む。
昨日の怪人事件の報道を確認し、第二ヒーローについては一切報道されていないと知る。レッド・ドラゴンについては行方不明とされていた。世間は何も変わっていない。
一息ついたなら、次は三人での話し合いだ。
「今回は危なかった。助かりました、先輩」
「先輩が用意した車はどうなりましたか?」
「無人タクシーを匿名手配したのだけど、レンタル状況を見るに帰ってきていないね。デコイとしての役目を果たしてくれたらしい。業者には悪い事をした」
エヴォルン・コールの戦闘員に囲まれて車両一台の損失ならお釣りがくる。警察なんてパトカーを何台も潰している。
車を用意し、助けに現れてくれた眼鏡先輩には感謝し切れない。文字通りの命の恩人である。
「改めて感謝します。先輩」
「本当に無茶をしたね。君達は何と戦っているのか分かって……いるのだろうけど。それにしても無茶だ」
責めるように諭すように、されど、高圧さは皆無なのが眼鏡先輩の口調だ。
先輩の立場ならば、当然、第二ヒーローなどという胡散臭い活動を止めるよう言うだろう。後輩が怪人と戦っていました、という事実を知った先輩の反応としては随分と優しい。
「無茶は承知です。それが、俺が大都会にやってきた理由ですから」
「春都君もかい?」
「自分は二郎の奴をけしかけたケジメがあるので」
「……ただの無茶で、あの組織の怪人を倒せるとは思わない。小言は止めて、もっと現実的な話をしようか」
ふと立ち上がった先輩は、研究室の奥にあるドアのロックを解除した。俺達を中へと案内する。
てっきり、教授の部屋だと思っていたそのドアは、何というか……研究室という言葉が本当に似合う部屋だった。大学生の溜まり場ではなく、歴とした研究の場だった。
夏でも涼しいサーバー室と、ラックの中でチカチカと光るサーバーPC。
絵画のごとく壁に飾られた大型ディスプレイが数枚。
複合素材を編み込める高級な3Dプリンタも当然設置済みだ。最近発表されたばかりの上位機種、分子レベルで物体を生成する物質プリンタまで存在した。
他にも用途の分からない機材は多いが割愛する。眼鏡先輩が怪しい機材を自由に使える事さえ分かればよい。
「自分は以前からあの組織の調査を依頼されて関わっていたんだ。まあ、最近はその依頼自体が途絶えていたのだけど」
「あの組織というのはエヴォルン・コールですよね」
「エヴォルン・コール。進化の呼び声。そう名乗り出したのは去年の春頃からになる。それ以前は本当に正体不明の秘密結社だった」
どうして学生でしかない眼鏡先輩がエヴォルン・コールを調査しているのか。
答えは単純。以前に春都が言っていた通り、眼鏡先輩が天才だかららしい。先輩自身は――、
「教授も頭を抱える怪人事件を調査するのに、暇な学生が駆り出されただけだよ」
――と謙遜しているが、専門家も匙を暴投する怪人に対して、科学的な調査を行えている時点で先輩がただの学生ではないのは確かである。
「いや、本当に僕は、政府に外注されていた仕事を請け負っていたに過ぎないんだ。あの組織についての情報は、今戦っている君達の方が詳しいかもしれない」
「情報共有してもらえませんか、先輩?」
「そのつもりで君達を助けた。第二ヒーローに僕も参加させて欲しい」
第二ヒーローチームに強力な助っ人が参戦してくれた。一本の春都は折れ易いが、俺と眼鏡先輩の二人がいれば悪の秘密組織にも対抗できるというものだ。
「俺を妙な単位で数えるな」
眼鏡先輩はキーボードを操作する。壁掛けディスプレイに表示されたのは服の展開図らしきものだ。詳細が描かれているが、残念ながら専門的過ぎて何も読み取れない。
「僕が委託されていたのは戦闘服の解析だった。組成は絹に近いようだけど、どのようにして機能を発揮しているのかは結局分かっていない」
「データではなく、本物はありますか?」
「完全な一着と、数枚の切れ端ならあるよ」
眼鏡先輩が調査している戦闘服は、俺が使っている戦闘服と細部が異なった。俺が使っている方が新しいのだが、微妙に生地が薄く感じる。
「人が着ている間だけパワーアシストを発揮する。防刃、防弾、耐火、耐電、耐寒。耐性について無いものを探す方が難しいね。切るだけでも一苦労さ」
「先輩なら戦闘服の機能アップは可能です?」
「第二ヒーローの戦闘服を後で見せて欲しい。少しは役立てるところを見せるさ」
本人の申告通り、眼鏡先輩の知識はエヴォルン・コールの一部、戦闘服に限定されているようだ。調査を依頼された戦闘服のスペックを調べてはいたが、悪の秘密結社と戦っていた訳ではない。
「成果を上げられない僕だから、上から情報が下りてこないのかもしれない」
「先輩に調査依頼していたのは政府機関だったのですか?」
「直接の依頼元は教授か大学になるのかな。玄孫受けぐらいになると思う」
「先輩の言った通りですけど、微妙な立場なのですね」
そう言うと春都に怒られた。偉ぶれる程に俺がエヴォルン・コールについて何か知っているのかと言われてしまう。
「少なくとも、俺は秘密結社の重要人物と計画の名前を知っている」
怪人レッド・ドラゴン戦は決して無駄ではなかった。
悪の秘密結社の重要人物について、レッド・ドラゴンは口走った。その証拠は、第二ヒーローの仮面に内臓されたカメラに記録されている。
『――ギャアアアアッ、デ、デスソースゥゥゥウウッ!!』
「デスソース。それが悪の秘密組織の重要人物の名前っ!」
「あ、先輩。もう少し後のシーンです」
レッド・ドラゴンに口走った自覚はなかっただろう。だからこそ、怪人を生み出した人物の名前を明かしてしまったのだ。
『――お前は子供の頃にナメクジに塩をかけていた人種で間違いないドラ! 塩だけでは飽き足らず砂糖もかけていたに違いないドラ! 怪人を生み出したドクトル・Gにも劣らぬ狂気さよ――』
更に怪人は、秘密結社の計画名についても口走った。
『――旧人類は滅びるドラ。進化計画の後、地球には新人類の時代がやって来る――』
第二ヒーローの仮面とディスプレイをケーブル接続して、記録映像を三人で確認した。手振れ補正の甘い一人称視点に吐き気を覚えながらも必死に視聴した結果、やはり、レッド・ドラゴンは重要な情報を喋っている。
名前が分かっただけだ。こう人によっては過小評価するかもしれない。
だが、固有名詞が分かった事を前進と呼ばずなんと言う。名前さえ分からず漠然としていた何かを言霊で縛りつけたのだ。朧げだった悪の秘密結社の形が見えてきた。
「ドクトル・G。本名ではないにしろ、ドクトルから推察するに博士か医師。資格を示しているのかもしれない」
「進化計画。怪人と化す事を進化と呼称しているとすれば、奴等の狙いは怪人の増産か強化になるのか」
眼鏡先輩と春都は名前に注目しただけで、敵をある程度想定できている。それだけ名前は重要なのだ。
そして、俺は――、
『――白というと、ホワイト・ナイトの奴ドラ?』
――俺の敵かもしれない奴の名前を注目し、酷く笑っていた。
『幼馴染:………………………………』




