ヒィー男爵家のご令嬢(後編)
ヒィー男爵家はへディック国の始祖王の代から続く、
由緒正しい男爵家だった。
位は下級貴族で、領土もそれほど広くはなかったが、
ヒィー男爵家は、始祖王の長兄が初代ヒィー男爵家に
婿入りしたことから、とても豊かな収益が得られる
土地を始祖王から賜っていた。
トゥセェック国との国交が再開されるまでは、
ヒィー男爵の領地は温泉が湧き、崖や岩場が多いことから、
保養や剣術修行の地として、へディック国の貴族達が、
多く訪れる土地として、伯爵家並の富を得ていた。
前王からカロン王に代わり、国交が再開されたことで、
一部の大金持ちの上級貴族達は、より水質が優れた温泉が
あり、より修行に最適な地があるバッファー国へと、
向かって行ったが、それでも小金持ちの貴族や民は、
まだ、このヒィー男爵領を利用してくれたので、
ヒィー男爵家は他の下級貴族よりは裕福だった。
豊かな財産を持ち、王家の遠縁とも言える由緒正しい
家柄だが、爵位は低い。
何とも奇妙な立ち位置であり、どう接すれば良いのかと、
対応に悩む貴族達から、ヒィー男爵家は敬遠されていた。
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アンジュはゲームの知識がうろ覚えだったため、
その乙女ゲームのヒロインの爵位をはっきりとは
覚えていなかったので、男爵・子爵家でヒロインの
条件に合う者を探した。
ヒロインは下級貴族で、ピンク色の髪に水色の瞳。
幼い頃に母親を亡くしている。
確かゲームのオープニングの自己紹介で16才と
言っていたから、4月生まれのはずだ。
(その乙女ゲームは日本の学校の学期を参考にしていた)
該当するのは、ヒィー男爵家の令嬢しかいなかったが、
母親が亡くなっていない。
アンジュはもう少し詳しく調べたところ、ヒィー男爵夫人は、
何人もの子を出産し、今居る令嬢以外は皆、
(神様のお庭)に旅立たれてしまったため、心身共に
疲弊しきっていて、体も虚弱体質になっていると
わかった。そのため、唯一生き残った子を溺愛していることも。
アンジュは心は父ちゃんだったが、今は女性で出産を
経験しているので、ヒィー男爵夫人の気持ちが、よくわかり、
彼女が死なないでいてほしいと思い、祈った。
母親は生きている。でもヒロインの条件に合致するのは
ヒィ-男爵家の令嬢以外にいない。
外見と誕生日だけではない、・・・この男爵領の土地
が、彼女をヒロインにさせる一役を担うのだと思えたからだ。
このヒィー男爵の領地は温泉が湧き、崖や岩場が
多いことから、保養や剣術修行の地として、
へディック国の貴族達が、多く訪れる土地。
もしもイミルグランが外交を成功させなければ・・・、
もしもライトがバッファー国を大国にしなければ・・・、
この温泉の保養地に、エイルノンの母親は滞在し、
この剣術修行の地に、トリプソンの祖父は滞在していただろう。
この男爵領は温泉が湧くからか、珍しい薬草が自生
していたので、研究熱心なベルベッサーの父である
ゴレー医師がこの国にいたなら、薬草採集しに息子を連れて
訪れていただろう。
この男爵領は伯爵家並みに豊かだし、子の無病息災を
祈る母親なら、(神子姫エレン)を招くくらいの寄進も
支払うはずだ。
そしてミグシリアスが育った歓楽街は、この温泉地の
傍にあり、彼はここで14年間生きていた。
イミルグランとライトがいなければ、本当なら
攻略対象者の全員が、ここに集まるはずだったのだ。
だからヒィー男爵家の令嬢こそがヒロインに違いない!
・・・と、アンジュは考えてみたのだけど、
どうもそうではないようにも思えて、首をかしげた。
ヒィー男爵家の令嬢の性格が、あまりに
ヒロインらしくなかったからだ。
男爵令嬢はたった5才で、多くの使用人を顎で使う
高慢で卑屈で嫉妬深い、我が儘な性格だと、
社交界で広まっていたのだ。
貴族の情報は貴族間だけで収集するものではない。
仕事先での姿、茶会での姿、夜会での姿、
乗馬での姿、そしてプライベートな自宅での姿も、
・・・全ての場所で貴族以外で見ている者がいるのだ。
それは侍従や侍女やメイド、小姓、執事etc.と、
いった使用人だったり、貴族邸を訪れる業者や
商人だったり、平民だったりする。
同じ身分や自分よりも上の身分の者には見せなくても、
自分よりも下の身分や民の前では本性を出す者が多い。
貴族社会を生き抜くのには、多くの情報が必要なので、
聡明な貴族ならば、当然、使用人達からも情報を得る。
だから、ヒィ-男爵家の令嬢は顔は可愛いが、性格が
最悪だと言うことは、入れ替わりの激しい男爵家の
使用人同士の噂を通じて、貴族達にも広まって
しまっていたのだ。
小さい頃から自分の命じたことは何でも叶うことを
よく理解していた令嬢は、周囲の人間の失敗や
不幸が大好きで、彼らが失敗するように悪知恵を
働かせるのが得意な少女に育ったことも、
ヒィー男爵が妻に強請られて、せっかく高い寄進を
支払い、子どもに祝福を与えるという(神子姫)を
男爵邸に招いたというのに、その(神子姫)が
自分よりも可愛い顔をしているのを見て、
駄々をこね、悪態をつき、メイドに用意させていた、
生ゴミを投げつけて、追い返してしまったことも、
・・・その後の父親の叱責は、自分はメイドに
騙されて、それをしただけだと嘘泣きして逃れ、
無実なのに罪を背負わされたメイドが、
(鞭打ち百回の罰)を喰らうのを、鼻で笑って、
ニヤニヤ笑顔で眺めて、一言の詫びもなく、
リアージュは、そのメイドをクビにしたことも
「あんたが、(神子姫)が可愛いって言ってたの、
知ってたんだからね!可愛いのは私よ!本物がわからない
メイドなんていらないのよ!」
と、嘲笑う醜悪な娘の様子に危機感を持った、
ヒィー男爵夫人が、乳母や使用人に、娘の普段の様子を
尋ね、悲鳴を上げて、寝込んでしまったことも・・・。
ぜーんぶ、社交界では知れ渡っていたのだ。
(う~ん、あまりにヒロインにそぐわない・・・。
もしかして、ヒロインは他国にいるのかもしれない)
そう思ったアンジュは、一旦ヒロイン探しを中断し、
バッファー国に転生者を探すために旅立ったのだ。
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豊かな財産を持ち、王家の遠縁とも言える由緒正しい
家柄だが爵位は低い。何とも奇妙な立ち位置であり、
どう接すれば良いのかと、対応に悩む存在である、
ヒィー男爵家であるのに、そんな性格では、
縁を持とうとする貴族は皆無だろう・・・。
「今の男爵令嬢の性格はどうなっているのでしょう!?
いや、そんなことよりも、聞いて欲しいことが
あるんですの!私と旦那様の愛の結晶のイヴの
ことです!イヴは、私の可愛い天使のイヴは・・・、
イヴは、ミグシリアスに夫になりたいと言われ、
(神子姫エレン)に好意を持たれ、
エイルノンと永遠のケンカ友達になり、
トリプソンと秘密を分かち合った友達になり、
ベルベッサーに求婚されて、断っていました!
これって、どういうことなんでしょう!
イヴは悪役令嬢のはずなのに、これでは、まるで!
まるで、主役と悪役が入れ替わっているみたいなんです!」
そう、これでは『悪役辞退』ではなく、
『悪役交代』『主役交代』ではないか!と、アンジュは
皆に言った。
グランとセデス、ライトは3人で顔を見合わせて、
言葉に詰まる。
一時の間を置いて、グランはアンジュを抱きしめて、
彼女を落ち着かせようと額にキスをした。
「落ち着いて、アンジュ。我々は君の言う、
『乙女ゲーム』とやらの(物語)を知らないんだ。
・・・とりあえず、今日はここでお開きにしよう。
イヴが死ぬまで10年、いや9年あるんだ。
私たちはイヴを愛している。あの子のために
この9年、考えられるだけの策を講じよう。
そのためのスクイレルなんだろう、アンジュ?」
アンジュはグランの腕の中でコクンと頷いた。
彼らのその日の話は、そこでお開きとなった。
アンジュは愛しい夫の腕の中で目を閉じた。
(絶対、助ける!そのためには記憶だ!ゲームの
記憶が欲しいのに!何も覚えていない!
ゲームのタイトルさえも!?・・・でも、
8年もあるんだ。絶対絶対、思い出してやる!)
その次の日から、彼らの9年がかりの
『スクイレル作戦』が始まった。




