イヴを励ますために~⑦アンジュ(前編)
ミグシスが旅立ってから一年が経った。
最近のイヴを見て、アンジュは軽くため息をつく。
イヴは早朝に起きてグランと温室のハーブや庭の水やりをする。
その後、リングルとアダムの朝食作りのお手伝いをする。
朝食が出来たころには、マーサと一緒にロキとソニーの
朝の用意を手伝い、皆で朝食を取る。
朝食後は、セデスの師事を受け、午前中勉強をした後、
皆で昼食を取った後は、ロキとソニーのお昼寝の前の
読み聞かせをする。
そのまま二人とお昼寝するときもあれば、寝付いた
二人を撫でた後、自室で自習もしくは読書をし、
おやつの前にまた弟達を起こしに行く。
おやつを食べた後は弟達は外に遊びに出かけ、
イヴは木陰で二人を見守ったり、サリーに刺繍を習ったりする。
夕食前にマーサに入浴を促されて入った後は、
皆で夕食を取り、眠るまで家族団らんを過ごす。
頭痛がない日のイヴは、まるで前世の小学生が、
夏休み前に立てる『絶対三日坊主で終わる理想的な生活リズム』
のような生活を送っているのだ。
セデスやマーサに聞いた、あの国での物心ついてからの
イヴの生活も、これとほぼ同じだったと聞いたアンジュは、
イヴが、弱音を言ったり、愚痴を言ったり、駄々をこねたり、
我が儘を言ったりすることが苦手としていることに気づいた。
前世の(ユイ)も幼い頃に両親を亡くし、兄妹で、
親戚中をたらい回しされ、最終的に養護施設で
育った経験から、そういうことが出来ない性格に育ち、
(アイ)もまた、彼女そっくりに性格が似てしまったから、
彼女達が潰れてしまわないように、時折、苦心して
二人の気持ちを吐き出させていたのは、
夫で父親だった自分の役割だった。
イヴは勉強もお手伝いもよくしていて、親としては
文句もつけようもないが、ずっと頑張りすぎているのは、
よくないことだと、アンジュは考える。
今、イヴは気を張り詰めすぎている。必死になりすぎている。
イヴの体は前世の(アイ)同様、『頭痛持ち』である。
どんなに努力しても、どうにも出来ない(痛み)で
それらの努力が徒労に終わることの回数が少なくないのを、
アンジュは前世の妻と娘を見ているから知っている。
後できっと辛くなる。後できっと悲しくなる。
抗えない頭痛に、無力感を感じるのだ。
前世の(ユイ)も(アイ)も、同じ事をよくしていたので、
これはそろそろ自分の出番だぞ!と、
心は父ちゃんなアンジュは、まずはグランに
自分の計画を打ち明けにいった。
~~~~~
「母様!見て下さい!沢山のお水ですわ!!」
イヴは初めて見る海に驚き、喜んでいる。
アンジュはそれは塩水だと言うと、目を丸くし、
誰がこんなに沢山のお水にお塩を入れたのかと問う。
そんな(何故?どうして?)という質問攻めを
アンジュは、嬉しい気持ちで受けていた。
「そろそろ別荘に戻りましょう、イヴ。今夜は、
外でバーベキューにするとマーサが言っていましたよ!」
「ばーべきゅ?何ですか、それ?」
「ふふふっ、別荘に戻ってからのお楽しみですわ!」
「わ~!何だろう?楽しみです、ばーべきゅ!」
イヴはアンジュの手を引き、早く別荘に戻ろうと、急かせる。
アンジュは、ここに来て正解だったと、密かに思った。
あの数日後、アンジュはイヴとマーサとアイビーとサリーの5人で、
『女子旅』に出た。
この計画に男性達は難色を示したのだが、この旅が、
イヴには、どうしても必要だと言えば、彼らは渋々了承した。
姪っ子ラブのライトに海の傍の保養所を紹介してもらい、
イヴ専用馬車に乗って旅立った。
マーサとアイビーとサリーには、事前にこの旅の意図を話してある。
(影の一族)だった彼女達は見た目の年齢や外見を変えて、
周囲に溶け込むことができる。
それは見た目だけではなく、相手に合わせて、
色んな話が出来、対応が出来るということだ。
その彼女達の対応力に期待して、今回の計画を話したときに、
彼女達は非常に戸惑ったが、イヴのためだと説明すれば、
マーサは目の色を変え、『必ず、やり遂げて見せます!』と言って、
他の二人を説得してくれた。
旅立って海に着くまでは、ライト推薦の一流旅館に泊まった。
前世の記憶があるライトが治める国故、その旅館は
前世の日本と同じ内容のモノだった。
つまり上げ膳据え膳、何も家事をしなくても良い状態で、
マーサ達はイヴの前で、非日常を楽しむように、
羽根を伸ばしてくつろぎ、だらける姿を見せつけた。
普段の仕事の話はせず、旅先の露天で買った飲み物や
食べ物を歩きながら食べてみたり、旅で楽しかったことや
美味しかった食べ物の話をしたり、大浴場で鼻歌を歌ったり、
宿泊室のベッドの上で、ゴロンゴロン転がってみたり、
とりとめのないおしゃべりをしたり、ゲームをしたり、
枕投げをして、はしゃいでみせたり、
夜は怪談や自身の初恋話、旅先で見かけた男性の好み等々
話を弾ませ、寝坊なんかもしてみせた。
そして旅の間に、皆の弱点をもさらけ出した。
例えばマーサはどうしてもカタツムリが怖いといい、
あのヌメヌメを見ると鳥肌が立つと打ち明け、それに
ナメクジも嫌いだと、悲鳴を上げて、イヴにしがみついて見せた。
サリーは動物のぬいぐるみは好きだが、本物は苦手だと言った。
特に猫が苦手で近くにいるとクシャミが止まらなくなるのだと
打ち明けた。海が近づき、猫が多く見えるとサリーはクシャミで
涙を流し続け、イヴは慌てて手布を出した。
アイビーは実は寝相が悪いのだと言った。
旅行中、大部屋で皆で寝たのだが、最初にベッドで寝ていたのに、
起きたときには扉の前で寝ていたので、イヴは大層驚いていた。
そしてアンジュは・・・、
「母様、どうしてお鍋をクルリとかき混ぜただけなのに、
スープが空っぽに?それに母様が焼いたお肉真っ黒ですわよ?」
「「「アンジュ様!!お料理禁止です!!」」」
マーサとサリーとアイビーに羽交い締めにされて、
止められるほど、料理の才能は持ち合わせていなかった。
どうしてアンジュが取り分けようとした肉野菜は粉砕するのか、
どしてアンジュが暖めようとしたパンは丸焦げになるのか、
ずっとつきっきりで傍で見守っていても、それらを
食い止めることが出来ない不思議にサリーは頭を抱え、
アイビーは呆然とし、マーサは慌てて追加の食材を
取りに別荘に走った。・・・イヴは、空のお鍋を見て、
「・・・、母様でも出来ないことあるんですね・・・」
と、目をパチクリさせて驚いていた。
アンジュは食材をダメにしたことを詫びつつ、
自分のダメな所をイヴにさらけだした。
イヴの回りの大人達は皆優秀で勤勉だった。
グランもセデス達も働き者で、その仕事ぶりはとても優秀だった。
イヴが回りの大人達を、手本にするのは自然な流れとは言え、
あまりに手本が優秀すぎる。だからこそ・・・。
完璧に何でも出来る人間なんて存在しない。
大人でも失敗するし、大人になっても苦手なモノがあることや、
仕事をしないでも良いときは、自分の時間を楽しんだり、
だらけたり、怠けることを自分のためにあえてするという姿を、
アンジュはイヴに知って欲しかった。
前世でも旅行に連れて行き、生きるのには息抜きも必要だと、
二人に伝えた思い出が、アンジュにはあった。
今の二人にはセデス達がいる。
彼らは幼い頃からグランに仕えて、彼を守ってくれていた。
そしてイヴにも同じように仕えてくれている。
だけど忠実で勤勉で疲れ知らずな彼らは、手を抜くと
いうことが全くない。だらける、怠けるという概念さえ
持ち合わせていないようにも見えた。
もしかして乙女ゲームのキャラ設定故かとも思いつつも、
彼らに育てられたからこそ、グランやイヴは、
怠けるということを知らずに育ってしまったのだろうと
アンジュは考えた。
グランとのすれ違いが解消されてからは、アンジュは
二人きりの時に彼をウンと甘やかして、息抜きをさせている。
だからイヴが、ミグシスがいなくて、落ち込み、
気を張りすぎている今、上手に息抜きをすることを
教えるのも、父ちゃんの役目と思い、アンジュは、
ここにイヴを連れてきたのだ。
前世の自分がそうやっていたように、今世の自分もそうしただけ。
・・・なのに。
~~~~~
「父上に会いたいよー!母上に会いたいよ-!」
「ミグシスに会いたいですー!あと、頭が痛いのは、
もう嫌ですー!」
「お家に帰りたいよー!お祖父様の馬鹿ー!
剣の修行ばっかりは、嫌だー!!僕だって友達と遊んで
みたいー!帰りたいよー!」
「ずっとみんなに、心配をかけるのは嫌ー!なんで頭痛なんて
あるのー!!私もお日様の光をいっぱい浴びて、お友達と
遊んでみたいー!!」
「ずっと旅ばっかりは、もう嫌だー!勉強だってしなきゃ、
いけないのにー、お祖父様は剣ばっかりしろなんて!ひどいよー!!」
「お薬が効かなくて、みんなをがっかりさせたくないのー!
体はどこも悪くないのに、頭が痛いだけで動けないなんて嫌です-!」
黄昏に染まる海に向かって、泣きながら、
思い思いに叫ぶ二人の子ども。
頭痛のことで叫ぶのは、もちろんイヴ。
そして、家に帰りたい、両親に会いたいと泣く少年は・・・。
(何故、どうして、ここに!?)と混乱する気持ちを
表情に出さないように気を付けつつ、二人を見守る
アンジュは、見えない何かの力がイヴを逃がさないと
言っているように思えてきた。
イヴは、攻略対象者のトリプソンに出会ってしまったのだ。