イヴを励ますために~⑥グラン
昔、10才のころ、乗馬の催しに出席した時に、
ぎっくり腰になったヤーズ侯爵を、イミルグランは助けた。
貴族連中の前で、恥をかかなくてすんだと後日、
そのことをお礼に来たヤーズ侯爵は、イミルグランに
再婚した妻の腹にいる子が、娘ならもらってほしいと懇願した。
イミルグランの父親は、息子は美形だが不機嫌顔で中々婚約者に
なってくれる貴族がいなくて困っていたので、助かると言って、
渡りに船とばかりにこれを了承したため、
イミルグランにまだ生まれていない婚約者が出来た。
「本当なら5才になるまで、会いに行ってはいけないのだけど、
ヤーズ侯爵は、アンジュリーナが生まれた次の日に、
こっそり会わせてくれたんだ」
グランは仕事から帰って、夕食が出来るまで、
イヴの部屋で、イヴに手の平や指をマッサージされながら、
そんな昔話を始めた。
~~~~~
「イミルグラン様、そんなにウロウロ動き回っては、
(体の不調)がひどくなりますよ。もうすぐ、
会えるのですから、落ち着いて下さい」
従者姿のナィールが、部屋中を動き回るイミルグランを
宥めるために声を掛けた。
イミルグランは眉間の皺をグッと寄せた。
「ナィール、何だその言葉遣いは?普通に喋ってくれないと
私はもっと落ち着けないぞ!」
茶髪の長い前髪のナィールは、その前髪を掻きながら、
「おいおい、どこの世界に従者にタメ口許す公爵子息がいるんだよ!
俺は将来お前の忠臣になるんだから、言葉遣いだって、
今からちゃんとしとかないとダメなんだよ!」
ナィールは扉の向こうの気配を感じ、慌てて前髪を整えた。
扉が開き、恰幅のよいヤーズ侯爵がにこやかに入ってくる。
「お待たせしました、イミルグラン様。授乳が終わりましたので、
ご案内いたします!ささ、こちらにどうぞ!」
イミルグランは、眉間の皺を指で揉み、気合いを入れて
ヤーズ侯爵の後を続く。
ナィールは小声で、(おい、そこで気合い入れてどうする!
リラックス、リラックスだぞ、イミルグラン!
その顔だと、赤ちゃんに泣かれるぞ、おい!)と
言ってくれるが、どうしても緊張が抜けなかった。
(神様の子ども)のいる部屋に入る前に、手指の消毒を
終えた3人は、部屋に入った。
部屋に入るなり、元気の良い赤ん坊の泣き声が響き渡る。
ナィールは、大きなベビーベッドを見て、驚く。
(イミルグラン、赤ちゃんが2人もいるよ?)と
ヒソヒソ声を咎めることも無くヤーズ侯爵は豪快に笑う。
「ハッハッハ!!こちらは私の孫娘のルナーベルで、
こちらの元気に泣いている方が娘のアンジュリーナです。
アンジュリーナは昨日生まれてから寝ている時以外は泣きっぱなし
なんですよ!ルナーベルはあまり泣かない子でして、
もし、ルナーベルの方が良いなら、婚約者はルナーベルに
しましょうか?」
ヤーズ侯爵のこの物言いに、イミルグランもナィールも
良い感情は抱かなかった。
犬猫をもらい受けるのとは訳が違うのに、
なんて言いぐさだろうと二人共が思った。
((赤ちゃん二人にも失礼だ!))
イミルグランが、せっかく指で揉みほぐした眉間の皺は、
あっという間に深くなり、不機嫌顔が元通りになった。
するとイミルグランの顔を見て、ルナーベルが火がついたように
泣き出した。
あまり泣かないという赤子が大音量で泣き始めたので、
乳母が飛び込んで部屋に入って、抱き上げたが、
中々泣き止まず、イミルグランは、
赤子を怖がらせてしまったと落ち込んだ。
ナィールはイミルグランが顔をしかめた理由が分かっていたので、
(あ~あ、君たちのために、イミルグランは
腹を立てたのになぁ・・・)と思いながら、
不憫な主人を励まそうとして、それに気づいた。
「あれ?こっちのアンジュリーナ様は、イミルグラン様を見て、
笑ってますよ!」
見ればさっきまで泣いていたはずのアンジュリーナはピタっと
泣き止み、じっとイミルグランを見つめている。
オレンジ色の瞳がイミルグランを見て、その小さな手を
イミルグランの方に伸ばしている。ヤーズ侯爵はご機嫌で、
「さすが、アンジュリーナ!!自分の婚約者だと
わかっているんだね!イミルグラン様、せっかくだから
抱いてやって下さい」
こう言われ、乳母の指導の下、怖々とアンジュリーナを
抱き上げたイミルグランにアンジュリーナはニコリと笑った。
(頼りない小さな命が、今、自分の腕にある。
私の怖い顔に怯むこともなく、笑ってくれるのか!?
こんな無垢な赤ん坊に微笑まれたなんて、何て嬉しいことだろう!
これが私の生涯の妻となる命・・・、何て尊いのだろう・・・。
貴族は生き方も伴侶も自分では選べないが、私はとても幸運だ。
こんな愛しい命の傍で生きられるなんて、何て嬉しいことだろうか!
私はこの子の一生を守り、慈しみ、愛そう。
この子が将来自分の生き方を悲観し、私以外に愛しい人を
見つけてしまったなら、悲しいことだけど、
その時はこの子のために何だってしてあげよう。
もしもこの子が私の傍にいることを選んでくれたなら、
少しでも、私の傍にいて良かったと思ってもらえるように
これからもっと努力をしていこう)
~~~~~
その笑みにイミルグランは心を捉えられたのだと、
グランは娘に話し終えた。
彼女の(神様の子ども)時代、その後も二度
会いに行ったが、いずれもルナーベルは大泣きし、
アンジュリーナは笑顔で自分を迎えてくれたと笑って話し、
アンジュリーナが5才になったとき、自分は学院に
入ったため、会いに行くことが出来なくなったが、
最初のその想いは、ずっと変わることはなかったよと、
グランは夫婦の馴れ初めとも言えない馴れ初めだけど、
と言葉を続けた。
「君も私に似て一途だし、ミグシスだってナィールに似て、
想い人には、とても誠実だと思う。
だから不安に思う気持ちは、お互いあると思うけれど、
お互いがお互いの幸せを願って、今自分に出来ることに、
真摯に努力していけば、どんな未来が来ようとも、
二人の納得できる未来を迎えられるはずだよ」
イヴは黙ってグランの話を聞いていた。
手指のマッサージは、頭痛のイヴでも出来る、
お家のお手伝いだ。
もちろんグランの頭痛のひどいとき、グランは
家族の手指を揉んでいる。
持病故に出来ないことを落ち込むよりも、それでも
人の役に立つお手伝いを、二人はここに来て、
手探りで一つずつ探して、実践していた。
夕食の用意が出来たとの声が響き、グランはマッサージの
礼を言い、イヴを抱き上げた。
「父様、抱っこも、お話もありがとうございます。
私、今できることを頑張ります。今からリングルさん達の
ご飯をしっかりと食べて、元気になれるように
早めに休みます。明日元気なら、今日の分も頑張って、
遊んだり勉強したりします!」
「そうだね。君はまだ6才だもの。遊びだって立派な
お仕事だよ。ロキもソニーも君が大好きだから、
君と遊びたいと思っているんだからね」
二人は仲よく食堂に向かっていった。
・・・10年の時が過ぎ、二人が並んで歩く道は、
バージンロードであるのだが、その時も同じように、
二人は笑い合って、歩を進めている・・・。
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おまけ~夫婦の寝室にて
「ひどいです!グラン様!私たち、会っていたなら会っていたと
教えてくれたら宜しいのに、黙っていたなんて!」
「ああっ、ごめんよ、アンジュ。本来(神様の子ども)時代は、
家族以外とは会えない規則なので、大っぴらに言えなかったんだ」
「そ、それはそうですけど、アレは何なんですか!
(この子が将来自分の生き方を悲観し、私以外に愛しい人を
見つけてしまったなら、悲しいことだけど、
その時はこの子のために何だってしてあげよう)・・・だなんて!!
私が誰かを愛してもいいなんて考えていたなんてひどすぎます!!」
「す、すまない。でも意に添わぬ婚約だと思われていたらと。
私は不機嫌顔だったし、『氷の公爵様』なんて、回りには
怖がられていたし・・・」
夫婦のベッドの上でアンジュは腹を立てていた。
二人して向き合って座ってのお説教だ。
グランはオロオロと10も年下の妻を宥めるのに、
必死になっている。
(生まれたての時に会ってたなんて!!
俺、グランの顔を見て笑っていたって?
当然だろ!俺の愛しの彼女なんだから!・・・ってか、
俺、こんなに愛してるのに、まだ伝わってないのか!?)
もちろんアンジュはグランの愛を疑っていない。
これは完全に拗ねているだけなのだ。
前世の彼女も、何故自分と結婚したのか、自分には
口を割らなかったが、娘の(アイ)には、こっそり教えている。
今世でもアンジュは、何故自分を一途に想っているのかを
何度も尋ねたが、グランは照れて言ってくれなかったのに、
イヴには話したのだ。
前世の理由も今世の理由も、こっそり娘が教えてくれたので
それが聞けて非常に嬉しいが、直接言ってくれないのが悔しかった。
俯いて物思いに耽るアンジュをびくびくしながら、
グランは窺い見る。
「お、怒っているか、アンジュ?君に言うのが、
恥ずかしかっただけで・・・私は・・・」
アンジュは反省しているグランの顔も相変わらず可愛いと
思いながら、グランをベッドに押し倒した。
「アンジュ?」
結婚後すれ違っていた夫婦は、お互いを想い合っていると
わかって以来、(生真面目なグランが、新婚初夜に妻に
痛い思いをさせたことを反省して4年間教本を密かに
真面目に熟読していた成果により)ずっと甘く鳴かされる
ことを甘受していたアンジュだが、ここは一つ、
この愛しい人に体でわからせてあげるべきかと、
アンジュはグランの上から、艶やかな唇を舌で
ペロッと舐って言った。
「大丈夫、怒っていませんわ、グラン様・・・。
ただ私、拗ねてしまっていますの。だからね?愛しい旦那様?」
(お仕置きですわ、一晩中、甘く鳴いてくださいまし・・・)
アンジュは、前世の時と同じように、愛しい伴侶を、
甘いお仕置きで一晩中鳴かせ続け、自分の愛が誰にあるのかを
骨身を通り越して魂の随にまで、思い知らせることに勤しんだ。