VS.映画窃盗
一通りの予告編が終了して、ホールが一層暗くなる。映画の撮影、録音を禁止する旨を伝えるコメディ感が溢れるのに真剣な内容のショートムービーが始まる寸前だ。
「春都。映画は二時間だっけ?」
「いや、三時間」
「長ッ」
想像以上の大作だった。途中で催してしまわないように席を立つ。俺と同じ考えに至ったのか春都も立ち上がった。
「眼鏡先輩。化粧室に行ってきます!」
「眼鏡先輩。自然が呼んでいるので行ってきます!」
「君達、仲が良いね」
映画が始まるまで一、二分しか猶予がないはずだ。スクリーンに影を落とさないように忍者のごとく身を屈めて出口へと向かう。
『怪人技“模倣するは猫”を喰らうだニャー』
後ろで猫の声っぽいものが聞こえてきたが、ここは館内。きっと気のせいだ。
ラップタイムで、かつ丁寧に用事を済ませた俺と春都は再びEホールへと戻ってきた。
どうやらまだ映画はオープニングも始まっていないらしく、スクリーン上ではカメラヘッドのパントマイマーが不思議な踊りを踊っている。
『映画の撮影、録音は犯罪です』
パトランプのパントマイマーが現れて、映画を撮影していたカメラヘッドを追い詰める。定番の名シーンだ。
『でも、バレなきゃ犯罪は犯罪じゃないニャー』
ふと、パトランプが通り過ぎる観客席に、横長の楕円顔をした猫人間が座っていた。シルエットみたいな黒猫で、実写的というよりもアニメ的な顔付きだ。
猫人間の手にはしっかりとデジガメが握られていたが……パトランプは気付かずに素通りしてしまう。
「……春都。こんなシーン、今まであったか?」
「新バージョンなのだろう。新キャラが増える事は今までもあった」
カメラヘッドが連行されていくのを尻目に、猫人間はニシシと笑いながら違法撮影を続けていた。
『また、ネットで違法にアップロードされたものと知りながら、映画をダウンロードするのも犯罪です』
シーンが切り替わる。
自宅でパソコンを楽しみながら、一般ジュースヘッドがいかにも怪しいサイトから映画をダウンロードしている。直後に現行犯逮捕。身内に警察がいるご家庭だというのに大胆な犯行だった。
『でも、知らなかったんじゃ仕方ないニャー』
逮捕劇を尻目に、隣部屋にいる猫人間が悠々と違法映画をダウンロードして視聴し始めた。
「あの猫、やりたい放題だな」
「……どういう注意喚起なんだ?? というか何故、猫だけ動物なんだ」
隣に座る春都と顔を見合わせて首を捻る。
『NO MORE 映画窃盗!』
『AT MORE 映画窃盗ニャー! 皆、我輩を真似して映画を窃盗するんだニャー!』
気配が一斉に、全方向から感じる。
館内を見渡すと、俺と春都を除く観客全員がスマートフォンを取り出していた。カメラモードを起動して録画ボタンに指をかけている。スマートフォンを持たないご老人は筆と墨汁を取り出して映画の模写を開始できる態勢を整えた。
観客全員なので、眼鏡先輩と女性三人も同じ行動を取っている。
「どうしたんですか、眼鏡先輩?!」
「どうしたって映画窃盗だよ。当たり前だろ。それよりも、そろそろ映画が始まるから静かにしていようね」
制止しようと声をかけたが、眼鏡先輩は聞いてくれない。むしろ、スマートフォンを取り出していない俺を異端視する視線を向けてくるだけだった。
『ニャハハ。ちなみに、映画窃盗は懲役五年以下か罰金二十万だニャー。もちろん、観客席の状況はばっちり録画しているから証拠は十分。吾輩は優しいから罰金だけで勘弁してやるだニャー。二十万円かける百人で二千万! 今日もウハウハだニャー』
女性三人の人柄は分からないが、眼鏡先輩は良い人だ。こんな犯罪行為をする人ではない。
「大変だ。眼鏡先輩がおかしい」
「そうでなくても、観客全員が揃って撮影準備するなんて異常が過ぎる」
俺と春都が出ていた僅かな時間の間に何かが起きた。
戻ってきた時に覚えた違和感は、スクリーンに映し出される猫人間の行動か。犯罪を防止するための映像が、犯罪を喚起する映像に差し替えられていた。明らかにおかしいはずなのに、観客達は不気味な程に素直に映像に従い、映画窃盗に手を染めている。
手段は分からないものの、集団催眠で観客達を操っている。そうとしか思えない。地方都市では一考するに当たらない妄想でしかないだろうが、大都会では事情が異なる。
大都会には妄想のような出来事が発生するのだ。
……怪人の魔の手によって。
「まさか、先週遭遇したばかりだぞ。怪人事件は月一の頻度じゃなかったのか?」
顔を寄せ合って小声で春都と話し合う。残念ながら、正常な思考を行えているのは俺と春都だけなのだ。
「季節によってブレがあるのは確かだ。怪人が現れない月も過去になくはない」
「運が悪いにも程がある。クソ、このままだと眼鏡先輩達が映画窃盗で罰金二十万を支払う事になってしまう。学生にとっての二十万は果てしなく高い。下手をすれば消費者金融で金を借りて、利子を支払い続ける人生が待っている」
「先輩のような有望な若人の未来を奪うなんて。怪人には血も涙もないのか」
眼鏡先輩の不幸な未来を思って涙した。
絶対に怪人から先輩を救わねばならない。しかも、皆が催眠されて犯罪中の状況では警察を呼ぶ事はできない。少なくとも、単純な犯罪として処理されぬように、怪人の存在を暴いてからではないと無理だ。
映画上映は三時間。つまり、タイムリミットは三時間。
たった二人の男子大学生で切り抜けるには、酷く短い。
「それでも、やるぞ。春都」
「やるしかないぞ、二郎」
俺は、怪人を、決して許しはしない。
怪人を探すため、まずは外に出よう。
館内に怪人が潜んでいる可能性もゼロではなかったが、怪人の顔や格好はそこそこ目立つ。観客として紛れ込んでいる可能性は低い。
「先輩。この映画は素晴らしいです。売り切れる前にパンフを買ってきます!」
「先輩。ポテトを食べきってしまったので買ってきます!」
「おいおい。もう映画、始まるよ??」
強引な理由でEホールの外へと跳び出す。
「外に出て次はどうする?」
「怪人を捜索する前に、少し準備しておきたい」
怪人は関係者以外立ち入り禁止のバックヤードにいると予想される。客でしかない俺達とっては未知のエリアなので、まず入口を探す事から始めなければならない。
入口を発見できたとしても物事がスムーズに進むとは限らない。怪人を探し出すつもりが、逆に怪人に見付かってしまうアクシデントもあるだろう。
短時間ですべてのアクシデントに対処できるものではないが、丸腰で怪人を探したくはなかった。
「よし、二郎は装備を用意。俺は入口を探しておく。こういう場所でのアルバイト経験もあるから任せておけ」
「適材適所だな。十分後に合流しよう」
春都とは別行動を取った。
俺は肩かけカバンのベルトを握り締めながら、売店コーナーを目指す。